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後悔と弔い - 父の最期と私の思い
- 私の父が亡くなったことによる後悔と、弔いについての質問です。
- 火曜日に父の最期の言葉を遮ってしまったこと、土曜日に父の看取りに立ち会えなかったことに後悔を感じています。
- 今は毎日父を弔っており、仏事について少しずつ学んでいます。
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質問者が選んだベストアンサー
私は父が臨終したと言う知らせを国際電話で日本にいる家族から 受け取りました。即刻飛行機のチッケトを取っても通夜にも間に合いません。 しかも当時私は超高層ビルの建設設計を一人で担当してて引渡し前の 突貫工事現場で手書き図面を皆に出さないと駄目な状況に居ました。 父に「なあ父さん。俺、この状況で帰って良いと思うか?」 「俺、父さんならばか者!!何百人もの人がお前を頼って居る時に帰って来る奴があるか」って 言う様に思うんだけどさ。と思った瞬間に涙が溢れて号泣してしまいました。 父が他界して既に7年が経ちますが、今この瞬間もあの時の事を思い出すと涙が出ます。 私にとっても父は常に超えなければ成らない存在でした。 或る日二回目の退職をした父が日向ぼっこしてる後姿を見て、くそ!なんで弱くなったんだよ 何で俺が超えるのを待たずに自分勝手に弱く成りやがって。と悲しくなった記憶があります。 幼い頃は厳格な父に反感ばかり持っていましたが、自分がパパから親父と呼ばれる様になって 色々父について解った事が有ります。 貴方は良い息子さんです。緒父上も幸せな方です。ちゃんと父親にありがとうと言えたんですから。 お経も良いでしょう、でも私は心の中で父と話す事にしています。 その方が父も喜ぶのではと思って居るからです。
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- Saturn5
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臨終に間に合わなかったのは気に病む必要がありません。 どうしても、今の社会では仕事を頻繁に休むことはできず、病院側にも宿泊施設は ないためにそうなってしまいます。 お父さんは、自分の死期を悟って感謝の言葉を述べておられるではありませんか。 人間はだれも死ぬものです。 家族から愛された立派な人生だったように感じます。 親が亡くなるときに思うことは1つしかありません。 残された子供達が健康で楽しく生活できるからと言うことです。 般若心経を唱えるのも悪くありませんが、お父さんの意志をくんで、質問者様と 弟さんが健康に生活していくことが何よりのご供養だと思います。
お礼
父は長男の私にとって、20歳頃までは、大きな「壁」でした… 乗り越えなければならない「壁」でした… 亡くなった父の、綺麗に整理された書類を見ると、 ますます、父の「偉大さ」を感じてしまいます… 肝硬変でも、肝臓癌でも、大好きな酒を止めなかった父です。 もう1年前から覚悟はしていましたし、 父のそういう「生き様」を私は同感できると思っています… 私も弟も長生きしよう、と思います。 本当に、ありがとうございます。 m(_ _"m) 孫を抱くまで生きてくれた父に、本当に感謝しています。
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お礼
何て言って良いか解りませんが、 回答者様の体験、すごく、ズーンときました・・・ 私は42歳ですが、まだ娘は8歳と2歳です。 まだ「パパ」と呼ばれ、「親父」とは呼ばれていません… だから、まだまだ、私は、回答者様の「域」にまで達して いないと思います。 まだまだ父を理解していないと思いました… 息子と娘の違いというのもあるかも知れませんが、 父親というのは、息子に対しては、敢えて「厳格に」なるのかと? そう思います。 私の父も、厳格でした。もう30年前の時代のことですが。 勿論、父に反発し、大学受験で父を超えようと無理をして、 失敗し、鬱病になってしまいました… 人より6年遅れて大学に入れて貰い、当然、就職も無く、 家庭教師のアルバイトしかすることが有りませんでした。 たまたま、今の妻が、私の病気を理解してくれて、 結婚し、2人の娘に恵まれました。 私は、一時期、塾の講師を数年していましたが、 でも、鬱病とそういう社会の組織に負けて、退職を余儀なくされ、 結局、妻に働いてもらい、今は「主夫」をする始末です…… 私自身も、こんな自分に失望しましたが、 父は、もっと「失望」したと思います……… 私は、私なりに開き直って、 「主夫」という生き方を肯定しましたが、 でも、嬉しそうに孫を抱いてくれた父の心中は未だに解りません・・・ 父は昭和16年生まれ。 戦中、戦後の厳しい時代を生きてきた人です。 父の父、つまり私の祖父が戦後で、裸一貫から、 自転車1台を借りることから商売を始め、一財産を作り、 父も「祖父という壁」を超えようとしていたかも知れません。 すみません、何かお礼じゃなくて、私の話になっていますね… でも、貴方のお父様が、2度目の退職をして、 貴方が、日向ぼっこしている、お父様の後ろ姿を見る気持ち、 おぼろげですが、解るというか、想像が出来ます… 私の父は、最期まで弱いところを見せようとしませんでした。 肝硬変の腹水でお腹がパンパンになって苦しいのに、 亡くなるまで、苦しいとは医師にも言いませんでした。 我が父ながら、何て言うか、「スゴイ」「見事」と思いました。 父は、そうやって「生き様」と「死に様」を私に見せてくれました。 肝硬変でも、肝臓癌でも、酒を止めなかった父。 会社の仲間と飲む酒が、楽しく美味しかったんだと思います。 弟は酒を止めて長生きして欲しかった、と言いますが、 私は鬱病の希死念慮からきているのかも知れませんが、 自分の子供を「責任を持って」育て上げたら、 自分の使命は終わり、という父の観念が解る気がします。 本当に自分の話になって、申し訳ありません。 父は、生前、よく、こう言っていました。 「孫は無条件に可愛い。 しかし、子供には親として<責任が有る>から、 子供は可愛いだけでは済まされない」 と。 今日は土曜日で、父が亡くなって2週間です。 私は妻と2人の娘を花見に連れていってきました。 不謹慎かと思われるかも知れませんが、 日常生活は父の死と関係なく進んでいくんですね… 本当に私の事ばかりで、まとまりも無く、 本当に申し訳ありませんが、お礼の順番も間違えていますが、 書かずには居られませんでした・・・・ 今日は、実家に行って、父を参り、 私の家族と母と一緒に食事をします。 残された母に寂しい想いをさせないために。 今はもう、ただ淡々と父の残した年金・保険・相続の 手続きを進めるだけの毎日です。 でも、実家に行けば父の祭壇があり、 父に参ります。 もうすぐ、父に会いに行きます。 父と話をしようと思いました。 本当に雑な文ですが、ありがとうございました。 本当に申し訳ありません。 m(_ _"m)