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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分の成長が怖い。)

怖いけど成長したい

このQ&Aのポイント
  • 自分が知らないうちに成長していたことに今日自覚することができました。これはとても嬉しい出来事なんですが、正直涙が出るほど怖かったです。
  • 最近自分がずーーっと叶えたかった目標へのチャンスが転がり込んできました。それは海外の学校に行くことなんですが、そのチャンスの報告を受けた時正直、怖かったです。
  • もっと成長したいです、、でも恐怖があります。勇気?成長するための勇気踏み出す気持ち、今の自分を受け入れられるようになりたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

ご質問者様おはようございます。 ご質問者様が成長に恐怖を感じるのは当然だと思います。成長とは「別れ」のことですからね。知らなかった自分から、知った自分へ。経験しなかった自分から、経験した自分へ。過去の自分とは変化してしまう。 フランスのことわざには「別れは小さな死である」という言葉があるそうです。成長が別れで、別れが小さな死なら、ご質問者様が恐怖を感じる原因もお分かりになるかもしれません。 経験を重ねて成長することで、ときには人間関係に終わりが訪れることもありますね。友人との別れ、恋人との別れ、家族との別れ、仕事や環境との別れといったことも成長の過程に起こります。人間は別れの不幸から「再生」し、成長して不幸を踏み越えて行かなければなりません。小さな死からの人間的な再生が人間にとっての具体的な「成長」なのですね。 勇気という言葉もありましたね。人間にとっての「勇気」というのは、「打ち壊す」ことです。安易な人間は安定したものを求めますが、安定したものに人間が求める幸せは無いんですね。もし、幸福でも不幸でも、そのまま死ぬまでずっと一定で変化が無かったらそれこそそれは地獄と呼べるものです。人間は本能的にそれを知っています。ですから不安定なものを人間は求めるのです。勇気を出して安定した関係を壊し、壊した関係を再構築して行きたいと願うのです。 勇気が必要な場面。例えば、告白であったり、就職であったり、就学であったり。安定してしまった自分の恐怖を、勇気を持って打ち壊すのです。そしてバラバラに壊れたものを再構築して生まれ変わらせることが人間にとっての勇気なのだと思います。 ご質問者様がしっかりしたい気持ちとダラけたい楽な気持ちの狭間で揺れるのは、「責任」の問題ですね。英語の責任はResponsibilityですが、レスポンスとアビリティの融合が「責任」なのですね。日本語的には反応能力ということだと思いますが、責任とは負わされるものではなくて、もっと自発的で生産的なことなんですね。 「私」はその責任を果たすだけの能力が有るのか無いのかの態度表明なのです。ですからご質問者様の場合も、きっちりした自分になれる「能力」がご質問者様に有るのか無いのかの態度表明ということになるのです。「私」が責任に対して積極的に応じることができる能力が「ある」というのは、人間にとっての希望ですね。 人間は恐怖を一旦は通り抜けなければ自分自身を人間的な「再生」へと深めて行くことはできません。ご質問者様は恐怖を踏み越えてお進み下さい。その先にあるご自身のまだ知らない自分へと成長し、新しい意味を持った自分自身を体験して下さいね(^-^) ご参考になれたら幸いです。

その他の回答 (5)

回答No.6

山に登ってみると、麓では見えなかった更なる峰が見えてきます。 人間の大きな能力のひとつが、慣れることなので、 今の違和感にも、慣れてしまい、それが現状になってしまっています。 本能に、現状維持の本能も、あるのでしょうね。しかし 人間は、発展成長の欲も根源に有ります。 ある状態を、目標にするよりは、目標を達成し続けていくプロセスを、 大きな目標とすると良いのかもしれないですね。

noname#246720
noname#246720
回答No.4

私も同じような感覚を持った経験があるのでわかります。 今も時々あります。 私の場合自分を見つめて思うのは、大きなチャンスが巡ってきた時に、それに飛び込んでしまうことで今までの「目標」っていうのが一度達成される。 ということは、今まで「夢」だったことが「現実」になる… ということは、違う言い方をすれば、夢として持っていたものが失われるわけです。 それがひとつ怖いというか寂しいのと、 叶った後、それがうまくいくのかどうか。それは誰にもわからないわけですが、わからないというのは怖いものですよね。 そういう感覚だなあと思いました。 そうやって前に進んでいくうちに、良いこともありますが悪いこと…というか、壁みたいなものも当然あります。 私は最近ものすごい壁にぶち当たりまして、自分を客観視しながら「ああ、この人はもう死ぬんだな」と思うほど追いつめられた日もありました。(生きてますけれど) 本当に本当に苦しくて、その原因は何と言っても、私自身がチャンスに挑戦したことが始まりなわけですが… しかし不思議なことに、チャンスに飛び込んだことは全く後悔していないんです。 むしろ思い切った当時の自分には心から感謝をしています。 それから今までに色々な選択肢に当たってきて、その時その時で選んできたわけですが…小さい部分で「こうしたらどうだったかな?」と思う部分はあるものの、ほとんどのことについて後悔はありません。 本当に不思議です。 あの時「なんか怖いし、うまくいくかわからないからやめよう」と諦めていれば、今こんな苦しい思いをすることもなかったのに、どうして後悔がないのか。 今思うと、チャンスを目の前に怖い気持ちになるのは、今の私のような気持ちを経験することが怖かったのかなあと思いました。 いくら後悔がないとは言え想像を絶する苦しみですので、好き好んでこの未来を希望する人はあんまりいないと思います。 未来を予知しているというわけではないですが、こういう時期を経過するのを無意識に見越しているのかもしれません。 自分のことを長々語ってしまいましたが、質問者さんももしかしたらそういうことかもしれません。 ダメなままでいるほうが楽だと思います。 だって、成長するの苦しいですから。苦しいの避けたほうが短期的には楽に決まってます。 そして、そういう人生を選択してそのまま死んでいく人もいますから、どうすべきかなど他人がとやかく言うことでもないし。 でも私はそういうの嫌だなーと思うので… 後悔のないように、選んで下さい。

noname#234331
noname#234331
回答No.3

自分では気づかない内に変わっていく、成長とはそおゆうものです。そして、その事に気付かないのが普通とゆうか…あなたはそれに気付いてしまったのですね。ただそれだけのことで、何かを考えるのではなく今のままで何も恐れる必要ありませんよ(^^)

回答No.2

知らないうちに成長できていたということは、とても素晴らしいことだと思います。 しかも目標が達成できるチャンスが転がり込んでくるなんて、申し分ないことです。 それでも一歩踏み出せないのなら、それは質問者様が自分に自信がないからです。 ちょっときつい言い方をすれば、臆病だからです。 変な例えかもしれませんが、ビルの2階から落ちても大したことはありません。 大きな怪我はしないでしょうし、痛みすらないかもしれません。 でも、5、6階、もっと高い10階、20階から落ちれば、ただでは済まないでしょう。 ある意味、成長し自信を持つというのは、そうやって高いステージに上がるのと同じ面があります。 ダメな自分のままでいたら、失敗しても傷は浅いでしょうし、思ったとおりダメだったで済むでしょう。 自分に期待してしまったら、失敗したときに自分の期待は裏切られ、大きな傷を負うことになるかもしれません。 でも、痛みを恐れていたら、いつまでも変わらないままです。 折角のより大きな成長へのチャンスなのですから、挑戦したほうがもっと面白いことに出会えると思います。 自分を受け入れるためには努力を続けることです。 「これだけやってもダメなら仕方ないな」と思えるまで行動し、あとは開き直ってすべてを受け入れることです。 やるだけやったら、ダメでも諦めがつくものです。 そのくらい思えるようになれば、痛みも大したことはありません。 「人事を尽くして天命を待つ」です。 努力された質問者様だからこそ巡ってきた機会なのでしょうから、やるだけやってみてはどうでしょう。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11074)
回答No.1

成長するのに、勇気など必要ないと思います。 今までに、知らなかったことが判る喜び、 できなかったことができるようになる喜び、 これらが判るようになると、自然といろんな事にチャレンジするようになります。 次にはどんな楽しいことが待っているのだろう、沢山の楽しいことを探しながら、前に進んでいけばいつの間にか成長している自分がいます。 怖いのは、知らないから怖いのです。 前に進んでみてください、なにもしないでもいつの間にか怖いことはなくなっています。