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批判のあるべき姿
- 批判されて嬉しい人は少ないはずなのに、世の中批判だらけということは、批判は自分のためだけに存在するものなのでしょうか? 批判する人は確かに自分を持っていて他人に流されていないようにも思えますが、他人の恨みを買うこともあると思います。 というのも批判されて素直に受け入れられる人は少ないし、人間はどうしても批判されると腹が立つ生き物ですよね。
- まあ批判の対象にもよるとは思うのですが、特に特定の個人を批判する場合には丸く収まることは少ない。 かと言って、何か自分の気に入らない事柄が出てきたらついつい批判したくなってしまうのも人情です。 現に私もこのサイトの質問を見てると、ちょっとここおかしいよと批判したくなることもあります。 つい油断するとボロクソに言ってしまいそうな時もあります。ただその批判が的確がどうかは自分でもよくわからないし、相手のためになるかどうかはわからない。 このジレンマを何とかしたいです。
- 批判はどういう形で存在するべきだと思いますか?
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大前提として、批判とは相手の悪いところを直して良くするように指摘することです。 行き着くところは、それは相手のための行為ということにもなるでしょう。 それが単に罵倒したりするのとは違うところです。 確かに言われる側はあまり良い気はしないと思いますが、極力悪いイメージにしないためには、言い方に気をつけることではないでしょうか。 頭ごなしにあれはダメだこれはダメだと言うよりは、「ここはもっとこうした方が良くなるよ」と伝える方が穏やかに済みますよね。 そうすれば相手も納得しやすいですし、受け入れやすいです。 逆に強く攻撃的な言い方になると、相手は聞き入れるどころか反発して、話題そっちのけで口論になったりもするでしょう。 あくまで「相手のため」と考えれば、そこに「攻撃」を入れてしまってはいけないことがわかるかと思います。 感情的にならず、冷静になることも大事だと思います。
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- berntakii
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即時反応や相手への攻撃的な態度というのが問題であって、きちんと内容を吟味して、きちんとした言葉を相手に届ければ、相手だって素直に受け取ってくれるはずなのです。 その時の一瞬の考えを雑な言葉で伝えてしまうので、的確な批判となりえていないことがほとんどです。 批判をするまえに、まず疑問に思うことを質問しあうなどして話し合いたいことをお互い整理すること、 どちらが勝つか負けるかという目的の喧嘩ではないのですから、お互い冷静な状態を保てるように努めることが大事でしょうね。
お礼
批判をする前にまず一旦冷静になることが大事ですよね。 疑問を投げ掛けるのもなるほどと思いました。 回答ありがとうございました。
人間は我(が)を持つ手前勝手を身上とする生き物ですから、とかく暴走しがちです。そういったひとが上に立つと北朝鮮のような悲劇が生まれます。民主主義はそれを是正するために考えられたものです。上にたつひとは貴重な人材ですが、それを批判するひとも必要不可欠です。批判したひとが上の人に成り代わって下克上を達成する、その人を批判してまたそれに成り代わるというふうに歴史は進展してきたのだといえなくもありません。 つまり 批判が人間の文化歴史を、その進化を促してきたといえなくもないと思います。 批判は人間活動には必要不可欠なものだといえます。 もちろん いい批判もあるし、よくない的外れの批判もたくさんあるのはしかたがないですね。 ここは質問サイトですので、批判は理論上存在しないはずですが、質問に名を借りて意見陳述をするひとがあとをたたないのでこういったアンケートも成り立つのでしょう。 >つい油断するとボロクソに言ってしまいそうな時もあります。 私も最近そういった擬餌質問を批判して、はじめて削除の憂き目に遭いました(泣;)が、ギャグとしてちょっとあくどく罵ったので、それを理解しない事務局が動いたのでしょう。 あいてもお礼を書いていましたので、コミュニケーションは成立したとおもいます。 ま、そういうこともあります。 丁寧に回答してもなにもいわずにブロックをかけて報いる人間もいますので、世間は様々です。 >批判はどういう形で存在するべきだと思いますか? 私はそれなりにここはいい線いっていると思いますよ。 萎縮せずに、常識の範囲で書けばいいと思います。 感情と感情の激突は人間の本来の姿です。 美しいとさえいえます。 理性ってなんだかいやらしいものです。そう思いませんか? サイト活性化のビタミンだと思います。
お礼
もう現状のままでも十分ということですね。 新しい考え方で勉強になります。 回答ありがとうございました。
- williumblake
- ベストアンサー率29% (379/1287)
批判と否定とを混同しないこと、ではないでしょうか。 現代では一般的に、批判=否定になってしまっているように感じます。 本来批判とは、理論的な矛盾や誤りを指摘してこうすべきだ、と代替案を提示して諭すことをいうはずで、それができていない人が多すぎます。 また必要もない、むしろ適切な批判には邪魔なのに、感情や私見を差し挟む人も多すぎます。 メディアがそうさせているのかもしれません。 「誰々が何々を批判しました」という報道の言葉をよく聞きますが、実際の内容は「否定」しただけ。 なんら代替案を示しているわけでも、別の場所で、相手に理論的に説明しても諭してもいないような状況を、平気で「批判した」と伝えます。 誤りは正されるべきだと思うんですが、言葉が社会の中で変化していく存在であるのもまた事実で・・・ 「批判」に替わる、新たな言葉が必要とされているのかもしれません。
お礼
なるほど。 確かに否定することなら誰でもできますが 批判することは思った以上に知恵を使いますよね。 回答ありがとうございました。
好き勝手に批判すればいいと思います。 なぜなら、あくまで私の考えですが、人の意見というのはその人の考えをありのままに聴けなければ意味がなく、ここのような匿名性の高いサイトこそ、人の意見を聴く絶好の場だからです。 姿勢を問われるのは批判する側よりされる側で、ちょっと批判されたからブロックしちゃえばいーやなんてのはガキレベルの短絡思考です。 どのような批判も一旦は受け入れる姿勢が無いなら、最初から他人の意見なんて求めなきゃいいじゃねーか。このバカ。と、私は思います。 現実社会で、面と向かってドギツイ批判ができる人はなかなかいませんし、できる人ばかりだったら皆批判合戦に疲れてしまうと思いますから、ここのような場は大変貴重です。 ただ、批判だけで質問に答えていないのは、サイトの主旨からして問題外だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 ネットで批判するという場は貴重ですね。 ただ質の悪い批判もあるので、批判される側がどれが自分に必要な批判が見極めることが重要かもしれませんね。
- aioikiko
- ベストアンサー率9% (1/11)
確かに批判するということは持論をはっきり持っている良い証拠ではありますが、人がそれを見て得をしないのも事実ですよね。 中傷をアドバイスと素直に受け取る人は少ないですが、中傷する側も正しいことを言っている時もあります。 ですが中傷の中には粗探しをしたいだけの中傷も存在します。理由はただ楽しいから。 こういう中傷がきっと見ていて不快だと思います。 なので私は軽はずみに中傷などはあまりしません。 粗探ししたいだけの中傷は誰の得にもなりませんし もしもそれが相手の為になる意見だという確証があるならすべきだと思いますが 自分の中傷を見て相手がどう思うかを考えて意見するべきだと思います。 解答になってないでしょうか…
お礼
いえいえ、回答ありがとうございます。 中傷で痛いところを突かれると、たとえそれが正しくても受け入れるのが難しいですよね。 相手が受け入れやすいような批判の仕方を考えることが重要なのだと思いました。
お礼
そうですね。 穏やかな言い方であれば批判される側も気を悪くしないですね。 そういった基本的なことが守れる人が多くなればいいと思います。 回答ありがとうございました。