- ベストアンサー
人の自慢話はどうして不愉快なのですか?
よく人の自慢話は不愉快だと聞きますが、私はそうは思いません。 自慢話もそれは毎回耳にタコができるほど聞かされたら、またかーとは思いますが、よほど嬉しかったんだなーと思って微笑ましく思います。 相手や内容や話し方の問題かもしれませんが、目をきらきらさせて、嬉しそうに話される姿は、私のほうも元気を頂き、幸せになれるような気がします。 逆に、人の悪口、延々と続く愚痴の方が私は不愉快に感じます。 人の自慢話を不愉快に感じる心理はどうなのでしょうか?
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
自分が嬉しく思ったことを話すのと自慢話は違うものだと思います。 質問者さんの周りには自分の嬉しかったこと、幸せだったことを話す人はいても自慢話をする人はいないのだと思いますよ。 うれしかったこと、楽しかったこと、幸せだったことを話す人は自分にとっての「絶対的な価値観」でみたうれしかったこと、楽しかったこと、幸せだったことを話します。 そこには対比する人はいないので、素直に良かったな、と聞くことができます。 一方自慢話をする人は「相対的な価値観」で見て相手より勝っていることをよかっただろう!こんな楽しかったんだぜ!と言います。そこには対比される人が居て、ある意味その人を落としていることになります。また、それは感情表現でなく、自分の価値を提示しているものにもなります。 悪口まではいかなくてもそれに似たものや、愚痴とは逆のベクトルですが愚痴に似たものがあるので、不愉快に感じる。 例えば出世した話をする。 自分の仕事が評価されて出世されてよかった。みたいな喜びは良いです。 俺は同期の中で一番に出世したんだ。すごいだろう!みたいな喜び方は自慢話になります。 それが一回二回であればうれしさのあまりかなと思いますが、何度もしつっこい言われたり、こちらがすごいねと言わないと満足しないようだと、自分が嬉しいという感情表現でなく、自分の価値をひけらかしている行為になります。 感情表現ではないので、共感もできないし、不愉快に感じる そういうことだと思います。
その他の回答 (10)
- DateSuikyo
- ベストアンサー率38% (126/324)
質問者さんは、よく出来た方なのですね。人格者なのでしょう。しかし一般には、自慢話を聞かされて面白くないと感じる人の方が多いはずです。 人間には嫉妬心というものがあります。これが、不愉快な気持ちを起こさせるのでしょうね。他人の幸運を妬むのは決して褒められることではありませんが、人間性の本質的な部分であることは否めません。 だからこそキリスト教の教理は、嫉妬を七つの大罪の一つとして戒めているのでしょう。 自らの幸運をうれしさのあまり人に吹聴して回るのは、私もむしろ微笑ましいと思いますが、家柄がいいとか親が金持ち、といったことを鼻に掛けるヤツらだけは許せませんね。本人の努力とはなんの関係もないことですから。
お礼
私は良く出来ておりません。 どちらかというと、天然系でぼんやりして鈍感かもしれません。 今頃気がついたのですが、自慢話っていろんな意味合いを含んでいることです。 単なる人の喜び、幸せ話の共感は好きです。 悪い意味は他人との比較での表現ですね。 人間の自然な感情なのはおっしゃるとおりです。 私も嫉妬という感情ははしっかりありますよー。 でも、そればかりに気を取られていては時間の無駄です。 嫉妬すなら、私は日々自己鍛錬、研鑽を積むべく努力して、日々いろんなことに感謝して生きていこうと思っています。 ご回答ありがとうございます!
私も自慢話は別になにも思いませんがただ状況を見てしてくれたらですね 飲み会などで話しが盛り上がってるときに自慢話はやめてほしいな それまで皆で話ししてたのに自慢話の途中ぐらいから二人ずつで違う会話になっていき 話しが長ければ私とその人、それ以外の人で会話になる これはつらいよ 私も久々やから皆と話したいし 悪口は嫌ですね 愚痴は個人的には聞きます 誰かに聞いて欲しいやろうから私に話すことでまた頑張れるんなら気になりません 愚痴=弱音だと思っているので >人の自慢話を不愉快に感じる心理はどうなのでしょうか 嫌がられるのは比較し見下しながら自慢するからでしょう 比較がなくても見下した物言いは嫌がられるからでしょう
お礼
やはり自慢話もその時の状況ですね。 ずっとその人ばかりの話になると辛いですね。 自慢も「比較」が入ると、想像したらちょっと勘弁してよーと言いたくなりますね。 愚痴も親友とか近親者は個人的に相談として聞くのは大丈夫です。 それにしても、ちょっとしたことを皆さんにお聞きしたくて何気なく質問させていただいたのですが、こんなにたくさんのお返事をいただいて、かなり驚いています。 ありがとうございます。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
武勇談は人生経験として聞けば楽しいですが、株で当たったみたいな一発ものはふんふんと聞き流せます。しかしその後の、それに比べてお前は調の説教は余計です。 自分の家族の自慢は、さぞかし嬉しかったんだろうけど、その学歴優秀なおぼっちゃまは私には他人なんだよ、わかってよね光線を目から発射します。 自分の価値の高い部分にスポットライトを当ててしばらく浸っていたいなら、相槌打ってよいしょしますけど、あまり長いといつまで風呂に入ってんだよ、と思いますから。 自分は高い、お前は低いと比較してくる場合はいい加減にしろ、世の中の価値の切り口は一つだけじゃないだろ、と心の中で思いますから。 でも自慢話は相手のためにしているのではないという独りよがりさが、嫌な気持ちを感じさせる第一の要因じゃないでしょうか。押し付けがましいですね。
お礼
ああ!!!そうですね! 比較が入ると嫌ですね。 私はあからさまにそのように言われた事の記憶があまりないで、(気がつかないのか鈍感なのか)想像したらちょっと嫌ですね。 本人は自慢したいわけではないのに事実を話したら、結果的に自慢話になってしまったという場合もあるんですね。どこかで誰かが傷ついたりしている。。。 話し方の問題かもしれません。 お返事、よく分かりました。 ご丁寧にありがとうございました。 私も自然に自慢話になってしまわないように気をつけようと思います。
- blackmind
- ベストアンサー率38% (37/97)
一口に自慢話と言っても様々なものがあると思います。 それは情報の発信者と受信者、 それぞれがどういう認識のもとでその話を意図、捉えているのかによって様々な感情を持つと思います。 まず情報の発信者側が 自慢話を他人を見下して自分の価値を引き上げようと意図している場合、 (お前らにはできない、自分は優れているといったような) それは人の悪口に近い性質を持つので、言われた相手は不愉快な気持ちになります。 次に情報の受信者側が、 自慢話をその内容とは別の領域(恨みや妬み、卑屈)から捉えている場合、 (馬鹿にされている、自分にはできない、単に嫌いだといったような) それは恣意的に無理やり悪口だと認識したうえで不愉快な思いをしていることになります。 質問者様の場合は、自慢話をしている方が善意(上記の意図でないという意味)あるいは悪意であったとしてもそう捉えない考え方をされることから不愉快に感じないのだと思います。 それは質問者様が高度な人格を持った素晴らしい方だと言えるのでしょう。 ただ世の中には様々な境遇、環境で様々な考え方をする人たちがいるので、 不愉快な思いを持つ人は決して少なくないと思います。 良ければ参考にしてください。
お礼
お返事ありがとうございます! >質問者様が高度な人格を持った素晴らしい方 文中で褒めていただいているみたいですが、私はそんなに高度な人格を持っていないと思います。 私はどうやら、感覚が鈍感なのか、それとも不愉快なことを無意識にあまり感じないのかもしれません。 おそらくお酒の席とか、いろんな場面で人の自慢話を散々聞かされていると思うのですが、そんな人なんだ~とか、あ、また同じこと何度も自慢してるーとかぼーっと聞いているだけです(笑) 私は話している人がどんな話かというより、どんな人かということに自然に注意が向いているのかもしれません。 そんな私でも、意図的に「悪意」で言っているのか否かは分かっているつもりでですが。 おっしゃるとおり、世の中はいろんな環境・境遇の中でさまざまな考え方、受け止め方をされるのは分かります。 人間関係は難しいです。 少なくとも、相手に不愉快な思いはさせないように、気をつけていこうと思いますが、受けて側の感じ方の違いで、不意に傷つけたりしてしまうのは避けられないのは仕方の無いことだと最近思うようになりました。 それでも、相手の立場や境遇を考えすぎて、話を選ぶのもまたギクシャクするので難しいです。 私も面白いエピソードで話した内容が自慢したつもりではないのに、結果的に自慢したことになることがあり、ありゃりゃーと思うときがあるので、そんなときは簡単に切り上げたりしています。 再度、ありがとうございました。
- merciusako
- ベストアンサー率37% (909/2438)
あー、それって分かります。 思い返してみると、「その人のことを気に入ってるかどうか」によります。 話の内容はあまり関係ないです。 尊敬できる、好ましいと思える人の話なら、たとえ「人の悪口、延々と続く愚痴」でも、「ああ、この人も人間なんだな」とか「自分はその話のようにはならないようにしよう」とか思っちゃいます。 極端な言い方をすると、「好きな人の話は聞いていたいけど、好きじゃない人の話は聞きたくない」ってことですね。
お礼
おお!わかってくださいますか! おっしゃるとおり、その人のことが気に入っているかどうかもありますね。 私も話の細かい内容はあまり気にしないほうです。 その人がどんな人かを知ろうとします。 好きか嫌いかって問題はまたこれは、人によっての感覚の別の問題ですね。 端的なお返事、ご回答、ありがとうございます!
- osakajapan2001
- ベストアンサー率16% (236/1442)
それは他人の自慢話に共感出来ないからです
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
>人の自慢話を不愉快に感じる心理はどうなのでしょうか? 不愉快に感じ無い方が少数派だと思います。 逆に言えば、人の自慢話をほほ笑ましく聞く事が出来るのはどういう心理なのかと。 何せ「人の不幸は甘い蜜」って言葉もあるくらいです。 内容にもよるでしょう。 私が若い頃に上司から飲み会の席で「俺が若い頃は明け方まで飲んでそのまま出社して企画を作ったもんだ。それに比べ今の若いヤツらは甘い」とかなんとかの武勇伝はウンザリでした。 私はデザイナーなので徹夜の仕事は珍しくは無かったのですし、就職当時デザイナーはは同じ年齢、学歴だったとしても他の職種に比べ初任給は遥かに低くしかも保険が無いのも当たり前、福利厚生ってどういう意味ですかって状況で言わば丁稚奉公でした。 当然残業手当なんて異次元の話でした。 幾つか職場を変えましたが、同じ様な状況でした。 なので本当にウンザリしてました。 これは或る意味経営側の「無くて当たり前」のエクスキューズだと思っていました。
お礼
「人の不幸は蜜の味」って、知り合いに同じことを質問したら、そう言われました。 ああ、そういう感じ方も人間の自然な感情のひとつなんだと思いました。 私は鈍感なのか、忙しかったためか、思った事があまり無いように思いますが、小さなことだったらあったような気がします。 たとえば、あまり好きではない人、自分に悪くした人などは、そのように思ったことを思い出しました。 でも、あまりひどい不幸に遭われたりした話を聞くと、気の毒でならなくなります。 上司の比較的な自慢話を延々と聞かされたら、それはたまらないですね。 不愉快というより、私は泣きたくなっていることでしょう。 ご回答、ありがとうございました。
- gen13gen
- ベストアンサー率34% (10/29)
質問を読んで私が感じたことを書きます。 自慢話がほほえましく感じるのは、 質問者様が心に余裕があるからと思います。 家庭生活、子育て、仕事などが円滑にいっている時には、 自慢話がほほえましく感じるのではないでしょうか。 自慢話が不愉快に感じる心理は嫉妬ではないですか? 心に余裕がない時には、人の不幸話を聞くと自分と比較して心が落ち着き、 自慢話は嫉妬を感じるために不愉快を感じるのだと思います。 私自身、一目ぼれして誰もがかっこいいといった彼と付き合った時には、 他の人が結婚しようが、かっこいい人と付き合おうが 心からほほえましく感じ、幸せになってほしいと思いましたよ(^^) 心に余裕がある時がずっと続く人は少なく、少なからず波乱はあると思います。 心に余裕があるかないかで感じ方が変わると思います。 回答になっていますでしょうか?
お礼
分かりやすいご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりかもしれません。 私は心や環境に余裕があるのかもしれません。 余裕があるというより、余裕を持とうとしてるのかもしれません。 半世紀生きてきましたが、こんな私ですが、さまざまな離別や死にかけたり、病気も体験してきて、人よりおそらく波乱な人生をおくってきたのではとよく他人から言われます。私もそう思います。 そんな最悪な環境のとき、人の自慢話を不愉快に感じる暇が無いというか、聞ける状態ではないほど切羽詰っていたのかもしれません。 そして、ようやく今、多少まだ過去の傷を少し引きずっているものの、生活に支障なく毎日を平和におくれることに感謝することができるからかなーと思います。 自然に毎日を感謝する気持ちがわいてくるんです。 おそらく、これから先も何が私を待ち伏せているかわかりません。 それでもまた波乱に揉まれながらも、笑顔でなんとか生きていけたらと最近思うようになりました。 少し本題から逸れてしまいましたが、ご回答ありがとうございます。 受け止め方ということですね。 世の中いろんな考え方をする方がいらっしゃいますので、私も不意に自慢話にならないように謙虚に生きていこうと思います。
- hirotan1879
- ベストアンサー率20% (512/2470)
おそらく 人間のエゴというものが無意識に相手と自分を比較対照していて 自分の方が勝っていないとストレスになるのでしょう。 動物のばあいも雌のまえで クジャクとかアザラシとか鹿とかが羽や牙や角を見せ合いますので 其の行為の人間版になっているのでしょう。
お礼
動物の、人間の自然な感情なのですね。 私は鈍感なのか、無関心なのかもしれません。 よく言えば、生命力の元なのかもしれませんね! それで、自分もがんばるぞーってなればしめたものですから。 ご回答ありがとうございます。
- harshmistress
- ベストアンサー率44% (87/197)
そこに羨望と嫉妬があるからです。
お礼
分かりやすいご回答ありがとうございます。 他人の不幸は蜜の味って、知人が言っていまいた。 人間の自然な感情なのでしょうね。 私は、鈍感なのかもしれません(笑)
お礼
おっしゃることはとても分かりやすくてとても納得がいきました。 そもそも、「自慢話」という言葉自体が、いろんな意味合いを含みすぎています。 状況、言い方、比較が入る、しつこさ、などで意味合いが違ってきますね。 良い意味での「嬉しかった話」「幸せな話」というのはその方の感情がこちらまで響いてきて嬉しいです。 でも、私は鈍感なのか、dai-ymさんがおっしゃる表現の悪さでの自慢話も、よかったねーってすごいねーって思うんですよ。 でも、あまりしつこかったら、面倒くさくなってフェイドアウトかな(笑) 私も一人前の感情ありました。 ご回答ありがとうございます。