古典での「契り」と「縁」
古文で「契りを結ぶ」という言葉があります。
現代語では(1)行く末まで変わらぬことを互いに約束を取り交わす(2)男女の交わりをし夫婦の縁を結ぶ、と訳されることが普通です。
現代語訳としてはそれで問題ないと思うのですが、色々古典を読むようになって、平安時代などで一般的だった輪廻、因縁、因果応報などの仏教思想からすると、単に「約束」や「交わり」という言葉では説明できないような、もう少し深い(重い)意味を持って使われていたのではないかと思うようになりました。
古語辞典によると
縁:(1)因縁(2)手づる・頼り(3)血縁・夫婦の関係
契り:(1)契約・約束(2)宿縁(前世からの約束)(3)縁・ゆかり・関係(4)男女が会うこと、夫婦の交わり
とあります。
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の縁がある」という言葉があるように、当時の感覚としては「契りを結ぶ」には、ただの約束や関係にとどまらず、今生でまた会うための/添い遂げるための縁を深めよう、または来世につながる縁(宿縁)をつくろう、という意味(思い)も含んでいたのではないかと思うのです(結ばれない運命にある恋人同士などの場合は特に)。
ただ、国文科出身ではないので専門ではありませんし、裏づけとなるような資料/サイトも見つけられないでいます。
深読みになってしまうのでしょうか?
お礼
ご回答いただきまして有難うございました。