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劉備玄徳ならよいのでは?

いまの、中国、いまもむかしも未来でも劉備玄徳ほどの人望篤い人なら内外から称賛され、もっともよい中国を産み出してくれるのではないでしょうか? 劉備玄徳は、古きよき伝統尊ぶ中国を世界に広め、広い視野にて治められるのではないでしょうか?

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回答No.5

 曹操孟徳、魏王に封じられ、後漢皇帝が治める帝国内の一藩国、つまり王国という形で魏を建国。献帝には権力は無く、実際には後漢を背負う形であった曹操だが、最後まで帝位にはつかず後漢の丞相の肩書きで通した。 息子の曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け皇帝となると、太祖武帝と追号された。  劉備玄徳、曹操が建安21年(216年)に魏王になっていたことを受けて漢中王を自称した。前漢の高祖劉邦が漢王であった故事に倣ったものであった。後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。  治世の能臣、乱世の奸雄、漢の臣である曹操と漢の末裔・劉備、中央が衰退した時の混乱/群雄割拠はまさに世紀末、暴力の渦、でしょうか。  国連五常任理事国も、王政が無く、かつ選挙の関係で任期があったりする。その長所をいかすことでしょうか?

cleanenergy
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回答No.4

李登輝さんがまだ元気でおられるのではないですか?

cleanenergy
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回答No.3

歴史に学ぶ事は大切な事ですが 歴史上の過去の人物を現代社会にねじ込んで見ても話にはなりません その様な考え方を妄想と言うのです

cleanenergy
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回答No.2

人が良いだけなら、大国を統治するのは適わないでしょう。 現実に劉備は、蜀しか治められなかった。 劉邦さえ、能力を持った項羽が仲間内で嫌われたから、掠め取る事ができた。 項羽は、虞美人に愛され、また、愛したからこそ四面楚歌を迎え、歴史の舞台から消えた。人が良いと言うなら、過激ではあるが、項羽の方がいい。     項羽は、四面楚歌のとき、策謀をめぐらせば、まだ覇者に残れた。然し、しなかった。歴史の重みに耐えられなかった。歴史とは、普段してる策謀と持っている軍事力を、統治して尚維持する必要がある。これに耐えられなければ、重みに耐えられなかったということ。それは即ち消え去ると言う事。 史記の記述が凡てをあらわしているとすれば、項羽は戦術が備わっている。24節気を言われるようになって命を残している。恐ろしき逸材。劉邦など及びもしない。 覇王に成れて、項羽はそれでよかった。     熱しやすい人々で構成されてる大陸中国は、人徳よりバラマキができる人の方が相応しい。今の中国で汚職が蔓延してる如く。

cleanenergy
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noname#176816
noname#176816
回答No.1

金正日も北朝鮮の歴史書では褒め称えられていると思います。そんなものです。

cleanenergy
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