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労働目的とは何か?
- 労働目的には生活費以外の欲しい物のために働く人もいますが、一方で物ではなく労働自体が価値あると考える人もいます。
- 欲しい物のために働くことは単純な理由かもしれませんが、新しいものはすぐに古くなり意味をなさなくなるため、物のために働くことは無意味だと思われる場合もあります。
- 一方で、美味しいものを食べることで明日から頑張れると考える人もいますが、これに対して労働意欲が湧かないことを理解できない人もいます。労働は単純なものではなく、人によって異なる考え方があると言えます。
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大変良い質問だと思います。 「働く事」、「労働」、「勤務」、「仕事」・・・同じ様な事を表すのに色々な言葉が有りますよね。 これらの言葉は一つ一つ意味が違います。 人は元々哺乳類の一種であり自然の中では他の動物達と同じなのですが、他の動物と違う所は脳が発達した為に言語等のコミュニケーション手段を持ち「社会」を形成している所です。 「社会」の無い自然の中では人は皆一次産業です。山で木の実を採り、海や川で魚を捕り、森で獣を獲るなどして暮らしますが、「社会」が形成された事で物々交換や通貨による等価交換(経済)が行われるようになり、採る(捕る、獲る)人と交換する人の分業が行われるようになって先の労働等に関する様々な言葉が生まれてきました。 例えば樹に登ってリンゴを採る仕事を考えると、樹の上の方が良く陽に当たって甘くなっているならば、人より高いところに上がってより甘いリンゴを採ってくる事は一つの付加価値になります。 採って来たリンゴを人にあげる時に、傷の有るリンゴを避けて綺麗な物だけをあげればそれもまた付加価値になります。 「仕事」が「労働」と違う所は「付加価値」をつける事を目的としている事です。 働く上で「付加価値」を付ける事に喜びを感じる事と、それによって得た対価で何かを手に入れて喜びを感じる事は事象が違います。 あなたがおっしゃる「物で幸福を感じ」と言うのは後者の事で、「労働ってそんな単純ではない」と言うのは前者の事ですので、この二つを分けて考えた方が分かりやすいと思います。 あなたが労働は単純では無いと考え、物や金だけでは無いと感じるのはきっと付加価値を付ける方の喜びを感じた事があるか、知っているからではないでしょうか。 自分の中で「仕事とは」とか「労働とは」の様に言葉の意味を整理して定義付けすると価値観の混同による思考の混乱から逃れる事が出来ると思います。 「仕事」の「価値」を考えるのはとても大事な事で、よく気付かれたとお思います。 これからも自分の「仕事」の「価値」を大切にしていって下さい。あなたの様に考える人がもっと増えれば良いなと思います。
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お礼、ありがとうございます。#5です。 >認めた上で、私の様な人間がいるのか知りたかったのです。 いますよ。そして、労働を提供する側の視点では、非常に重要だとされています。 労働ということを考えるとき、モチベーションやモラルを維持し、高めるには、労働の対価としての金銭的報酬だけでは不足しがちで、働く人が労働自体とその成果によって自分の価値や意義を高めていけることが求められます。単に褒めるだけではなく、働く人が自分の中から生み出されてくるようなものですね。 もちろん、そういう仕事が充分にあるわけでもないのですが、でき得る限り、そうできるようにしている企業は伸びますし、社員の定着率も高い。しかも、社会への貢献度も高いのです。 そうした企業と対照的なのが、社員を使い捨てるブラック企業であったり、顧客から搾取する悪徳商法の企業であったりします。こういう企業はなくしていかねばなりません。 いい方向にも悪い方向にも、運次第という面があります。しかし、なければないと割り切って、あるものを選んでいくことも大事ではあるわけです。働く事に充分な価値を見いだせない、あるいは、仕事以外のことのほうが充実するなら、労働に重点を置くことも必要であるだけのことです。 簡潔に申すなら、労働も含めて、個々人の価値観のありようは、信じられない程多様で、それぞれは否定できないとなるでしょうか。そのことは、質問者様の価値観も全面的に認められるものだ、ということにつながってきます。
お礼
再度、わかりやすいご説明をありがとうございました。
- rikimatu
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普通の事ではないですか。 労働の理由は結構、単純ですよ。 お金が欲しいからです。 否定をするつもりはないですが 僕としたら、質問者さん見たいに欲がない人の方が理解ができませんよ。
お礼
物欲で充たすことが当たり前になっているのですね。 労働理由はお金の為なのはあなたと同じです。 私は世間から見ると少数派になるのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
労働の意義ですが、大きく二つに分けられると思います。 第一は、労働の結果、生み出されるモノにその意義を 見いだそうとするものです。 (1)労働することにより、自分や家族が生活できる。 (2)労働することにより、他人に揉まれ、己の能力アップや 人格形成に役に立つ。 (3)労働することにより、自己実現が図れる。 (4)労働することにより、人が必要としている財、サービスを 生産でき、社会に貢献できる。 第二は、労働そのものに意義を見いだそうとするものです。 これについては、江戸時代「石田梅岩」という人がすでに 指摘しています。 彼は、労働すること、そのこと自体に価値を認めよう として、労働は美徳だ、とする日本人の思想の原型を造り ました。 ”私は、物より労働の方が勝ると思います。” ↑ 質問者さんの考え方は、労働すること自体に価値を認める モノでしょうか? ”新しい、高級な物でも廃っていき、意味を成さなくなります。 そんな物の為に働くなんて無意味だと思います。” ↑ そういう論法だと、いずれ死ぬ人間は生きていること 自体意味をなさない、ということになりそうですが どうでしょう。 ”労働ってそんな単純ではないと思うんです。” ↑ 動物は、労働しません。 存在する物を食うだけです。 人間は大脳新皮質や前頭葉が発達していますので、 楽に生きる方法、豊かに、安定、安全に生きる方法を 色々考えて、労働というシステムにたどり着いた 訳です。 つまり、人間のやっている労働てのは、動物が 餌を探す行為と同じなのです。 豊かになり、余裕が出来た人間は、それじゃ動物と 同じじゃないか、物足りない、ということで 色々と理由を考え出すのです。 労働は美徳だとした石田梅岩も、身分制度下で、 どう頑張っても、出世などという結果は出ないから、労働そのものに 価値を見いだそうとしたに過ぎません。 労働そのものには、食べるため以上の客観的意味は ありません。 それじゃ物足りないと思うのであれば、勉強するなり 色々考えるなりして、自分で意義を作り上げていけば よいのだと思います。
補足
【質問者の考え方(物より労働の方が勝る)は、労働すること自体に価値を認めるモノでしょうか?】 私の考えは第一の(1)のみです。 その為の労働と考えると、労働自体に価値を認めると思います。 【そういう論法(物の為に働くなんて無意味)だと、いずれ死ぬ人間は生きていること 自体意味をなさない、ということになりそうですが、どうでしょう】 それだと、身も蓋も無い話になりますから、生きることを前提に考えています。 私は、労働の対価を最低限の生活に使ってこそ、本当の意味があると思います。 三大欲求を充たす以上の幸福はありません。 人間はどこまでも欲深いのですね。
質問者様のお考えは正しいです。労働自体に価値を見いだせるのは素晴らしい。 一方、労働は欲しい物と引き換えという考え方も正しいです。物から人へ、たとえば我が子の成長のためとなったりもします。 食事を、単なる栄養としてだけではなく、美味しいという満足をも求め、それで意欲を保てる人がいることは事実だし、それは悪いことではなく、むしろ良いことです。 労働や物や考え方など、何であれ自分の外にあるものに、一切の幸せの源や基準を置かないという人もいます。無しで済ますわけではなく、たとえば自分の中に知恵や価値観として実現することが第一義といった感じですね。 他の考え方を理解できなくともよいです。しかし、他の考え方で、人ぞれぞれに正当なものがあることは、認める必要があります。 もし、物だけしか見えないとか、働くことを不当に嫌うとかしていて、現に傷ついている人がいたら、個々人に対してそっと忠告するのはいいでしょう。 しかし、自分の考え方、感じ方と異なることだけを理由に、「それはおかしい」と主張するのは、しばしば傲慢になりがちです。そうすることは、他人の内面に土足で踏み込むことですから。個々人を超えて一般化してしまうと、もっと危険です。多様な価値観を否定してしまいますので。 そうではなく、たとえば質問者様ご自身の生き方を見て、あるいは質問者様がご自身の目指す生き方について語ることを聞いて、他の人が思うこと、学ぶことが出てくれば、それは理想的な主張となり得ます。
お礼
他者が「これは正当だ」と思うのなら、それは認めます。 認めた上で、私の様な人間がいるのか知りたかったのです。 物欲で社会貢献に繋がっているのなら、それはそれで良いと思います。 ご回答ありがとうございました。
- inudog2
- ベストアンサー率25% (22/85)
「物」って一言でいうと、単純なことのように聞こえますが、彼らが言いたいのは、その先にある、物を得ることで、生きてる実感、つまり幸せを買うということですよね。幸せってそういう些細なことで、実感しませんか? 正当な理由だと思いますが・・・。 また人によっては将来、結婚や、こどもができることも想定していて、とりあえず、今のところは未婚だから自己満足の為と言ってるだけかもしれませんよ。 仮に既婚者が言ってたとしても、物だけ、とは言ってないですよね。あなたが単純に捉えすぎてるだけかもしれませんよ。
補足
私の「些細な幸福」と他者の「些細な幸福」は違います。 例えば、私はご飯を食べれるだけで些細な幸福を実感しますが、 他者は貪欲なのか、高価な食べ物で些細な幸福を実感するようです。
- nevel
- ベストアンサー率13% (39/288)
御託はいらない。会社に行って働け。 会社に行けば、給料やボーナスが貰えて、好きな事に消費できるぞ。 毎日決まった時間に出勤しなきゃいけないのはダルイけど、別にストレスは無いし。仕事中に雑談したりYahooニュース見たり、力抜いてやってるし。 外国や日本の各地に時々出張するけど、それもそれとして楽しんでやってるし。 義務だから会社に行かなきゃいけない。その会社は嫌なときも有るけど、たのしい事も多い。そして会社に行ってれば、社会的地位も得られるし、給料ももらえて胸を張って自由に使える。
補足
【御託はいらない。会社に行って働け。】 やっかみですか? 働かない理由を述べているのではありません。 わかりきった話を聞いたのは、「好きな事」の価値についてどう考えてるか知りたかったからです。 「社会的地位が得られる」というあなたの価値観が知れて良かったです。
理解なんてする必要はないのです。 だって、個人の価値観ですから。 他人と自分の価値観が異なるのは当然の事。 ご質問は貴方の価値観。 私の価値観はまた違う。 これを論議したり説明しても仕方ない事です。 逆に些細な目的の為に日々生きられるって自分は素敵な生き方だとは感じますが、これまた自分の価値観でしかありません。
お礼
あなたの価値観を知れて良かったです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
言葉一つ一つ意味が違うことは知りませんでした。 【働く上で「付加価値」を付ける事に喜びを感じる事と、それによって得た対価で何かを手に入れて喜びを感じる事は事象が違います。】 付加価値を付けても喜びを感じることが難しく、対価で手に入れた何かに同等の重みある喜びを求めていることに気づきました。 ご回答ありがとうございました。