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光市母子殺人事件弁護団

光市母子殺人事件の弁護団がかなり批判されていましたが あれって弁護するのが仕事なのに、何故あそこまで感情的に全否定されなければならないのか分かりませんでした。(まあ弁護の仕方がおかしいのはわかります。) 誰かが弁護しなくちゃいけないのではないでしょうか?それとも”弁護なし”なんて状況あるのでしょうか? 皆さん理性を失って感情的になってるのがとにかく印象的でした。 私の意見として少年は万死に値すると思っています。(感情的になってそう思っているのではないです)

みんなの回答

  • makocyan
  • ベストアンサー率39% (1039/2623)
回答No.6

 いや、皆さんもおっしゃるとおり、批判されていたのは弁護そのものじゃなくて「弁護の手法」ですよ。「あんなやつの弁護はするな」なんて声は聴いたことがありません。大方は「あの手法(論法)はないだろう」だったんじゃないですか。  弁護士の仕事というのは、「被告人に正当な裁判を受けさせること」が目的だと思います。罪を軽くするためなら何をやっていい、というものではないでしょう。  光市母子殺人事件の弁護団のとった手法は、「ドラえもん」やら「ちょうちょ結び」「生き返らせるために死姦(被害者遺族に対するセカンドレイプですよ、これ)」にはじまり、果ては弁護士が(裁判の遅延目的か)大事な審判をすっぽかすなど、誰がどう見ても正当な裁判を受けさせるという本来の目的から外れていました。死刑「制度」反対のための弁護という思想的な目的が垣間見えちゃったわけです。皆さんが批判していたのはそこですよ。  「理性を失って感情的」だったのは、むしろ弁護団のほうでしょう。あんな戦術をとったら裁判官の心証が決定的に悪くなるのは自明だったでしょうに、それにも気付かなかったのですから。弁護団のせいで死刑判決が出てしまったような部分はあると私は思います。 

sumacro07
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  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.5

もう終ったことだけど、正攻法で行けば無期懲役判決を得られる可能性は五分五分でした。 功名心に走り奇抜な弁護をしたお陰で死刑が確定した。 あんな愚かな弁護ではなく、被告が、 本当に愚かな私でした。調子に乗って「7年で社会に復帰する」なんて馬鹿な手紙を友人に送ってしまったことを深く深く反省しております。毎日被害者のことを思って手を合わせております。 と神妙な顔で言い、 弁護士が「万死に値する被告ではありますが、当時は常識が欠如した状態にありました。どうか死刑だけはお許しください。少年にチャンスを与えてください」と情に訴える作戦で行けば死刑を免れたように思います。 馬鹿な弁護士を頼ってしまったのが間違いだと思います。

sumacro07
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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

”誰かが弁護しなくちゃいけないのではないでしょうか”     ↑ 人間には、必ず悪い面と良い面があります。 検察は悪い面しか取り上げません。 それでは、被告がどんな人間であっても極悪人に なってしまいます。 それで、弁護士が被告の良い面も取り上げる訳です。 そうすれば、良い面、悪い面、双方が取り上げられ 公平な判断ができることになります。 ひどい事件で、日本中が敵に回るような事件であれば あるほど、弁護士が必要とされるのです。 ”それとも”弁護なし”なんて状況あるのでしょうか”      ↑ この事件は、必要的弁護事件ですので、刑訴法からは 弁護無しはあり得ません。 弁護士がいなければ裁判ができません。 ”何故あそこまで感情的に全否定されなければならないのか分かりませんでした”       ↑ 弁護の仕方が、あまりに荒唐無稽だったからです。 あれでは、かえって被告に不利です。 己の思想信条だけを前面に打ち出し、被告の利益 すら考えない弁護態度だった。 そこに売名の臭いさえ感じられた。 それで、あれだけ批判されることになったのでは ないでしょうか。

sumacro07
質問者

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回答No.3

弁護することそのものに批判があるわけではなく弁護内容に批判があるだけかと思われます。 2審までは主張してこなかったことを「死刑判決が出るかもしれない」となった途端にあれこれ違うことを主張し始めた上にその内容が「母性を求めて抱きついただけ」「口をふさぐつもりが首を絞めてしまった」「抱きかかえようとして落とした」「死姦したのは再生の儀式」「押し入れに入れたのはドラえもんがなんとかしてくれると思った」などと「馬鹿にしているのか?」というので批判されているのかと思われます。 こんな主張を聞いて感情的にならずに理性的にと言われても無理ですね。 理性的にというなら少年の弁護団に言うべきです。

sumacro07
質問者

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noname#177887
noname#177887
回答No.2

理屈をネジ曲げたような弁護、屁理屈をこねるような弁護。という印象ですから、それが気に障ったのではないでしょうか。 確かに、弁護するのが仕事ではありますが、あそこまで無理やりな方法は、犯罪の内容から見ても異常かと思います。 だから、死刑を望む人にとっては、あの弁護団に対して感情的になってしまうのではないかな。と。 自分でも、何故、弁護が必要なの?、と思うところはあります。正直、もつれるような事件ではないだろう。と。被害者感情を全く無視している弁護団には、憤りも感じますから。 一応、法治国家としては、付けねばならんのでしょうが。

sumacro07
質問者

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  • Epsilon03
  • ベストアンサー率24% (868/3495)
回答No.1

弁護は被告側が不利にならない様にする為に行うものであって、無い事を有った様にシナリオを作って勝てば良いのだ的になるのは弁護ではありません。 この弁護団も後者であって批判されるのは当然の事です。 「ドラえもんが・・・。」 開いた口が塞がらないと言うのはこの様な事でしょう。

sumacro07
質問者

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