• ベストアンサー

おかしいのでしょうか。

今24歳の派遣社員の男です。 昔は一期一会は大事だと思い、毎日出会う人に嫌われないように考えて生きてきました。 その分ストレスを感じやすく悲観的になりがちでした。 しかし、今は落ち着いたのか全員に好かれる事は厳しいと感じ また、キリもないから相手も自分も大事だと思える人には真剣に考えて その他の自分を馬鹿にしたりする人は表面上の付き合いでいいと思えるようになりました。 ですが、昔の自分と考えが変わり本当にこれでいいのかと思う時もあります。 皆さんはどう思われますか。 また皆さんの人間関係模様を教えていただける幸いです。 よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.2

おばさんです。 >毎日出会う人に嫌われないように考えて生きてきました。 えぇ~!大変じゃん!と感じました。 私は笑顔で挨拶さえきちんとできれば、それで充分だと考えています。 例え嫌な感じの相手にも、帰るときには<お疲れ様でした>が言えれば、今日を貴方も気持ちよく締めくくれる。 たとえ嫌なことが昨日あったとしても、朝、笑顔で<おはようございます>が言えれば、気持ち良く今日を始めることができる。 嫌われないように・・・なんかじゃないんだ。 <貴方自身が気持ちよく今日を始めるために、そして気持ち良く今日を終われるため>に、挨拶だけは気持ちを入れて頑張る。 それでいいんじゃないかな。 そのくらい肩の力を抜いていたら、自分がまず楽だし、素直に相手に気持ちは通じていくと思う。 後は、一生懸命に仕事に向き合うだけ。 できないならできないなりに、一生懸命に真面目にこなす。 誰が見ていようがいまいが、頑張る。 そして、その中で人の<やさしさ>に触れたら、同じようにやさしさを返せば良い。 大事にされたと感じたら、同じように大事に返せば良い。 何かしても、見返りを<期待>なんかしない。 喜んでくれたらそれだけで嬉しいし、気づかれなくても自分がしたいからしただけのことと考える。 そうしていくと、楽になるよ~。 気持ちが良い挨拶は、簡単なようで奥が深い。 笑顔でね(^O^) ご参考までに・・・。

その他の回答 (2)

  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.3

生き残ることと美しいものを増やすことをうまく両立すれば いいのではないでしょうか。 表面上人とうまくやってればとりあえず生き残れる。 それはそれでいい。 でもそれだけだと美的センスが満足しないので、 なんかそういうものもやるとベターで、 そういう意味では誰かと美しい関係を築けばいい。 好かれることが重要なのではなくて友情とか 明るく朗らかな関係とか、なにか自分の美的センス に合う関係を作ればいいのでは。 自分が生き残ってればそういう美しいものが増えるのだから それは意味があることでしょう。

noname#246942
noname#246942
回答No.1

そもそも、「一期一会」の解釈が違う。 一期一会は、人に嫌われないように媚を売ったり、人から好かれる為に顔色を窺ったりするものではない。 ここでの回答や質問も一期一会。 「今の自分に出来る、全ての事をする」 相手がどういう人間であろうと、自分は自分として精一杯の事をしていれば、それ以上でも以下でもないのだから、周りに左右される事など無いだろうし、他人にストレスを感じる事も無ければ、悲観的になる事もないのではないかな。 本当は、「キリが無い」のは自分自身なんだよ。 例えば、君に取って大事な人の事は真剣に考えて、馬鹿にする奴は適当でいいや、と考えを改めて見て、実際どのくらい生きやすくなったの? ストレスを感じたり悲観的にはならなくなっても、「生きやすい人生」=「納得の出来る人生」とは一概に言えるものではないのではないかな? 常日頃からそのような考えで生きていただけ、君は性根のいい奴なんだと思う。 割り切る事も、長い人生大切な事だけど、その前に、人を見定めせず、先入観を持たず、相手がどういう人間であろうが、まずは自分に出来る精一杯の事はやった方がいい。 答えを決めるのはその後でも遅くはない。 一期一会は、「人を大事にする」というよりも、「その瞬間を大事にする」という考えから来ているんだよ。 そして、その真心が、結果相手に通じなかったのであれば、それはそれで仕方がない話でもあるんだよね。 まぁ、それでも、物事を決め付けて見てしまうと、人生、損をする事は多くなるもんだよ(笑 一瞬一瞬を大切に積み重ねていける、納得の出来る人生を歩めたらいいね。 参考程度まで。

関連するQ&A