こんにちは。#2です。
他人に情けをかけて救ってあげることで自分に優越感を持つことは決して悪いことではないと思いますが、救われた方の人間にとっては自分が困ればまた誰かが救いの手を差し伸べてくれるだろうと常に期待して他人にも自分にも甘えを持つようになってしまします。
こういう人たちは努力をすることを忘れ他人を利用して生きることばかり考えるようになり結局は自立する気持ちが薄れてしまっているのだと思います。これまでこのような人を多く見かけてきましたが実は私はこのような人間があまり好きにはなれないんです。
それに他人に利用されてばかりいてはこの身がすり減っていくばかりになり最後はボロボロになってしまうかもしれません。だからこのような輩からひたすら自分を守る必要があるわけで、このような私側の勝手な思いから質問者様に仲間意識を捨てて非情になることをお勧めしてしまいました。
まあ、このような考えは前の回答にも書いたとおり人間の生き方の本道から外れることになるかもしれませんね。でも優越感に浸るためとか他人を見下すために弱い者に差し伸べる質問者様の手はある意味では武器とも言えるものだと思います。
どんな武器でも使わなくては錆びてしまうのでいささか勿体ないようにも感じますが、人生を他人に左右されないためにと思うのなら捨ててしまうのも良いかもしれません。
恵まれた人間にあこがれを持つということは、短く、それもたった一つの人生を他人に左右されるのと同じだと思います。食べる・寝る・性行為をするというのが人間の三大本能だとされていて、とりあえずこの三つが満たされていれさえすれば人間は不満を持たずに済むし死のうなどと考えることもないと言われています。
金を稼ぎたい・権力を持ちたい・贅沢したい・長生きしたい・有名になりたいなどという自己意識は三大本能が満たされた上で湧き上がる欲望です。これは人間の中で最も汚い欲であって、そうでありながらも人間である限り逃れられない欲とも言えると思います。
そのような欲望を多く叶えられた人間がここで言う恵まれた人間の象徴と考えられます。しかし、人間の幸せという観点から見れば恵まれた人間なんて小さな世界の小さな存在でしかありません。
人は恵まれた人間に征服されることで恵まれた人間を征服するという言葉を聞いたことがあると思いますが、これは恵まれた人間の言うことをハイハイと聞きながらその実、その人間を手玉に取っているということです。
言い方を変えれば「負けて勝つ。」と言うんでしょうね。人に左右されたくなければこのように考えて生きていくのが一番良い方法だと思うのですが、この生き方ばかりは個人の持つ価値観がいろいろあるはずだから誰もが質問者様に授けることはできないことで、結局は質問者様自身で探すことになります。
人間の多くは自分だけの欲望の争奪戦を演じているうちにいつの間にかそれに左右され振り回されて没頭してしまい、自分が自分らしく生きるといった大切な目的を見失ってしまいがちな愚かでくだらないものかもしれません。
だからそうならないためにも欲なんて捨てても構わないと思います。所詮自分だけの欲望なんてそれは弱いものですが、自分が自分らしく生きる生き方って誰にも負けないくらい強いものだと思います。それに気づけば恵まれた人間に憧れを持つとか他人に対して無駄な気遣いをする必要はないと考えています。
お礼
詳しいご解説感謝いたします。 救われた側は努力することを忘れ他人を利用して生きるようになり、自立心がなくなる。 これを見たとき、まずいなと感じました。 ぼくにあてはまると感じたからです。 もしかしたら、ぼくは他人を利用してラクしようとしてるからこそ、同じ人を引き寄せてしまうのかもしれません。 そして手を差し伸べ、優越感に浸る一方で、僕自身も手を差し伸べられ、ぼくには利益が、相手には優越感をもたらしているかもしれません。 しかし、それは武器でもあるのですね。 だからこそ無意識に手放せない。 捨てるか、生かすか考えてみます。 後半ですが、恵まれた人(にみえる人)というのは、余分な欲求をもち、 それを満たしている人なんですね。 そう考えると、けっこうくだらなく思えてきますね。 (と言いつつ、うらやましいとも思ってるけど) まだ人生経験が浅いので、実感が沸きませんが、見下さない、うらやましがらないことの意味が少しはわかった気がします。 ありがとうございました。