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なぜ人を殺してはいけないのか?
- 人を殺す行為の是非について、一般的には殺人は悪であるとされています。
- ただし、一部の特殊な場合には、生命を守るために殺人が必要な場合もあるという意見もあります。
- 個々の社会や文化によっても殺人の定義や評価は異なり、複雑な問題であると言えます。
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人間が人間を殺しちゃいけないなんて人間のエゴ 他の動物は良いのに? 答えは多分分からないと思います 人間が進化の頂点にいなければ人間も常に他の動物と殺し合いの毎日でしょうし 人には生きる権利がある だから殺してはいけない これもエゴだと思う 殺されて良い人間なんか居ないんだ!(サスペンスのせりふによくありますが) 殺されるべき人間はいると思います 私には答えは分かりません どれが正解かなんて永遠にわからないですね 人である以上は
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- zituzonsixyugi
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日本国内でどのような形であれ平和時に殺人を犯せば、 法的には確実に道徳的には大抵、罪とされるでしょう。 でもこれが殺人を容認する場所では罪にも道徳的に悪にもならない。 道徳と倫理や人間の概念において「正しい」と証明するシステムはありません 故に多数決という方式と少数を守るための法が整備されてます、あくまで国が許す「自由」の範囲で。 「どうして豚さんを殺して食べてもいいの?」という発言には「どうして豚さんを殺してはいけないの?」という事を忘れていると思いますし、殺してはいけない範囲を人間は定義してはいけないという絶対もありません。 日本国ですら自衛による殺人と国家の脅威を排する殺人を罪とはしてません 人は恐らく地球上で唯一道徳や倫理を理由に食事を選別して食べる事も辞さない生き物だと思います。人によっては動物を殺す事を前提とした生活を倫理や道徳上良しとせず、動物性のモノはなるべく排除して生活する人がいますし、そういう考えが無い人は普通に焼き肉やら狩猟やらやるわけです。 結局は考えが正しいかどうかの証明は自分自身でしか行なえませんし、どのような発言も様々な視点から解することが出来る故に完全な解答はできないでしょう。完全な解答無き故に何万通りの答えを勝手に作られるのだと思います。 「あなたはどう考えるの?」と聞いてみてはどうでしょうか、もしくは素直に「私もわからない」「答えは無いと思う」とか感じる事を言ってみてはどうでしょうか。
人食いの習慣は食欲を満たす目的でない事はともかくとして… 食われる方と食う側がいるわけです。 食う方はともかくとして、食われる方になりたいでしょうか? これが全ての答えだと思います。 食われたい人なんて多分ほとんどいないと思います。 両者同意の上で食ったとか言うならともかく… 嫌がる人がいる以上無理強いするのは悪であると考えます。 そんなに深く考える必要はないでしょう。 これだけの理由で充分だと思います。 至極単純な話だと思うんですがねぇ。 逆に言えば戦争なんてのはある意味で死にたくないというお互いの思いが起こすものでは? 国家対国家の政治的な話はともかく戦場に駆り出された前線の一兵士にとっては殺されたくないから殺すのだと思います。 まあ、ある意味で戦争とはその個人の思いを国家的に利用したものではありますが…
- michael-m
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一つだけ大きな間違いを指摘しておきます。 食人種は食べるためにヒトを殺したのではありません。それは大昔の文明人が自分勝手に解釈したことです。 食人の風習は、相手の勇気と偉大な戦士としての魂を受け継ぐことを意味していました。だから無闇に殺して食べたわけではありません。 魂という概念がなければ食欲を満たすだけの行為ですから、人が人を殺していいのか悪いのかという問いに答えることなど出来ませんよ。 正義など多数の論理でしかありません。この世に絶対善や絶対悪などないのですから。 この世に存在する生き物はすべて他の生き物を食べて生きています。それは天が授けた配罪でしかなく、受け入れるしか仕方のないことです。 下等生物であれば、例えば熱水の成分からエネルギーを作って生きる物も居ます。人間には猛毒なものでも彼らにとっては糧になるのです。しかし膨大な肉体と頭脳を維持する動物では、最も効率的なものは他の生き物を食べることです。 ライオンや鹿や鳥や魚であれば、生きるためだけに殺して食べることしかありません。そこには是も非もありません。子孫を維持するための手段でしかないのです。 しかし人間だけが心を持っています。心の問題を魂の概念抜きで説明しても不毛でしかありません。そしてそこには「お陰様」という概念があります。自分の本能を満足させるだけではなく、他をも生かすための概念が「お陰様」です。 それをよく考え、自分が満足するだけの行為なのか、未来に繋げる行為なのかを考えて判断すべきことなのです。 イラク攻撃は大儀はありましたが市民を多く殺し、部族間の武力衝突が起こり、不正政権の方が平和だったと言わしめています。日本もそれに加担したのです。 原発は一部の利益だけを求める物で、そのために手抜きをし、未だに手抜きをし、未だに放射線を世界中にばら撒いています。コレが自己満足以外の利益を得る手段でしょうか? 総論的には答えなど出ません。総論では基本的な概念だけを把握し、それを元に各個で判断するしかないのです。
- paddybird
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>息子「だと、殺人はいけないことだ、という定義づけは あくまで対極する2つ以上の勢力のうち、一つの大きな社会というか コミュニティー側の意識、ルールみたいなもので決まる、ということなのかな」 私もこれが正解だと思います。社会はルールがないと混乱して成り立ちません。初歩的な事では「赤信号では止まる」があり、究極は「殺人はいけない」になるんだと思います。そのために法律を作ったんです。 少年法は「更生」がテーマなので、殺人を犯しても成人より減刑される場合があります。しかし成人は厳格に規律を守らないといけないので、殺人を犯すと「死刑」になる場合もあります。「殺人はいけない」はお互いが安全に生活するためのルールですが、そのルールの罰則は犯した人の刑事責任能力によって適応が変わってきます。「更生」させるのか「一生閉じ込める」のか「死刑」にするのか。 「死刑」は究極の異分子の排除方法です。この場合は「死刑」=「殺人は許される」ことになります。要するに「殺人はいけない」は単なるルールです。宗教上の理由で特定の動物を殺してはいけないと決めることも単なるルールです。その宗教に従っていない人は平気で殺して食べます。そのルールに従う理由がないからです。
- kque
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人間の考えなんてオリジナルなものはほとんどなく、他人が考えたものを自分のものと思って生活しています。 シンプルに区分すると・・・ 1.宗教 2.法律 3.思想 4.マナー 5.ローカルルール(習慣含む) 恐らくこのどれかに属する考えを元に、我々の善悪は存在すると思います。 人食い族の件は、5.に属するでしょう。 ベジタリアンに場合は3.に属するでしょう。 それ以上の存在である、宇宙の根源的な善悪は私ども人間の考えの範疇の外ですが^^
はじめまして 人食い族、ですか・・草食動物なら共食いってないですよねえ、たぶん?、肉食動物でも滅多に共食いしないと思うのですが、 人食い族自体が本当に人間なのですか?言い過ぎかもしれませんが、ヒトの格好した肉食動物以下の生き物に思えます、人食い族を人間として考えるからややこしくなるのだと思います。 自然界じゃライオンだって人間がノコノコ歩いてたら襲って食べるでしょう?だからと言って人間が食べもしないライオンを人間が殺してもいいって事もないですよね。? 当然、人間って言われる生き物が、人食い族は食べないのだから殺してはいけませんですよね。 食べるから殺していい、て言う事自体間違っていると思います。 人間なら特によく考えればわかる筈です、この世に生きているものは、他の命をもらって生かされている、と自分なら云います 豚さん、魚さん、鳥さんお野菜だって生きている、全ていなくなって食べるものなかったら、お腹すいて僕たちも死んじゃうよね だから感謝を込めて(いただきます)って言う言葉があるんだよ、と。だからどんな命も、たかが人間がむやみに奪ってはいけないのです。 生意気いってすみません。
- raski
- ベストアンサー率34% (140/403)
こんな話を聞いたことがあります。 長寿社会になって、「身内の死」が若いうちに感じられないのだと。 こうなると年寄りとしては、早く死んで見せた方が次世代の為なのかなと思いますし。 僕だって小学生の時に祖母を亡くして「死」って考えましたもの。
- doorakanai
- ベストアンサー率27% (758/2746)
法律で決まっているからです。 人を殺して良い となると傷害も有効、となると強盗も有効になります。 窃盗や強盗が有効になる根拠は 「逮捕する!」→ヤだから殺す→誰も逮捕しない になるからです。 これがないと明日の計画も立てられません。 悠長に晩御飯なんて食べてる場合ではないし、 こんなところで質問や回答なんて、とんでもない。 社会が成り立ちません。国も滅亡します。 それではやっていけないので法律を作り、 わたしゃあんたを殺さないから、あんたも私を殺さないでね という、社会に属する者として暗黙の契約を生まれながらにするのです。 しかし所詮契約に過ぎないので、それを守らず殺人を犯す者は後を絶たないし 戦争は国を守る為だからこっち優先だし、人食いは昔から色んな国であったそうですし、 人間以外の動物とは、こんな契約は交わしていないので食べます。 殺人罪は、死刑・無期・5年以上の懲役ですが、 これより刑罰が重い犯罪は「外患罪」 他国が攻め入るのに有利になるよう取り計らう事で、死刑一択です。 国が滅亡しかねないような事をする者は問答無用で死に値する と、法律は考えているのですね。 殺人がいけない根拠は、社会を成立させる為に必要だからです。 >一つの大きな社会というかコミュニティー側の意識、ルールみたいなもので決まる これが正解でしょう。
- sunsowl
- ベストアンサー率22% (1025/4491)
いいんじゃないですか? 別に人を殺しても。 ただ、人を殺しても構わないという世の中で、質問者は気持ちよく暮らすことが出来るでしょうか。 明日から法が改正され、人は人を殺しても裁かれないということになったとします。 どう思いますか。 あっそ、位の軽い気持ちで乗り切れるでしょうか。 その昔、ナチスに大量虐殺されたユダヤ人や、一瞬のうちに命を奪った広島・長崎の原爆のこと等を考えますと、そのような歴史上の悪行から我々が学ばなければならないことは、まだたくさんありそうですよね。
難しい問題ですよね… 他の方と同じく明確な答えはないと思いますが、それぞれの考えることを話し合うこと自体が大切なような気がします。 話し合いも一度だけじゃなくて、その後少し時間を置いて再び話してみると、お互い違った考えが出てきたりすると思います。 人食い族の件ですが、聞きかじった情報ではありますが、割と最近までそういう種族はいたようですね。 今もいるのかな? 文明の発達によって廃れたのだと思いますが、傍から見れば野蛮とも言える種族ではあるものの、彼らの中には何か明確なルールがあったと思います。 それを知れば人食い族の是非がもう少し深まりそうな気がしますが、私もその辺りの知識が足りないので何とも… ただ、廃れた理由としては 「人間として、迷惑であるから」 ですよね。 人間は自分たちの命を脅かすものに対してかなり敏感ですから、今だって致死率が50%に満たないような病気にすら躍起になって対応しています。 従って、「何故人間を殺してはいけないのか?」に対しては、「自分が殺されたくないから」というのが一番近いような気はします。 反面、「自分が生きるために仕方なく人を殺す」という部分についてはかなり寛容になってきていると思います。 昨今でも、殺人罪に問われても正当防衛と認められればずいぶん罪が軽くなる傾向がありますし。 これが何百年か前や他の国であれば、どんな場合でも殺人は100%死刑みたいな感じだったのではないでしょうか。 これを思うと、人食い族がもし 「人間を食べることでしか、命の維持ができない」ということであれば、少し思うところは違ってくるかも… 他の生物を殺す是非についてですが、これはもう完全に「情」ですよね。 まず人間はどうしても、「かわいい動物」に対して甘いです。 私も私も動物と暮らしていますのであまり深めたくはない話ですが、可愛い動物が放し飼いにされて野生化し増殖した場合、捕獲して里親を探すという事例が何度も見受けられます。 それに対して、ヤギやシカなどは、飼うことも不可能ではないですが、しかし増えた個体は「駆除」と称して殺されることになります。 そんな感じのことを考えながら私が個人的に行きついた考えとしては、 食べ物には須らく感謝をして、極力無駄にしない。カケラまで使い切る。 そうして得ている日々の自分の命を無駄にすることなく、自分や他人や世界のために役立てるよう努力を怠らない。 そのように心掛けること… ですね。 超ご立派な話ではありますので、100%実行できているわけがありませんが、時々だらけた時に思い出すと気が引き締まります。 大して学もない人間の考えることなので、所々話が破綻していると思います。 ご参考までに留めて頂ければと思います。
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