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沢村栄治と景浦將について
どちらの方が凄いと思いますか? 沢村さんの成績:5年間、105試合63勝22敗、防御率1.74。タイトル、最多勝2回、最優秀防御率1回、最高勝率1回(打撃成績は特に残っている資料は見つかりません)。 景浦さんの成績:5年間、56試合、27勝9敗、防御率1.57。323試合、307安打、25本塁打、222打点、28盗塁、打率.271。タイトル、最優秀防御率1回、最高勝率1回、首位打者1回、打点王2回。 (1936、37、38年は春秋に別れています) どちらも野球殿堂入り。
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- abex_trax
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そもそもポジションが違う選手を「どちらの方が凄いか?」と比較するのが難しいと思います。 確かに景浦選手は投手兼野手の“二刀流”なんですが、「投打にフル回転」みたいな年は1936年秋と1937年春秋の3シーズンだけ。あとのシーズンは打者メインで、数試合マウンドに上がった程度です。生涯登板数56試合中、38試合がその3シーズンでのものですしね。 もっとも、その2年が凄いんですが。 1936年秋は打者として全試合出場、投手として6勝0敗 防御率0.79で最高勝率と最優秀防御率。 1937年春は打点王に輝く一方、11勝5敗。秋は首位打者で出塁率、長打率、OPSがリーグトップ。 プロ野球発足時~戦中・戦後は選手層が薄かったので、打撃の良い投手が登板機会のない日に打者として出場したり、ピッチングの良い打者が登板するのが当たり前だったのです。 その中でも景浦選手は突出してるんですけどもね。 という面白みのない回答で終わらせるのも何なので… 単純に比較するのは記録・数字だけじゃ不可能なお二方でしょうが、質問者様は「野球選手としてのスケールの凄さ」という視点でおっしゃられてると汲んでみますと、断然景浦選手だと思います! ちなみに、戦前の二刀流選手なら、もっと凄い人がいますよ。 打撃タイトルこそ取ってませんが、1946年に212イニングを投げ、31試合連続安打の記録を作った野口二郎投手。 1971年に長池(阪急)が更新するまで日本記録でした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E4%BA%8C%E9%83%8E
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
やっぱ沢村です 景浦は二刀流じゃなければかなり凄かったと思うし 沢村も召集がなければ400勝以上余裕でしてたと思いますし ちなみに あぶさん(景浦安武)のモデルってこの景浦だったんですね
- jyunkyuu
- ベストアンサー率40% (54/133)
これはもう投打に活躍した景浦でしょう。 大谷なんて比じゃない、これぞ正真正銘の2刀流選手です。 沢村の場合は3度の招集がなければ本当にすごい記録を残していたでしょう。 最後は命まで失ってしまったのですから、まさに戦争に殺されました。 しかし、2回目の戦地から帰って復帰した時、すっかり肩をやられてしまっていたらしいですね、 しかし読売はそれを理由にあれだけの功労者をあっさり首切りしようとしたとか。 さんざん利用しておいて、どうしようもない球団ですね