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死について
宗派など関係なく答えて頂けると嬉しいです。 死についてどのようなイメージがありますか? またどのような時に、死について考えますか?
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- kentakente
- ベストアンサー率23% (42/182)
無に帰るって感じでしょうか。死んだらぱー。死んだらお終い。死んだら、今までやってきたこと全てに終止符を打つ。全て、がなくなってしまう。死んだら別の生き物に生まれ変わる、とかはあんまり信じてません。こんな質問でもなければ、死んだ時のことなんかあんまり考えてないかもしれません。
- doorakanai
- ベストアンサー率27% (758/2746)
中学生の時、父親が50いくつで病死してから 私も同じ病気で同じ頃に死ぬ という考えが何の根拠もなくずっとあります。 今40歳なので後10年ちょっとです。 >死についてどのようなイメージ 存在が消える。 自分が生きてるので残された側からのイメージしかない。 インドでは人が死んだ事を、フィニッシュした と言うそうで。
お礼
ありがとうございます。
- srafp
- ベストアンサー率56% (2185/3855)
私、40代後半の者です > 死についてどのようなイメージがありますか? 高校生の時から漠然と考えておりましたが・・・他の方も『死後の世界』を絡めてかかれているので 1 『死後の世界があり、そこは満たされた場所だ』というのであれば、その世界に済み続けたい。 ⇒別の世界には転生したくない 2 『死後の世界はない(魂又は自我は消滅)』というのであれば、死は恐れではない。むしろ大歓迎である。なぜならば、死を怖がる人の理由は残された物や財産に対する執着が多いと思うが、その恐れを感じているのは『生きている時の私』であり、『死後の私』と言う存在は無いから恐れを抱いていることはありえないからである。 > またどのような時に、死について考えますか? 上に書きましたが、高校生の時から漠然と『死んだらどうなる』と考えてきましたから、死を考えるのは特定のイベントではありません。 もしも「死にたいと思う時」と言う意味でお尋ねであれば 1 別に話を作っているわけではありませんが、先週の金曜日に母が急死し、これで家族は全部死亡した状態。「稼いだお金は自分のために使えますよね」とは考えない物にとって、生きていく事に何の意味がありますか?単に会社の同僚等に迷惑を掛けないために母の争議が終了した翌日から働いているだけ。どことつながっているのか判らない細い線が切れたら、自殺していますよ。 2 自力では解決できないと感じる出来事が同時多発的に発生し、実際に他人の助けを受けることができなかった時に、自殺を考えてしまい、もう少しで会社の階段の手すりで縊死するところでした。その直前には会社の炊事場にある包丁を自宅に持ち帰って砥ぎ、通勤途中のビルのトイレ(個室)で頚動脈にぶっ刺そうとしましたが・・・いざとなるとできない物で30分近くたってトイレからでました。
お礼
深く考えるのですね。 命を大事になさって下さい。
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
自分が生まれる前の地球に戻るというイメージですかね。 仲の良かった友人にメールしても電話しても連絡できなくなって、後から事故で死んだと聞かされた時はショックでした。 死イコール存在が無くなることなんだと知りました。
お礼
淋しいですね… ありがとうございます。
- appleapple
- ベストアンサー率24% (180/730)
死というより、死後、については、楽、ちょっと寂しい、退屈、と言うイメージがある。 輪廻があると思うので、退屈になったらまた、現世に生まれるのかと思う。 死について考えるのは、身近な人が死んだとき。 それと、ニュースなどで、自分の子供の年齢に近い人が、それぞれの理由で死んだとき。
お礼
ありがとうございました。
- ayame5177
- ベストアンサー率0% (0/2)
友人ががんで亡くなったときです。 今、知人が がんです。
お礼
長生きできますように… ありがとうございます。
- osiete-poo3
- ベストアンサー率20% (113/563)
子供の頃は死ぬのが怖かったです。 でも30代も後半になると、昔ほどは怖くないです。 死ぬのは嫌ですが…(笑) 死について考えさせられるのは、葬式に行ったときですかね。 棺桶に入った仏様を見ると「なるほど…」と考えてしまいます。
お礼
あの瞬間は考えるものがありますね。 ありがとうございます。
漠然と、怖いもの…それが死ですね。 私も個人的には死=完全なる無だと思っています。夢も見ることなく永久に寝ているというイメージです。 仕事柄、人の死に目には遭遇します。 実際、私が看取った人は両手では足りません。 時々、人間の寿命なんてあっけないものだと思ってしまいます。ゼンマイがゆっくり止まるような。 病気や老衰ならまだマシですね。事故は避ける方法、遭遇しない方法がいっぱいあるはず。殺人とか、到底考えられない。他人にゼンマイを切られる筋合いはない。
お礼
ありがとうございました。
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
死=終=無 と考えています。 天国・地獄・幽霊・生まれ変わり… なんて、所詮人間が金儲けのために考えた作り話し… あほらし。 私は今、創価学会の考え方に、挑戦しています。 「学会員でありながら、批判をしていると、生きながらにして地獄の苦しみを味わい、鬼の形相で死に、人間には生まれ変われない。」とされていますので、生きた実験台になりたいです。 ただ…、結果がお伝えできない… 残念です。 とりあえず、生き地獄にはまだ行ってません。 いつ、お迎えが来ても、悔いのない素晴らしい人生をおくっています。
お礼
よく分かりませんが、がんばって下さい。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
20代の頃は怖くてしかたがなかったです。 ずっと生きていたいけど、いずれは自分の存在がなくなるんだ・・と思うと怖かったです。 ですが、今は何とも思わなくなりました。 いいとこ、あと20,30年でお迎えが来るところまで来ましたからね。 当面の目標は、母親が亡くなった53歳、父親が亡くなった69歳までは何とか生きようと思います。 ただ、仕事関係のご家族の方が100歳と6ヶ月で亡くなって葬式に行きましたが、その時は自分に当てはめて、“あと半世紀も生きることになるのか・・”と思いました。 死は貴賎を問わず平等にやってくるものですが、そこに至るまでは金持ちと貧乏人では「気持ちの持ちよう」に随分と差がある国だなぁーと実感しています。
お礼
そうですね、どうせならぽっくり逝きたいです。 100歳まで、がんばって下さい。
お礼
皆さんがどのようなイメージを抱いているのか気になりました。 ありがとうございます。