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他人の楽曲を自分の曲だといって偽る人
他人が作曲した楽曲を、自分の作品だといって披露してしまう人について どう思われますか? 素人の人で時々そういう人がいますが、プロの世界でそういうことが起きた場合 被害甚大だったりします。 たとえば、それが交響曲や協奏曲、ソナタなどの正統派の音楽だった場合・・・ 盗んだ側が、それによって音楽的な名声を得てしまうという・・ということも起こりえます。 盗んだ人が、自分より何世代か前の、自分の家系にいた音楽家の曲だといって ねつ造をした場合は、あたかもその人の家が音楽の名家であるかのような偽装まで できてしまう・・・・。 しかし、しょせん音楽的な才能のない人がろくに作曲もできないくせに、どれだけ作曲家の名家を標榜したところで、いずれはいき詰まることになるでしょう。 そうなっても、執念深く音楽の名家というイメージにしがみつき、新たに盗める楽曲はないかと 新人などの物色をするさまは、醜悪だとしか言いようがありません。 実際に、現実にそういう人がいるのですが、その人は世界的にはまだウソがばれていないうえに、 かなり有名な家なので、真実を言っても信じる人はいないでしょう。 そういう人が、何を勘違いしたのか、その人自身に作曲の才能がないにもかかわらず、 下手の横付きで曲を作曲・・披露してバッシングされた挙句、それを誰か才能のある無名の新人のせいにする・・ 悪循環です。こうやって才能のある人が、才能のないただ宣伝だけがうまい偽物に つぶされていく・・・・。こうやって芸術が、衰退していくと思いますね。(幸いなことに、今現在はそのサイテーな楽曲群は、その人の家もしくはその人自身の作だと正しく見られているので、自業自得の状況になっていると思います。) だから、才能もないのに他人の芸術を盗んだりするような輩にたいして、どんどん糾弾していくべきだと思うのですが、どう思われますか? たとえそれが世界的に有名な芸術の家だとしても、事実をあかきらかに公表し、非難をしていかないと芸術の世界を破壊しつくしてしまいかねないほど増長すると思います。 そういう人は、相手が外国人だったり、無名の新人だったりすると、自分の家に楽曲を貢いで当然だ・・もしくは盗まれて感謝しろ…といわんばっかりの態度で公然と芸術作品を略取していきます。 すさまじいサティロスみたいな強欲さで、何十曲も楽曲を略取し続けた挙句(本人は作曲など全くできないのに、作曲家だと偽り続けるために)、まるで地獄の果てまでやってくるがごとくストーキングして付きまとい、才能のある人の才能をむさぼりつくす・・・ 化け物と化しているにもかかわらず、世間的にはばれていない・・・・・・ そういう輩には、どれだけ非難しても無駄でしょうか?
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- TAC-TAB
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で、あなたの解決したい御質問はなんですか?
- TAC-TAB
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で、あなたの解決したい御質問はなんですか? あなたは自分の考えに同調する意見だけを求められていませんか?それによって溜飲を下げようとされているだけではありませんか?色々な意見を求めようという姿勢ではないですね。 回答者No.1さんも、2さんも、貴重な時間を割いて回答を書いておられます。まずそのことについてキチンとお礼を書くべきです。お礼のらんにお礼以外のことを書くものではありません。このコーナーはQ&Aであり、ディスカッションの場ではありません。 まず、「お忙しいなか、御回答ありがとうございます」から書くべきです。 その程度のマナーは心得たうえで質問して頂きたいものです。 ここに質問を書かれた以上、色々な回答があるのは当然で、中には意に反するものもありましょうが、それも貴重な意見・考え方として「なるほど、そのような考え方もあるのか・・・」というように感謝して拝読すべきであり、意見を書いてくれた人に対して、批判を加えるなどは失礼です。イマイチの意見はスルーしておけばよいのです。 あなたの文章も独り善がりでわかりにくいです。「新人」と書いている云々についても、現代にも大昔にも「新人」は居ますし、No.2さんが、昔のことを単なる一例として引用されているのは明らかですよ。「新人と書いているではないか!いまのことだよ!」と目くじらを立てるあなたが間違っています。 ところで「著作権」というのは、作品ができた途端に自然発生するもので、申請したり、登録したり、届け出る必要はありません。著作権法は親告罪といって、正当な権利者あるいはその代理人にしか訴える権利がありません。間違いなく自分の作品を真似られたというのであれば、手順を踏んで訴状を書けばよいのです。 他人が真似をしたというのなら、その作品はなんらかの形で公表されたはずなので、その証拠を出せば良いですし、本当に自分の作品であるのなら、「下書き」や創作メモがあるはずです。下書きは盗作についての法廷争いについて、強力な証拠資料となります。作品を作るに当たっては創作者は草稿から完成までのストーリーが客観的に判るメモや下書き、ボツ原稿などがたくさんあるはずですが、盗作者の手元にはそのようなものが無いのです。従いまして、本当に盗作であると確信があるのなら、キチンとした手続きの元に相手を訴えて裁判官の判断を仰げばよいと思います。正当な権利者を守る為に法的な手段があるのに、相手を訴えずに、「あの人は盗作者だ」と叫んでも誰も相手にしてくれないと思います。当然です。どちらの言っていることが本当かは第三者には判りません。 >他人が作曲した楽曲を、自分の作品だといって披露してしまう人についてどう思われますか? それはけしからんことですが、上記のとおり他人の曲を自分の作品にするためには、その曲の録音だとか、譜面などが必要です。ということはすでに公開されているはずですから、公開時の資料を添えて訴えればよいと思います。あるいは学生の作品を、本人の了解無く、教授が自分の名前で発表するなどもあり得ますが、世間にバレたときのリスクを考えると普通はあり得ないと思います。盗作は、バレたときには、その世界では再起不能となりますから、普通はしないものです。また、たいていはバレて敗訴となります。 >素人の人で時々そういう人がいますが、プロの世界でそういうことが起きた場合、被害甚大だったりします。 プロの世界で被害甚大であれば、その被害金額を訴状に書けばよいです。 被害金額が算定できなければ、慰謝料や謝罪要求ということで訴えることもできます。 なぜそうされないのですか? 他人を盗っ人呼ばわりするのは大変なことですが、間違いの無い証拠があるのなら堂々と訴えるのが良いと思います。 >そういう輩には、どれだけ非難しても無駄でしょうか? 本当に大量の盗作をしていて被害甚大であれば、キチンと被害者が訴えるべきです。 それをせずして非難しているだけでは、ねたみ・やっかみと取られても仕方がありません。 Aさんが「自分の作品だ!」と言っている、一方Bさんも「自分の作品だ!」と言っている状態ということであれば、第三者はどちらが本当かは判りません。 盗作は法律でも禁じられていますし、けしからんことには間違いがありません。しかし、盗作かどうかは最終的には裁判所が判断することです。不本意な判決が出るかもしれませんが、日本は法治国家なので、それは仕方がありません。訴えるという手段があるのに遠吠えしていると「勝つ自信がないからだ」と見られても仕方がありません。
補足
あなたのものの考え方を見ていると、盗作という行為そのものを全く問題のない事だと肯定しているような回答をしている人にすら、明らかにお礼を言えと言っていますね。 あいにくですが、“第3者にとっては誰が作曲したかはどうだっていい”というような、明らかに 盗作行為をまるで問題ではないかのような回答をしている人に対しては、“色々な回答があるのは当然で、中には意に反するものもありましょうが、それも貴重な意見・考え方として「なるほど、そのような考え方もあるのか・・・」というように感謝”するつもりはありません。 ものの考え方がおかしいですからね。なのに、批判するなというのはファシズムでしょう。 それと私が言いたいのは、だれも“編曲”や“民謡”をモチーフにした曲のことを言ってはいない・・ ということです。それを“大昔にも新人はいた”といって言葉尻をとらえてまぜっかえすのはやめてください。作曲という言葉から、編曲や民謡などのモチーフをつかった曲のことを思い浮かべる人はいません。それなら最初から編曲というでしょう。 また、それが作られた直後から著作権が発生する・・のかもしれませんが、知的所有物として知的所有権が発生するのは、自分の名前で登録がされてから後のことです。裁判を起こすにあたって、この知的所有 権がまだ取得されていない場合、裁判を起こして損害賠償などの金銭を要求しても認められることがほとんどないそうです。たとえ、譜面や録音などを提出しても、敗訴する場合がほとんどだといいます。 したがって、盗作してもバレない下地ができあがってしまっており、音楽界では盗作、盗用などが公然とおこなわれていると聞きます。こういう現状が、音楽の世界を衰退させているのですが、やっている人たちには罪悪感はないのだろうか?と不思議になりますね。 私は、また違うところで同じように知的所有権の侵害を理由に裁判を起こしたことがあるのですが 驚いたことに、知的所有権をすでに取得していたにもかかわらず、請求した損害賠償の金額は裁判で 認められませんでした。すでに知的所有権を取得していても、こういう状態ですから、どれだけ 譜面や録音などを提出しても所有権を取得していない場合は、敗訴の判決しか出ないでしょう。 盗作する側は、明らかにそれを見越して盗作しています。しかも、裁判で認められなければ 世間だってあなたみたいに“どちらが本物かわからない”に違いないと・・・と高をくくっているのです。 嫉妬やねたみの話はやめておきましょう。物事のとらえ方がおかしいですからね・・・。 まるで“世間にばれずに盗んでやったぞ・・”といい気になっている人が、言っているみたいです。 こちら側が嫉妬したりねたんだりするには、あまりにもその人の才能がなさすぎるので、かなり無理があります。自分では、いい曲だと思っているのか、中途半端に扱った挙句 ギムクラック状態のサイテーな楽曲を得意げに演奏している姿は、哀れにも思えてきます。 しかも、その次の曲を新しく作曲する才能はその人にはないのですからね。 音楽家としての活動をそれ以降、永遠に中断せざるを得ないでしょう。その人にとっては いわば、一発屋の落ち目のアイドルのような状態が、人生の大半を占めるのです。 だから、必死で宣伝しまくるのでしょうが、あまりにもしつこいのでいい加減、第3者も飽きてきます。 そういう盗作者たちは、いい加減、第3者たちが飽き飽きしてうんざりしていることに、気がついたらどうかしら?
- Tann3
- ベストアンサー率51% (708/1381)
質問の意味が全く不明です。No.1さんの回答への追加内容も読みましたが、どういったことを問題にしようとしているのでしょうか。 >プロの世界でそういうことが起きた場合被害甚大だったりします。 実際にそういうことが起きているなら、著作権法違反の犯罪でしょう。受けた被害は、損害賠償請求できます。法的に自分の正当性を主張できます。 真の作者が、そこまでの屈辱感を味わいながら、何故黙っているのか、そこが全く理解できません。世の中に真実を伝える手段、訴えるところはいくらでもあるはずですので。 もし、何がしかの謝礼を受けとることで契約上著作権を放棄している、ということであれば、その時点で一時的に問題は解決しているし、次の新作を自分の名前で発表すればよいわけでしょう? 仮に、新人が自作を世に出したいときに、意図的に「有名人の作品」ということで注目を集めたいと考え、有名人の名前を借りるということもあるかもしれません。しかし、それで曲が有名になって実力が評価されれば、次からは自分の名前で公表すればよいのです。 本を出版する場合など、実際の著者以外に有名人を「監修」とか「編著」などという名目で連名にすることはよくあります。どこの馬の骨か分からない無名の作者よりも、名の通った作者の方が売り込みやすい、ということがあるのでしょう。 そうではない、単なるパワハラ的盗作ということが、現代においてあり得るとは思えません。 >盗んだ人が、自分より何世代か前の、自分の家系にいた音楽家の曲だといってねつ造をした場合は、あたかもその人の家が音楽の名家であるかのような偽装までできてしまう・・・・。 これならあり得ることは理解できます。 昔の埋もれた作品を発掘して、自作もしくは架空の作者の作品として公表する場合は、オリジナルにそもそも著作権がなければ、法律違反や損害賠償の対象となる被害を与えることはないでしょう。 有名なところでは「カッチーニ作曲のアヴェ・マリア」がありますね。 ↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B#.22.E3.82.AB.E3.83.83.E3.83.81.E3.83.BC.E3.83.8B.E3.81.AE.E3.82.A2.E3.83.B4.E3.82.A7.E3.83.BB.E3.83.9E.E3.83.AA.E3.82.A2.22 こういったケースでは、真の作者が公表されなければ真相は分からないので、どれだけの実態があるのかは不明です。 ただ、「自分の家系」というのは全く意味が分かりません。著作物はもっぱら個人に所属するものであり、血縁関係にどんな意味があるのでしょうか。そんな「家系」をありがたがる社会もないでしょう。 古い曲は、作者を偽ろうが、内容の優れたもので広く世に出すことで功績があれば、それでよいのではないかと思います。その人の自作か、あるいは苦労して発掘したものか、いずれにせよその人の何らかの「努力」があったわけで、その曲が世に受け入れられるものであれば結果オーライだと思います。 クラシック音楽には、伝統的に他人の作品を下敷きにした作品は多く、かの大バッハもヴィヴァルディやテレマンの作品を編曲していますし、「マタイ受難曲」の中のコラールは当時知られていた他人の作品をたくさん取り入れています。 モーツァルトはバッハ作品を編曲していますし、リストはベートーヴェンの交響曲をピアノ用に編曲し、最近ではベリオ作曲「シンフォニア」はマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章を下敷きにしたコラージュ作品です。「民謡」を引用又は下敷きにした作品は枚挙にいとまがありません。 他人の権利や利益を侵しているかどうかが、唯一の善悪の判断基準です。 いずれにせよ、いろいろなケースがあるし、内実が明らかでないものもあるので、一概にどうこう言えない話で、ケースバイケースで取り扱えばよいものと思います。
補足
あなたは、まったく私が書いていることを読んでいないか、おざなりにしか理解していないとしか 思えません。 誰が、古い曲のことを言っているのですか? “新人”だといっているでしょ。もちろん今は現代ですから、交響曲やソナタといっても“新人”が新しく作曲するのはたいてい現代曲ですよ!! 決して古い民謡とかの話をしているのではありません。 ましてや、編曲の話なんか誰も言っていませんよ。勝手に話を作り替えないでください。 現代曲だといっても、100年位は歴史がありますので、何十年も前に作ったというウソもつけます。 あなたはあまり音楽に詳しくないようですから、作曲をするのがどれだけ大変な作業なのか、知らないようですね。だから誰が作曲したかなんてどうだっていいなんていえるのです。 何年もかかって、ものすごく膨大な時間を費やして作ったりするものなのですが、もし、その楽曲が 著作権を取得する前に他人に略取されてしまった場合、たとえ訴えて出ても認められないことが 多いです。“正式に著作権を取得していない”というだけで、10年近くかかって作曲した曲が、 自分の曲として認められず、あなたのいう“なんらかの努力”なんて全くしていない他人のものだとされたら、作曲家なんてやめてしまおうと思うのは当然です。“また新曲を発表したらいい”なんてよく言えますね。無神経な回答はやめてもらいたいといったはずです。しかも、訴え出るとあなたみたいな無関係なくせに無責任にも訴えた側を逆に中傷したり、「どこの馬の骨か分からない無名の作者よりも、名の通った作者の方が売り込みやすい」から盗まれて感謝しろ・・という輩が星の数ほどいるんですからね! 改めてあなたみたいな人の回答を聞くまでもないですね。 大作曲家のなかにも、若いころに曲を盗まれて作曲家人生を絶たれそうになった人が結構いるのですが あなたはそれも知らないようです。
- IDii24
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で、何がしたいのでしょうか? 盗作とは訴えるという行為を持って成立し、金銭で解決するわけで第三者にはなにも被害もメリットも有りませんよ? つまり第三者はその曲が気に入ったなら作曲者が誰でも感動を得られるだけでメリットがあるのです。あとの問題は当事者同士の解決なので。 まあ、何処から何処までが盗作とは過去の事例でも判明しないケースの方が多いので無駄。金銭折半で解決するだけ。 それでも周りは全然問題は有りません。聴くか聴かないかは好みの問題だから。その盗作と言われる方が好きな人もいますから。 ヤッカミや妬みを持つなら精神的苦痛を与えられたとして訴えれば良いということです。
お礼
どれだけ世界的に有名になろうが、しょせん作曲の才能のないものには曲は作れません。 才能のある人が曲を作らなければ、それまででしょう。 それが、才能のある人の渾身の楽曲で出世作にするつもりだったのなら、その才能ある人は それを盗まれたことによって、作曲をやめてしまい、 作曲家になることをあきらめてしまうかもしれません。そうなったら、本来ならばその人が作曲して 世界中の人が聞くことができたはずの楽曲群が聞けなくなるということが起きるのですが、それでも問題がないというのでしょうか? 私が、問題にしているのはそういう風にして才能のある人がどんどん消されていく・・ ということを問題にしているのです!! だから、はっきり言っておきますが、もし他人の楽曲を盗んで世間から喝さいを受けたとしても それは“その曲を作曲した人が喝采されているのであって、オマエが喝采されているのではナイ” と声を大きくして言いたいですね。 そういうことにも気が付かないくらい、芸術的な感性のかけらもない神経がド図太いだけの 才能のない奴もいるんですから!!! もし、少しでも作曲家を志したことがあり、プライドがあるのであれば、自分の曲だと偽って 披露した曲が喝采されればされるほど、絶望のどん底を味わうはずですが・・・・ そうではないのであれば、ただ単に世間からちやほやされたいだけの、次元の低い輩だということになります。そういう輩につぶされる才能ある人たちは、悲劇でしょう。
補足
"第三者はその曲が気に入ったなら作曲者が誰でも感動を得られるだけでメリットがある" これはあまりにも盗んだ側にとってだけ都合の良いものの考え方でしょう。要するに作曲者が 誰であれどうだっていいじゃないか・・・ということでしょう? 盗まれた側のことはまるで考えていない無神経な発言だと思います。しかも・・・ "ヤッカミや妬みを持つなら精神的苦痛を与えられたとして訴えれば良い" 当然の義憤を“ヤッカミ”や“嫉妬”ととらえているところは、明らかにものの考え方が おかしいと思います。誰も盗んだ側の人に嫉妬なんてしていませんよ。自分の芸術作品が盗まれたら 怒るのは当然でしょ! 嫉妬しているのは盗んだ側のほうだと思いますが・・・。 どうやら私の質問が理解できず、何を問題にしているのかこの回答者さんにはわかっていないようですので、この回答者さんと同じような回答をしようと思っている人は、無神経さに気が付いてやめてもらいたいですね。
補足
裁判によって曲を略取したものを裁くことができれば、それに越したことがないですが 前にも書いたように、現状では野放し状態なのが現実です。 それどころか、あなたのように逆に盗作された側に対して中傷したり人格権を傷つけるような ことを言う信じられないような人がいて驚きますが、そういう風潮を改善するためにも 盗作した側を音楽ソサイエティから追放するとか・・・・ 大体、盗んだ側は、何曲か盗んだとしても絶対に次の曲を作曲することはできませんので、 少し時間がたてばわかるものなのですが、(10年以上も新しい曲が出なければ間違いないでしょう。作曲家であればたとえ大作を作っていても小作品くらいは発表します。)脂の乗り切った作曲家にとっては貴重な時間を無駄にする…ということにもなりかねません。 また、明らかにギムクラックになってしまっているのに、それを直せもせず得意げに披露しているのもその類です。 とにかく、在ろうことか盗作した側が、被害にあった側を誹謗したり人格権を侵害するようなことを言ったりすることが当たり前のように行われているのは、許しがたいことです。 ましてや、もっと信じられないことは、盗んだ側がもっと盗めるのではないかと被害者にしつこく 人権侵害を繰り返して付きまとうということが行われているのは、二次被害、三次被害だとしか言いようがありません。こういう状態を何とかする方法はないか・・・と質問したつもりだったのですが、 あいにく、盗作をされた側に対して、人格権の侵害のような事ばかり“回答”という形をとっていう人ばかりでがっかりしました。