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電話が怖い人っていますか?
過去に、電話のサポートセンターに勤務した経験がありますが、 うつ病になって辞めました。 そのあと何年も経つのですが、電話の怖さが治りません。 よっぽど親しい人以外は、ベルがなるとびくっとして怖くなります。 以前はかけ放題のプランにしていましたけれど、 使わないので、もうプリペイド携帯で最低限の用事だけにしています。 基本的には、メールやチャットですませてます。 でもいつまでもこんな風にもしてられないとも思います。 電話が苦手だと、プライベートで不利益が多いなぁと思います。 電話が怖い人はほかにもいますか? 何が原因でそうなりましたか? どのように対策してったらいいんでしょう?
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No.3,4です。 トラウマを穿り返してしまったようで、すみません。 >元気のないわたしのまま受け入れてもらえたら一番うれしいです。 >わたしは子供のころから、よく怠け者あつかいされました。ほとんどいつも疲れてましたし、 外で友達と遊ぶときには一番に音を上げていました。 これは、私にもとても思い当たりますし、共感いたします。 元気があってもなくても、魂は同じなのになって。 したいこと、やりたいこと、本当の私(魂)はいつも同じなのにって思います。 でも、体が付いていかないときは、理想をそのまま実現できません。 だから、怠けているとか言われると悲しくなります。 調子が悪い日が続くと、せめて体が動かせるときだけでもと力を振り絞って頑張っても、「気分でやっている!」と身内に言われたときはショックでした。 「気分も何も、心と体は切り離せないよ。やり遂げたい気持ちがあっても、体が動かないときは心はもっと辛いんだよ」って。 >事務仕事してたとき、「いつもいつも不機嫌そうで眠そうで・・!夜の仕事でもしてるのか!?」 と、上司に怒られたこともあるのを思い出しました。 >子供のころですが、体育で走った後、過呼吸になりました。 先生は皆の前で、「ふだん運動を怠けているやつはこうなるんだ!覚えとけ!!」と言いました。 上司と先生はどちらも男性ですか? そしてご質問者は女性ですよね。 いつも同じ状態を求める人は、女性よりも男性に多いけれど、どうしていつもいつも元気でいろと強要するんでしょうかね…。 好きで元気のない人なんかいないのに。 体が丈夫な人は、そこが解らないようですね。 女性はその点 生理があるから、体調の善し悪しで女性の能力が大きく変わることを理解してくれる人が多いけれど、誰もがということではないですが、男性には妊婦の前でも平気で煙草を吸う人もいるし、つわりや生理痛を怠けと受け取ったりで、元気があるときと無いときの差違をまるで理解しようとしない人もいます。 女性はヒステリーだから、具合が悪くなるということにしておきたいのでしょうか? 体調よりも心ない言葉で具合が悪くなってしまうのに。 それとも、女性は労って欲しいから、具合が悪いふりをしているとでも思っているのでしょうか。 「今は辛くて元気が出ないんだね」ただ、それだけで何にも励ましはいらないし、元気になるのをじっと待ってくれるだけで良いのに、「早く元気を出せ、(俺が困るから)怠けるな!」とせかされても、これは意識的にしているのとは違うから、「騒がず静かにしていてくれたらな…」って具合が悪いときは本当に悲しく思いますね。 >病気そのものよりも、他人に理解してもらえるかどうか、そこが本当の苦しみを左右すると思います。 つらくても、理解されるとやっていけると思えるからです。 同意いたします。怠けと疑うより、ほんの少しで良いから理解して欲しいものです。 褒めたり慰めたりはいらないから、「ただそうなんだとだけ受け取ってくれれば、充分」なんですよね。 >鬱がひどかったのはもう7、8年も前のことです。 いまは、体調が悪いときに鬱っぽいかんじにはなりますが、 体さえ元気なら、電話以外は、普段は鬱ぽくないかんじです。 いただいたお礼を読んでいると、悲しみや怒りが感じられるけれど、冷静に自分を見つめている姿が感じられ、確かに鬱症状そのものは良くなっていらっしゃるのでしょう。鬱が重ければ、きっとここまで、ご自身のことを分析できないと思います。 けれども、分析できる分、余計に過去のフラッシュバックが起きて辛いのでは…とも感じています。 電話のことですが、しばらくはメールがメインで良いんじゃないでしょうか。 自分にあったアイテムを活用すれば、それで充分だと思います。 自転車には乗れないけれど車なら運転できるとか、その逆もあります。 私は今時珍しく携帯電話を持っていませんので、もっぱら固定電話ですが、ご質問者が携帯電話がお嫌いなら、いっそのこと普段は固定電話に掛けて貰うようにして留守番電話を活用しても良いのでは。 これじゃなければ駄目だとか、これが使いこなせなければ駄目だなんてことはないし、何か他のアイテムで代用すれば良いと思います。 『友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。 よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。 友達にするにふさわしくない者は、七種類ある。一つ目は、身分が高く住む世界が違う人。二つ目は、青二才。三つ目は、病気をせず丈夫な人。四つ目は、飲んだくれ。五つ目は、血の気が多く戦闘的な人。六つ目は、嘘つき。七つ目は、欲張り。 良い友達には、三種類ある。まずは、物をくれる友達。次は、ドクター。最後に、賢い友達。 』 ※『 』内の文章は、 【徒然草】http://www.tsurezuregusa.com/index.php?title=%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89%E3%80%80%E7%AC%AC%E7%99%BE%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%AE%B5 より抜粋したものです。 「友とするに悪き者、身強き人」この言葉の記憶が不確かだったので検索したところ、他の文章はすっかり忘れていましたが、いま新たに読み返すと、なるほどなと思いました。 吉田兼好の時代から、人の世は何も変わっていないと思います。 健康に自信がない者には、良い医者と良い友達と当座の生活費があれば、何とか乗り切れるのでは…などと思います。 駄文ゆえ、色々辛いことを思い出させてしまい申し訳なく思いますが、何に対して辛かったのか気が付くことが出来るのなら、一緒にどうすれば良いのか考えてくれる人もいると思います。 既に出会っているのなら良いのですが、良き医者、良き友に恵まれますように。
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No.3です。お礼をありがとうございます。 自分のことばかりで、あまり気の利いたお話しが出来なくて申し訳ないですが… お返事を読んでいて、若い頃、体調を崩して内科に入院していたときのことを思い出しました。私にとっては結構な長期入院だったのですが、そのときは頻繁に高熱を出していたので、夏なのに、一週間経っても、二週間経っても、入浴もシャワーも禁止なら、洗髪も禁止で…。 入院初日から連日のように高熱を出していたので、洗髪をすることでまた熱が出るから駄目だということなのでした。 体はお湯で拭いた直後ならば、それなりにサッパリした気もするけれど、頭髪は熱いお湯で拭いてもあまり綺麗にはなりません。 今思えば、親にお願いしてドライシャンプーを買って来て貰えば良かったのですが、熱が治まれば洗髪して良いということだったので、それまではと我慢することにしたのです。 そうすると、もう髪は汗やら皮脂やらでベタベタで、かゆいのも嫌だったけれど、好きで汚くしているんじゃないのに、同室の患者さんに臭うと思われたら恥ずかしいなとか、こんなに汚れていると、廊下をすれ違う人にもシャワーしていないのが解ってしまうんじゃないかと、体調が悪いことも辛かったけれど、トイレに行ったり食事を運んだりするときに、汚いまま人前に出なければならないのが辛かったです。 でも、そんなある日、遠くに住んでいる母方の叔父夫妻が病室までお見舞いに来てくれたのです。お見舞いに来てくれたのは嬉しかったけれど、気分は複雑で…。 ずっとお風呂に入れなくて汚くて、おそらく臭っているであろうことも恥ずかしければ、顔色が冴えないのも恥ずかしく、何より一番辛かったのが写真撮影でした。 その場には父も母もいたし、久しぶりに再開したから記念にということだったんだと思います。そのときは叔父夫婦だけでしたが、いとこ達とは歳が近いし、近況報告も兼ねていたのでしょうね。叔父は「写真を撮ろう」と私に言ったんです。 でも、私は本当は写真に写りたくなかったんですよね。 一応お年頃だったので、今よりもずっと見た目を気にしていて羞恥心が強かったので、「どうしてこんなに髪もボサボサで汚くしてげっそりしているときに、写真を撮らなければならないんだろう…。父も母も、写真を断ってくれれば良いのに。遠くからお見舞いに来てくれた叔父達に、私から言えるわけないじゃないの…」と笑いたくないけれど作り笑顔でフィルムに収まりました。 ご質問者が電話を嫌がるのは、入院中の私が写真を撮られるのが嫌だったときの気持ちと近い感覚なのかなと思いました。 相手が自分のことを知っている人だからこそ、見せたくない自分を見せるのは辛いということなんですよね? 他の病室の患者さんは、私が入浴禁止なのは知らなかったと思いますが、それでも同じ患者なので、こちらから言わなくてもなんとなく事情は分かって貰えるんじゃないか、そう思えたので深く考えたり悩んだりしなくて済む面もあったのですが、健康な叔父と叔母の前だと自分のことが見苦しく感じて、とても恥ずかしかったんですよね。 急な入院だったので、知らせていなかったのに友達が面会に来てくれたときも、気持ちは嬉しいのに汚くしてるので恥ずかしかったけれど、それよりも、叔父と叔母の前でだらしない自分を見られて、写真を撮られて最悪だなって、そのときは泣きたくなりました。でも、皆それなりに楽しそうにしていたので、私は上手く平気を演じ切っていたのかな…。 更に日を重ね、入院から一ヶ月経って熱が治まっても洗髪もシャワーも禁止だったので、早朝にこっそり一人でシャワー室に入り、全身洗いました。熱が出たら看護婦さんからも先生からも叱られるかも知れないと思ったけれど、もう、汚いのも頭が痒くて眠れないのも、これ以上、屈辱に耐えるのも限界だったんです。きっと、今ならそんな無謀なことはしないと思いますけど、入院中は何をするにも制限だらけで、もう我慢の限界だったから、そうせずにはいられなかったんですよね。 あの頃はまだ若くて遠慮ばかりして、言いたいことが上手く言えなかったけれど、母には外出できない私の代わりにドライシャンプーを買ってきてくれとお願いすれば良かったし、事情が事情だから、泣きたいほど嫌だったのなら、叔父には写真撮影を断っても良かったんじゃないかって思います。 恥ずかしいから遠慮したいと言ったからって、それが失礼だということはなかったんじゃないかって。何でもかんでも我慢ばかりしなくとも、もっと自分本位でも良かったんじゃないかって。 ご質問者は、自分のペースで勧められて、体調を気に掛けられずに済むメールが合っているのですね。 メールの方が自分らしさが発揮できるということですよね。 お付き合いのある方たちには、そのことを予め伝えていらっしゃるのでしょうか。 もしも、まだなら、何かの折に伝えてはどうでしょう。 「今はあまり体調が思わしくないので、お互い気兼ねなく、うち解けて話しをするには、電話よりもメールの方が自分らしさを発揮できるんです」って。 「声よりも、言葉そのものに集中していただけるメールの方が好きなんです」って。 それって、ちっとも我が儘なんかじゃないと思います。 友人と言うほどには親しくはないけれど、それでも大切な知人から突然電話が来たときは、「お電話ありがとうございます。今は体調を崩していて、あまり長くお話しできませんが、必ずメールでお返事しますね」で良いと思います。 ともかく、電話よりもメールの方が助かるんだということを、周囲にそれとなく知らせておけば、それで大丈夫だと思います。 電話は鬱が良くなったと心から思えるようになってから、少しずつ慣らしていけば良いと思います。――長い話しに付き合わせてしまいました。どうかご自愛ください。
お礼
たびたびありがとうございます。少し似ていますね。 私の場合、前置きをするのは、できれば相手に理解してもらいたいからなんです。 元気のないわたしのまま受け入れてもらえたら一番うれしいです。 そういう日が多すぎて、避けようがないんです。 私自身、元気のない人はあまり気にならないんです。 不機嫌そうな裏に、悪意があるのか、わけがあるのか、言われなくても大体わかりますし、 言ってくれればありがたいとさえ思います。 私は本当に姿を見せたくない、声をきかせたくないわけではなく、 相手が誤解してつっかかってくるのが怖いです。 わたしの年だと、やっぱり元気な人が多いですから・・そこがしんどいです。 事務仕事してたとき、「いつもいつも不機嫌そうで眠そうで・・!夜の仕事でもしてるのか!?」 と、上司に怒られたこともあるのを思い出しました。 ほんとは、何かケチつけたかったのだろうとは思いますが・・ 若かったけど、フルタイムの仕事は、仕事だけで体力的にギリギリでした。 それに、当時の職場はタバコすってる人だらけだったのがますます良くなかったです。 元気なときのわたしは、人並み以上に健康な人に見えるらしくて、それがさらに誤解に拍車をかけるように思います。 たしかに、自分で言うのもなんですが、元気なときはいい笑顔と声してるな~自分。と思います。 子供のころですが、体育で走った後、過呼吸になりました。 先生は皆の前で、「ふだん運動を怠けているやつはこうなるんだ!覚えとけ!!」と言いました。 わたしは子供のころから、よく怠け者あつかいされました。ほとんどいつも疲れてましたし、 外で友達と遊ぶときには一番に音を上げていました。 体のことで人に誤解されることが、 思い返してみれば一番つらいことだったかもしれません。 体調不良そのものよりも、他人が追い打ちをかけてくることが辛いんです。 理解をあおいでも、わたしの病気や症状はこまごましたものばかりだし、難しいみたいです。 人に理解してもらいにくい人生なのが、つかれました。 他人はぱっと見分かりやすいものに理解を示しますよね。中身の苦労は関係なく。 大きな病名が1つついていれば理解してもらいやすいのだろうなあ、とかえってねたましく思うことすらあります。 病気そのものよりも、他人に理解してもらえるかどうか、そこが本当の苦しみを左右すると思います。 つらくても、理解されるとやっていけると思えるからです。 それがない、それどころか足をひっぱられるのがつらいです。 与えられた健康に甘えている人は、わかったふうな批判をしないでほしいです。 鬱がひどかったのはもう7、8年も前のことです。 いまは、体調が悪いときに鬱っぽいかんじにはなりますが、 体さえ元気なら、電話以外は、普段は鬱ぽくないかんじです。
携帯電話がまだなかった時代の話です。 私は高校の初めぐらいまでは電話がすごく苦手でした。 友達に掛けるのでも緊張しまくりで…お腹が痛くなることもしばしば。 というのも、先方の家族が取り次ぎに出るかもしれなかったからなのですが、失礼がなくて済むように先にメモ帳に台詞を書いて、それを読みながら話す…そんな感じでした。 緊張しているのを隠そう隠そうとしていたけれど、多分、声はうわずっていて、わざとらしかったと思います。 …で、今はメールと電話どちらが嫌いかというと「メール」。 話が下手でも、対面なら身振り手振り・表情で、伝えたいニュアンスが補えるし、誤解を受けても直ぐに解るから、その場で解消できるでしょう。 でも、メールだとそうは行きません。 顔を見ながらだと、こちらが言い間違いや失言をしても、向こうは悪意からではないことを理解してくれるけれど、文章だと深読みされたり、言いたかったことと違う解釈をされてしまうことがありますし、こちらがしてしまっていることもあります。(同じ思いをした方が、そういう表情や声の調子、“ニュアンス”を補う意味で、メールで顔文・絵文字を誕生させたんだなと…感慨深いです。) すれ違いが生じたとき、個人間のメールならまだしも、こういう場だと諦めるしかないときもあるわけで…。 何か言うと余計におかしな方向になるきらいがあれば、もうそこでスパッと終えるよりないなと。 私が電話の方が好きなのは、電話だと声の調子や間合いで向こうの表情が感じられるからです。お互いのその瞬間瞬間の気持ちを確認しながら、同じ時間を共有して話が進められるところが好きなんです。 文面だと残るものだから、こちらの気持ちだけではなくて、読み手側の“その時の気持ちが反映されてしまう”ものでしょう。こちらが書いたときのタイミングでメールを開いてもらえなければ、生の感情は届きにくいと思うんです。 先方が怒っているときや落ち込んでいるときに読めば、普段ならさほど気にならないことも、嫌味と受け取られてしまうかもしれないし、「楽しいことがあったよ!」と報告しても、気分が塞いでいるときなら、当てつけと取られてしまうこともあるかもしれません。 メールは書き直しが利く、だから送信するまでは幾らでも書き直しができます。 その便利さが、どうも私には合わないようで、その便利さ故に、どこからどこまで気を遣えば良いのか解らなくなるので、メールはあまり好きではないんです。 難しい話になればなるほど、言葉を厳選しようとしてしまい、その割には上手く伝えられなかったときは、ガックリしてしまいます。――その分、一発勝負の電話の方が気楽で良いです。 冒頭でお話ししたように、昔は喋るのが苦手だったから、電話では必ずメモ帳を見ながら話し、先方の家族に取り次ぎをしてもらっていたのですが、ある日、「もういいや、どうせメモを読んだって噛むときは噛むし、めんどくさいから、出たとこ勝負で話そう! 間違ったからってどうってことないさ!」と腹をくくったら、却ってメモ無しの方が普通に話せました。 メモがあったらあったで「棒読みにならないように」とか、「読み間違えないように」とか、却って色々気になって、それが私には良くなかったみたいです。 電話に関しては、成人してからもまだ苦手な方面がありました。 セールスの電話を切るタイミングを逃して長々と話を聞かされたり、親戚からロングバージョンの近況報告やら愚痴やらが掛かってきて、夕飯の支度が出来ない、同じ話を何度も聞かされる、という状況にイライラすることもありましたが、今はもう相手より自分の都合優先で電話をスパッと切れるようになりました。 セールスなら、二言三言も聞けば充分なので、こちらから一方的に「いえ、興味がありませんのでいりません」と直ぐ受話器を置きます。蘊蓄話が始まりそうなときは「私には価値が解りませんので、申し訳ございませんが、今のままで充分です」と言って電話を切ります。 親戚の場合は、話しがループしていたら「よくわかりました。ちゃんと伝えておきますね」と返事して、向こうが粘ろうとしても電話を切ります。 良い人と思われなくても、常識の範囲であれば電話は切っても良いんじゃないか、そう思ったら気が楽になりました。 「これ以上話を続けられても困る」そういう気持ちは、メールより電話の方が伝えやすいし、文章だと残るものだから余程上手な文面でなければ、相手は読み返す度に嫌な気持ちになることがあると思うんですよね。 だけど、電話だとその瞬間だけの話だから短くて済むし、後腐れなくサバサバしていて良いなと思うわけです。 電話の良いところに気が付いたら、電話が恐くなくなった者からの回答でした。
お礼
回答ありがとうございました。 ひとつ、気づきがありました。 無意識のうちに、電話や体面で、声色や表情をよまれることを避けようとしていたのだと思います。 サポセンを辞めた頃に体も弱り、どことなく体調不良の日がとても多くなってしまい、 その苦しみを隠しきれないからです。 体調がふつうにいい日は、とても少ないです。あちこち医者にかかっていますが少しずつしか良くなりません。 体調不良時の顔や声は、さえないものになりがちです。 あらかじめ体調が悪いと前置きし、気にしないでほしい旨を伝えてあっても、 相手は声や顔で結局全てを判断して、誤解してつっかかってくることがありました。 つらいときに追い打ちをかけられたような気分になります。 頭がいたかったり、貧血でフラフラしたり、昨夜ねむれなかったりすると、 笑顔で明るい声で話したくても話せません。 すぐ突っかかってくる人は、相手の気持ちがわからない上、 人の顔色を気にし過ぎ、自信がなさ過ぎ、話聞いてなさ過ぎなんだと思います。 理解してくれる人もいますし、私も人に同じこと言われたら理解できますので。 わたしは話している内容じたいの方を聞いてほしいのに、 顔や声などの方をよまれるのが、かえって不利益になったんです。 だからメールの方が安心して話せるというのがありました。 今回の気づきをかんがえたら、体調がやっぱりネックなんですね 体調が長年思わしくないことで、ほぼすべてがうまくいかなくなっています。 電話恐怖症でさえ、体調不良がおおもとにあるとは、考えてもいませんでした。 イヤな電話を切ることは大分よくなってきたのですが、 この件に関しては、相手のあることなので難しいなと感じます。
- rokometto
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私は嫌いですがそんなに不便を感じたことはありません。 「直接会って話す方がいい」と言っとけばだいたい納得してもらえます。(しぶしぶの人もいますが) ちなみに不登校になると電話におびえるようになります。 学校に来るように催促してるんじゃないか、家族がかけてるのは警察や学校で引きずってでも連れていく相談ではないだろうか、そんな思考になります。 ええ、実体験したしそうなったという人からの話も複数聞きましたから。 今も嫌いなのはそのせいかもですね。
お礼
あーわかるような気がします! やっぱトラウマなんですね 今は何の心当たりもなくても、ただ電話だけにビクつく。 直接会って・・というのはたしかに納得してもらいやすいですね ありがとうございました。
電話恐怖症は社会不安障害の症状として出るケースがあります。 人に聞かれる事に不安があったり、何か間違った事を言ってないか?また、それを誰かに指摘されるんじゃないか?のような恐怖、不安が原因です。 過去に電話で失敗した事がトラウマになるケースもあるでしょう。完璧主義や自意識過剰が根本原因です。その辺りを勉強して少しずつ是正していくしかないと思います。 対症療法として抗不安剤で不安を軽減させながら電話の練習をするとか、カウンセリングを受けるなども一手段だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 電話に出たら、いきなり何か怖いこと/イヤなことを言われそうで怖いです。 それに、電話を終わらせようとしても切らせてくれない/ 一方的に愚痴を聞かせようとする人がときどきいたのも、トラウマだと思います。 お人好しで、断るのが下手でした。よくつかまってました。 学生時代ですが、携帯電話をもつのも、仲間内ではわたしがほぼ最後でした。 もともと携帯電話がキライなのもあると思います。気の向かないときに捕まえられるのは煩わしいのが本音です。 固定電話の時代のほうがよかったと思います。 根本はお人好しだったのが原因だと思います。 こちらがかけてもいないのにかけてくる人は、何か私にしてもらおうという人ばかりです。 あの手この手で仕向けようとしてきます。 もう利用されるのに疲れたので、とことん改善したいと思っています。 プリペイド携帯にしていると、サッサと電話をきる言い訳がしやすいので楽な面もありました。 でももう、避けてばかりもいられないなという気持ちです。 でも節約にはなかなか便利で、1年に1万円ぐらいしか料金かかってません。 家にいるときはネットから電話をかけられるので用事もかなりそれで済ませられ、それほど不自由はない感じです。 わたし専用の固定電話みたいなかんじで、 かかってくることもないから気楽な気持ちにはなれます。 やっぱり携帯は、プリペイドでもいいのかも。。 まだわかりませんが。。 かけ放題のプランのときは、かえってかけないと損な気がしていたし、 バスの待ち時間など、待ち時間に時間つぶしをかねてかけることもありました。 それも時間を区切れて電話を切りやすかったし、こちらも時間が有効活用できてよかったというかんじはありました。 うーん そういえば、その頃はむしろメールをチマチマ打つのが面倒で、電話の方ばかりかけていました 10分20分のあいた時間に、ちょっとヒマだったから電話した~とか気楽にいえる人間でした。 メールの返事も電話でしてました。たんなる面倒くさがりですが。 今の私では、考えられません。 電話しなくてすむならメールの方がよっぽどいいやと思ってしまいます。 その方が面倒になってしまうこともあるのに。 カウンセラーさんは電話がつながらなくて、今予約をとろうとしてるところです。 どういうゴールに行きたいのか、自分でもよく分かってなかったことに気づきました。 自分に合わないゴールを目指しても、仕方ないですよね。
お礼
ありがとうございます。 すごくためになりましたし、理解してくださり感激です。 友とするに悪き者、の文は、初めて知りました・・まさにこのとおりですね。 これ書いて部屋にはっておこうかしら。ほんとに思い当たることばかり。 これまで、「悪き者」ばかり、周りにいた気がします。 理解されなかったり、見下されたり、利用されたり・・ 私はもうこりたので、しばらく前に、そのような人たちとは疎遠にしたところです。 「よき友」を見つけるまでは孤独がつづきそうです。 病気がちだと出会いもなかなか作れませんので。 カウンセラーさんも、正直かえてもらおうかと考えています。 「身強き人」・・一見よさそうな人が多いですが、そのとおりです。 弱い人の気持ちがわからず、自分の尺度ですべてをはかりがちですよね。 まえに、癒しのセミナー?みたいなのに参加したことを思い出しました。 交代でリーダーやって、10人ぐらいのグループで林の中をあるくんですが、 若くて元気な人がリーダーをやると、辛くなる人が何人かいました。 わたしがリーダーをしたときは、最高齢の人に合わせていました。 たしかに、調子の悪さにケチつける人は男性が多いです。 体調が悪い=怠け者、自己管理ができてない、と短絡的に考えるようです。 そんだけ言うほどその人がりっぱな生活してるかと思えば、タバコや酒、ジャンクフードなど不摂生ばかり。 不摂生してるのに、与えられた健康に甘えてるだけで偉そうなこと言うな!! と思います。 さきに書いた上司は女性、小学校の先生は男性です。 やっぱり丈夫な人だと思います。 それに、わたしに対してあまりいい感情をもっていなかったと思います。 わたしは、好かれるか嫌われるか、少し激しい方だと思います。 携帯は・・ほんと緊急用程度につかってます。 下宿なので、固定電話は大家さんので、呼び出しはさすがにちょっと迷惑かかるんで。 それに大家さん電話で長話するの大好きな人だし。 緊急番号以外は、ネットからかけることはできますのでたいていの用事はそれです。 受けられないけど、それがまた気楽で。 いまどき携帯がないなんて珍しいけど、たま~にいますね。元彼がそうでした。 彼の場合は、1人暮らしで固定電話を引いてました。 夜に留守電をまとめて聞いてかけなおすのが習慣だったようです。 わたしも固定電話の方が気持ち的におちつけるのかな・・ なんかいいなって思います。 出かける時にもっていく物がへるし。 わたし自身は、ケータイ嫌いの人にむしろ共感するので、そういう友達さがせばいいのかな。 なんか見えて来た気がします。 新しい出会いのある場にいったら、ケータイ嫌いをアピールして、仲間を探してみようかな。 あんまりそういう場にはいないのかも知れないけど・・どこで出会えると思いますか? 対等につきあえる友達がほしいです。 でもわたしもたいがい変わり者だし、同い年の人は子供に見えてしまいます。 はい、悲しみや怒り、あります・・ でも、その渦中でもがいてる時期をすぎ、そんな自分を一歩引いて見られるかんじにはなってきました。 だから、安心して悲しみや怒りの中に飛び込めるんです。 他人から見たら、一見ひどくなったように見えるかもしれないけれど、 わたしからしたらすごいそれが楽になったと感じられます。