多くの方が回答しているので、重複は避けますが、
やはり、国鉄全盛期、あるいは国家権力が強かった時期は、私鉄の方が先につけた駅名でも、
譲らざるをえなかったのではないでしょうか。
しかし、そうした国家権力だけではなく、どう見ても市の中心に位置する駅が私鉄だった場合には
必ずしも、国鉄優先でもなかったように9思えます。
川越駅は、先にあった(命名した)今の西武鉄道(当時は川越鉄道)が「川越」とつけて、しかも駅は、市の中心というか、にぎやかな位置にあるのに(今と同じ)、西武は「本川越」として<こっちが本当の川越駅だ>と言いたかったのでしょう。
市街地より外れたところにできた国鉄(東武東上線駅も同じ位置)に「川越」という名前を譲っています。
でも、国鉄時代にできていた「飯能市」にかかわる駅名は、西武(当時は武蔵野鉄道)が「飯能」駅で、国鉄は「東飯能」駅です。(どちらも「市」はつきません。西武の駅の方が、市の中心というかにぎやかなところ、東飯能は少し外れたところです。(西武は、飯能と東飯能の両駅あり)
JR時代になると、さすがに、JR様に、頭にもおしまいに何もつかない駅名を譲ることはなくなって、
JRといえども、後から開設した駅は「市」とか「東西南北」「中央」などを冠したようです。
例として、所沢(西武新宿線・池袋線) 東所沢(JR武蔵野線)
私の主観です。私の回答が間違っていたらごめんなさい。