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燃えろ新日本プロレスのくりぃむ有田ベストバウト

隔週刊に出ている燃えろ新日本プロレスのVol,24を読んだ事のある方に質問です くりぃむしちゅーの有田さんがマイ新日ベスト3を選んでいますがその理由を知りたいです 1位 北尾光司vsクラッシャー・バンバン・ビガロ    ●1990年2月10日、東京ドーム 2位 藤波辰巳&木村健吾vs長州力&マサ斎藤    ●1987年12月27日、両国国技館 3位 ザ・コブラvsデイビーボーイ・スミス    ●1983年11月3日、蔵前国技館 公式サイトではベスト3は載っていますが理由などは書かれていません、特に北尾光司のデビュー戦を一位にした理由を知りたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • uniquepro
  • ベストアンサー率50% (347/681)
回答No.1

どれもこれも一癖どころか何癖もありそうな試合(らしいもの?)ばかりです。 特に1位については、 「ホウキ相手でもプロレスが出来る試合巧者クラッシャー・バンバン・ビガロをして、ホウキ以下のでくのぼうと後に回想した北尾光司相手に、少なくとも試合を成立させたビガロの涙ぐましい努力に拍手!!」 この1点に尽きます。当時は他人への気遣いなど微塵もなく自我しかない北尾です、正直な所リングの真ん中に突っ立っててくれれば、ビガロが勝手にグルグル回って「北尾の方が格上?」という演出も出来たものの、自分可愛さなのかそもそもプロレスの基本姿勢が分かってなかったのか、何ともグダグダな展開でした。おまけに受け身の名手でもあるビガロでなければケガ人必死な技を平気で使う北尾。坂口征二が北尾の不甲斐なさを後に悔いていましたが、誰がトレーナーになってもきっと変わらなかったと思います。この勝利で勘違いした北尾の後の顛末は、書きたくもないのでやめますが。今現在立浪部屋の後見人として悠々自適の生活の北尾氏にとっては、ここ(大相撲)に戻るまでの暇つぶし…だったのでしょう、プロレス・格闘家時代は。 2位は、件の「たけしプロレス軍団」事件ですね。本来のメイン、猪木vs長州がTPGの登場と猪木の勝手なカード変更で結局質問者の書く2位のタッグマッチ → ●長州vs猪木○ → ●猪木vsベイダー○ という、訳の分からないラスト3カードになってしまって、藤波木村vs長州マサの頃には観客も手に持ったゴミやら荷物やらをひたすらリングに投げ入れる(試合中止、興行自体の中止をファンは求めていた)、新日本プロレスの「封印すべきいくつかの試合」(有名なのは他にアンドレvs前田日明戦など)とされる試合です。 3位は、悲劇のマスクマンシリーズですね(他にスーパー・ストロング・マシーン、エル・サムライ)。初代タイガーマスクの新日本離脱で空いていたアイドルレスラーの座に、ほぼ無理矢理入れられたマスクマン、ザ・コブラ。そのデビュー戦&NWA世界ジュニア王座決定戦の相手とされたのが、これもまた無理矢理感たっぷりの急造マスクマン、ザ・バンピード。ところが華々しい日本デビュー戦にするつもりだった新日本に対して、バンピードはいきなりマスクを脱ぎ、さらにジュニアヘビーから明らかにウェイトオーバーの状態で試合開始。元々ジュニアヘビーとしては長身(過ぎた)コブラと、明らかにウェイト超過のスミスの一戦、これでコブラことジョージ高野のプロレス人生は真っ逆さまに転落していったといっても過言ではありません。 要するに有田のチョイスは新日本プロレスの「出来れば忘れたい試合ベスト3!」という評価です。

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質問者

お礼

なるほど、そういう選考の基準なんですね、ありがとうございました。

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