大政奉還について
僕は歴史が好きで、特に幕末~明治にかけては大好きなのですが、大政奉還がいまいちよく理解できていません。
どうやら坂本竜馬が船中八策を考え後藤象二郎に提案したところ、後藤象二郎が土佐藩藩主山内豊重(容堂)に進言し、山内豊重(容堂)がかなりの勢いで「それやっ!!」と乗り気になった例のあれです。というのも、この当時幕府はすでに力もなく薩長の倒幕にびびっていたんでしょう。そこで大政奉還することにより、朝廷側が倒幕の密勅を出せないからです。この部分がわかりません。
山内豊重(容堂)は後藤象二郎から大政奉還について提案された直後、徳川15代将軍徳川慶喜に進言し、慶喜は悩んだ挙句大政奉還を受け入れ政権を朝廷に返しました。
徳川家終焉の歴史的な日です。
しかし、幕府としては朝廷に政権を返したところで朝廷には政治を仕切る力はないと仮定し、実質的には幕府に政権が戻ってくると考えたのでした。
しかし、そこで朝廷側は王政復古の大号令を出し徳川幕府を崩壊させました。これは幕府側にとってかなりの誤算だったみたいです。この朝廷側の決定に小御所会議で文句を言ったのが土佐藩藩主山内豊重(容堂)です。かなりのカウンターをくらったことでしょうね。
ここまでは何とか独学で学べたんですが、ひとつ理解できないことがあるんですね。さっきも書いたように、なぜ大政奉還(朝廷に政権を返す)することによって、倒幕の密勅が出せなかったのか??ということです。僕個人的な見解としては、大政奉還することにより政権は朝廷にあるのだから、その時点で倒幕をさせることはできなかったのか??ということです。
本当に気になってます。教えてください。
お礼
ああ、なるほど! 慶喜公なら、きっとそうでしょうね。 どうもありがとうございました!