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20代以上の方へ ~今日の20代について~

私は、遊ぶのがすきだった23歳の女です。今回は、20代の若者のコミュニケーション(対人関係)についての悩みがあり、ここに書かせて頂きます。先日、「たけしのTVタックル」というテレビ番組で、大学生の大学生活についての話題が上がりました。そこで、「5無し」(曖昧ですが、、)という言葉が挙げられて」いました。「5無し」というのは、「恋愛をしない・バイトをしない・サークルに入らない・勉強をしない・??」ということだそうです(最後の??は、忘れてしまいました)。つまり、人と関わるのが嫌であったり、最小限の付き合いが楽ということです。また、先日「Qさま」というクイズ番組で、世代対抗のクイズ対決をやっていました。そして、各世代の特徴の紹介をされたのですが、20代は「空気を呼んできた世代」と紹介されていました。今日の20代は、「空気を読まなければ、変な奴だと後ろ指を指されるため、人付き合いが煩わしく感じているが、1人で行動をするのは寂しいし、これまた変な奴だと思われるため、1人にはなりたくない。」というのが根本にあるため、日常生活で精神をすり減らしているのです。それは、20代という可能性の塊・若さの塊である・本来ならば何でも出来るであろう年代にとって、非常にもったいないことであると思います。本来であれば、明るく快活な人が、今日では「空気を読まない奴だ」「周りを気にしない奴だ」と言われてしまうのです。人と関わるのが煩わしいから、何事も経験しないで生きているにも関わらず、情報だけは大量に持っているため、妙に大人びているのです。 ここからは、私の悩みを書かせて下さい。私は、基本的には底抜けに明るい性格です。そのため、笑いのない生活や空気を読む生活をしていると病んできます。正直、パソコンやTVを見ているだけでは、ストレスが溜まってしまいます。しかし、先に挙げたような性質を持った友人に囲まれていたり、実際「周りを気にしろ」と言ってくる友人(この友人は、異様に気にしすぎる)がいるため、最近では人と接することが嫌で仕方ありません。そして、ストレスが溜まり、食に走ったり、お金を使いすぎたりしてしまっています。あと、「人の顔色を伺いながら話す癖」がついてしまったのです。正直、こんな癖がついてしまたら、ひととせっするのが嫌になるのは、人間ですからとうぜんだと思います。 その一方、会社では40代の方々に「今の20代は、大人しい。」と言われ、内心「本来の私でいいのかな」と思います。勿論、目上の方や先輩には礼儀を尽くしますが、同級にまで空気を読むのに疲れて 、正直なところ生きるのに疲れました。また、「自分らしくていいよ」と言われるかもしれませんが、「空気を読む」世代という風潮の中にいると、どれだけ我が強い人でもそうはいかないと思います。 20代以上の皆様、今日の20代の実態をわかっていただけたでしょうか。よく、「ゆとり世代」だから精神的に弱いと言われますが、今の若者はただの日常生活の中で、自分の素直な気持ちを出せないでいるのです。そして、その環境ではストレスが溜まりまくり、精神にいじょうをきたすのは普通ではないでしょうか?昔とは違い、やらなくてはいけないことをやればいいのではないのです。 また、20代以上の皆様、こういった若者の状態をそう思いますか?また、私の悩みについてアドバイスを下さい。よろしくお願いいたします。

みんなの回答

noname#183245
noname#183245
回答No.7

いまの20代がどうか。 そんなの興味ありません。 他人は他人。 自分は自分ですから。 年代関係なく気にする人は気にする。 気にしない人は気にしない。 そんな評論したところでなんの進展もないので、 あなたの悩みについてお話します。 周りを気にする人たちとは距離を置き、 あなたと気の合う方と接してください。 いなければ、あなたの実力、孤独力不足です。 つまり、話が合わないし、居心地悪いです。 ひとりで自分を磨いてください。 ぼくは我が強すぎるぐらいです。 まわりを気にしません。 というか、気にするのがメンドー。 飲み会は一切断っています。 要は超マイペースです。 あなたは元々まわりを気にする方ですね。 だって、まわりにそういう人間が寄ってくるのですから。 お友達はあなたの鏡ですよ。 ぼくの周りは、自分を貫くヤツばかりです。 おもしろいやつらです。 クセがありますけど(笑) 周りの人間関係を一気に変えてみましょう。 平たく言えば、いままでの人脈を切れってことです。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.6

#2です。 大変な思いをされて勉強してきたのですね。決めつけてしまってすみませんでした。 >自分中心のゆうじんにより対人恐と怖症になりました。 うーん、こちらは半ば自己責任かと。 友人関係よりも優先すべきは自分のメンタルなので。 >きっと、「空気を読む」を異様に意識しているのは、そのせいだと思います。 空気を読むことは、もちろんいいことだと思います。 ただ、空気を読んだ結果、どう行動されています? 「空気を読んで、周囲とうまくやっている」ならいいのですが「空気を読んで他人とのつきあいを避けている」だと、違うように思うのです。 …それって、無駄骨じゃあないかと。 周囲と関わる気がないのなら、神経をすり減らしてまで周囲に気を遣う必要はないのでは。 >今日の20代は学生時代でも、ただ遊ぶことにおいても人間関係で窮屈しているのは確かなのです。 上記と同じような内容になりますが、窮屈なことをしている結果、見返りはありますか? 結果がないなら、窮屈なことをする必要はないように思います。 >大学において、人と接するのは嫌だけど一人も嫌だと言う気持ちで この「人と接するのは嫌だけど一人も嫌」が一番よくわからないんですよね。矛盾していませんか?

回答No.5

質問主さんの意見はちょっと違うと思いますよ。 意識して空気を読まなければいけないというのは、自然に空気を読めないから、無理にそうしなければならないのです。 40代後半以上の人間は空気を読むとか読まないとか意識していません。が、読んでいるのです。相手の顔色も見ながら話をしています。別にそれを苦痛とか困難とかは感じません。当たり前のことだからです。 あなたが苦痛に感じているということそのものが、あなたの同世代と同様、空気を読む能力が不足していることを表しています。 そうなった原因は携帯、PC、ゲームですよ。端的に言えば。 また安易にそれを子どもに買い与える阿呆な親も悪い。 人間、いや動物というのは成長の過程において様々な能力を発達させます。 ただそれは獲得可能な時期が決まっています。 赤ちゃんに眼帯をかけてはいけないというでしょ? 赤ちゃんに光の刺激を与えないと視力が発達しなくなるのです。 運動能力、いわゆる運動神経は小学校高学年、音感は幼稚園年齢、というように動物的能力の獲得時期は決まっていて、その時機を逃すと獲得困難、ほぼ未発達のまま終わってしまいます。 人間の子ども時代は社会性を獲得すべき時期です。 集団の中でもまれて空気を読む能力を自然に獲得するのです。 45歳以上の人間はゲームもなく、もちろん携帯やPCなど無い時代に少年期を過ごしたので、人と接する以外に遊ぶ方法がなかったのです。 また、パソコンを使えば文字を忘れます。 ナビを使えば道を忘れます。 同じようにメールでコミュニケーションをとり続ければ、相対して話をしようとしても難しくなるのです。 「5無学生」とは、サークルに入らない、アルバイトしない、勉強しない、恋愛しない、本や新聞を読まない、ですね。 しかし、上のような事情を理解している親はそういう部分に関して慎重に子育てしています。 少なくとも私の息子は「5有学生」ですよ。 私は20年来、週末は少年育成のボランティアを行っており、親御さんにも子ども自身にもずっと上記のことを訴えてきました。 私の話を理解してくれた親御さんの子はおおむね息子同様に5有ですが、子育てに手間暇かけることを厭う親の子はまさに5無となっていますね。 子育てに手間暇かけると言いましたが、昔はそれは手間暇ではなかった。なにしろ携帯も何もなかったんですから。 なので今の親も昔の親もほったらかしという部分では一緒です。 しかし、今の時代は社会性の成長に関して慎重に接してやらないと人として大事なものが育たない環境になっている。 つまり今の子育ては昔に比べて難しいとは言えます。 ですが、親となった以上はちゃんとやれよ、と思いますね。 実際ちゃんとやっている人も大勢いるんですから。 あなたにアドバイスできるとしたら、今からでもメールに頼る生活はおやめなさい、ということですね。  

  • hi-sekai
  • ベストアンサー率41% (274/667)
回答No.4

40代半ば、男性です。 私も最近の20代の人達を見て 人付き合いが不器用そうだな、と思った事がありました。(注・過去形です。) でも、よく考えると私たちが20代の頃も同じだったと思います。 同じ趣味の仲間と群れて外部とあまり接触しない様な連中は多くいました。 人と関わるのが嫌い、最小限の付き合いが楽、というのは、 今の20代特有の特徴ではなく、20代普遍の特徴、 むしろ、人間の特徴とも言えると思います。 世代に関わらず同じ特徴はあり、20代がその特徴が強いだけ、 世代を追うごとに世慣れてきとその特徴が小さくなるだけだと思います。 空気を読むのも同じだと思います。 社会的背景や周りの状況が大きく変わったので気づきにくいけど、 20代の頃は同じようなものだったと思います。 年齢を経て自分が変わったのに自分が気づかず、 「最近の若者は〇〇だ」と言っているだけのように思えます。 「5無し」などもそうでしょう。 年を取れば若い人を上から目線で批評したくなる、 そんな悪い習性が若い人への批評やレッテル付けの大部分だと思います。 「今の20代は大人しい。」という言葉も、 確かに私も同じような事を感じた事はありました。 でもやっぱり考えてみると、私たち40代も20代の頃は同じだったように思えます。 私の世代か、次の30代世代かは忘れましたが、 上の世代のひとたちから「無気力世代」と言われてました。 逆に言うと、精神的に弱い、ストレスが溜まりやすいのも、 世代に関わらず、大小関わらずあるものです。 「ゆとり世代」への批判は、単なるレッテル付けです。 人は成長するもの。 今の20代一般の特徴がそのまま年を経ても残るわけではありません。 もっと自由に生きていけばいいのではないでしょうか。 むしろ問題は、自分達の若い頃を忘れて偉そうに批判している、 私達40代とその上の世代だと思います。 もっと心の余裕を持ってもいいと思います。 ただ、パソコンやインターネットの普及で情報にあふれた生活で、 便利だけれども、一方で情報に縛られる苦労や息苦しさが 考え方や行動を狭めさせている面も大きいと思います。 パソコンやインターネットを使う側であるはずが、振り回されてしまっている。 電車内などで多くの人がスマートフォンや携帯電話を ずっといじっている状況を見ると、 情報を活用している、情報社会に上手く乗っているというよりも、 自分の殻に閉じ籠っている、自由や行動力を自ら遮断している風潮が 見えてしまう気がします。 いずれにせよ、上の世代の批評は多くは自分を棚に上げての言葉です。 自分の若い頃の記憶を忘れて、の言葉の様に、 「我々の若い頃は」の話は大部分を忘れて、イメージ先行、 それも自分勝手に変えたイメージ先行である場合が多いでしょう。 気にする事ないです。偉そうに言っても世代関係なく、みんな同じですから。

noname#173104
noname#173104
回答No.3

私は40代半ばです。 ちょうど、大学に入学するか否かくらいの時期に、バブル景気が起こり、同級生の中には親御さんが突然ヘッドハンティングされて高級住宅街に引っ越したり、ブランドのバッグを持つことはもちろんのこと、高級車や外車を所有する人もいました。 子どもの頃は、「一億総中流」とマスコミも社会もみなそう信じていました。 「空気を読む」という表現、本当につい最近でしたよね。 わたしなりに、何なんだ?この言葉は?つまり何を意味するのか…?解釈してみました。 (1) 同調することへの暗黙の圧力⇒う~ん、ここまでファシズムじゃないよなぁ。 (2) 個性を出すことに対するけん制⇒いや、我々の頃よりずっと案外多様化してるぞ。 (3) 異なる意見を持つことに対する警戒と排除⇒だとしたら、特定の人のブログが炎上したりはしないし。 (1)~(3)は少々私の考えすぎでしょうかね? 昔、「戦争をしらない子どもたち」という歌がはやりました。フォークソングです。 私たち40代は、戦争を知らないことはいうまでもなく、私たちの親の世代は、何かよくわからないまま玉音放送で涙を流す大人たちを見て教科書をひたすら墨で塗りつぶし、アメリカこそがすべてで自分たちは劣っているという価値観の下に生きてきた人たちであり、親は子どものために爪に火をともして子どもたちをひたすら塾通いさせ、一流大学を出て一流企業に勤めることこそすべてだという価値観でした。 ま、私は小学校3年で自営業の両親の不仲がもとで、離婚しましたので、結構アウトサイダーだったとは思いますが。 私は時に、親世代も、私たち40代も、なぜ劣等感を抱くだけでアメリカ人の考え方から学び咀嚼し体得できないのだろうというジレンマを感じることがよくあります。 アメリカ、といってもそこは本当に多文化でいろんな価値観があって、いろんな考え方の人がいて、すっごい凶悪犯罪が起こる一方で…まぁいろいろな本を読めばわかるだろうと思いますが。 私は、アメリカ本土に行ったことはないのですが、醜悪な部分と限りなく素晴らしい部分、つまり光と闇を痛感することがあります。 私たちの世代の方がずっと空っぽなのだろうなと感じることがあります。 同世代はバブル景気で馬車馬のように働かされて、均等法の夢に踊らされ騙された(失礼、言い過ぎ?)女性たちは海外留学へと移住へと夢を持つ。 少々自世代に対して自虐的で申し訳ございません。40代、と言ってもひとくくりではなく、実はいろんな人がいるのはいうまでもありません。 「ゆとり世代」というのは、トライアルだったのでしょう。 つまり与えられた自由な時間をいかに過ごすか、泥まみれになって遊ぶのもよし、あちこち興味をもって食い散らかすのもよし(笑)、…。 「空気を読む」とは、きっとそのうちわかるかと思いますが、タテマエ論でしょう。 私も、高校受験の頃、実は違う意味で、暗い子(笑)でした。転校を繰り返し、第一印象やちょっとした発言で集団無視など当たり前、教師まで加担するという猛烈な体験をしたため、次の学校では失敗しない… 「バカを演ずる」…このことに躍起になっていました。(内心はものすごい暗い動機に基づいています) 集団無視で一番しんどいとき、電話相談に1度だけかけたことがあります。中学生だったので、ほとんど毒づいた調子(スケバン口調です)。「あなたがそういう生徒だから学校全体から荷物扱いにされても当然。」とその電話相談員は言いました。 びっくりするでしょうが、当時の私の毒づき方を電話だけで聞けば、あなたも怖いと思い電話を切るでしょう。 バカを演ずること…つまりピエロだったのかなと。「もっとラクに生きなよ」二十歳そこそこで海外に渡った友人はいつもエアメールにそう書いてきました。その意味が、なかなか理解できなかった「空気が読めない」私でした。 あなたの仰る、「空気を読む」とは、このことにとても似ているような気がします。つまり、他者に自分の手の内を見せない。だから、タテマエ上、同調しておく。しかし、心のうちは決して他者には見せない。 そうでありながら、お付き合いを続けるのは確かに辛いですよね。 まるで、冷戦下の共産主義国のピオニールとか、旧東ドイツの相互監視のようです(笑)。 すみません、言い過ぎました。 つまり、こういうことなんです。あなた方は、この苦しい時代を生き抜くために、他者を凌いでいくためにも、自分の手の内を見せないで、しかし、不安だからこそつながっていたい… いちいち、言葉にしなくても、みんな辛いことはおなじ。だから、くだらないことを取り留めもなく語って、繋がっていよう…。 飽きるまでやっていいのではないですか? 飽きたら次のステップがきっと待っています。 ちなみに情報ですが、有り余る情報から、あなた自身の目で取捨選択してください。 ネット社会とは、これが試されているものなのだと思います。トレーニングの途上だと思えば心も楽になります。 不安…いいのです。つながっていてもいいのです。LINEでもTwitterでも全然構わないと思います。 日本がバブル景気に浮かれていた頃、欧州は不景気でした。西ベルリンのツォー駅では、どこか心の寂しさと不安を抱え、誰ともわかり合えないと思い込んでいる思春期の子たちが麻薬に溺れていきました。 「ツォー駅の子どもたち」という本が出ていますし、「クリスチーネ・F」という映画にもなっています。西ベルリンの空きビルに不法占有者として暮らし、数マルクしか金がないからそれで食事ではなくビールを買い、売春して麻薬を手に入れる…。 そんなふうに日本の若い世代がなってほしくないです。 そばにいて、寄り添い合って、それが友人なのですよ。飽きるまでLINEなどを通じて語り合ってもいいのですよ。本当は、マックなんかで溜まって語りたいものですよね。本当はそれがいいと思います。でもお金がかかります。 頭の良し悪しとか、貧富の差とか、異性愛者か同性愛者か、そんなことはどうでもいいのです。 陰で必死に勉強していたとしても、全然いいと思います。それはその人の人生設計の問題ですから。 ところで、私は、本当は、本当は、幼児のころから人に注目されるのが大好きです。これは実は私の内なる子どもですね。しかし、もういい年なのでそれなりに自分で抑制しています。かつ、音楽全般、歌がものすごく好きですね。歌うのは爽快です。なので、実は、山口百恵や桜田淳子のようなアイドル歌手になるのが夢でした。 のど自慢に出ているフツ~の公務員とか、保母さん、農家のおっさんとかに無性に嫉妬することがあります(笑)。 日曜日の12時になると、あれをみながら、「ば~か、下手くそ!」「ほら、鐘ひとつ。あたぼ~よ」 と、独り言です。 イギリスでも、すごいオバサンが素晴らしい歌声で歌手デビューしていたので、そこまでとはいかなくても、いつか下手な中国語の歌を唄うために中国か台湾ののど自慢に出るのが夢ですね(笑)。 あなたも、小さくていいから夢を持ってくださいね! 小さくても夢を持てれば、周囲を明るくします。みんなも小さな夢を持てるようになります。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.2

うーん、若い時に楽をしてきたツケが、社会人になってから回ってきているんじゃないでしょうか。 学生時代とは、基本的に社会に出るまでの練習期間と言いますか、準備期間だと思うんですね。 そこで「経験すること」を可能な限り避けるようにしている人間が増えていると。 その考え方自体を否定はしませんが、その結果社会に出てからストレスをためまくりでは本末転倒であるように思います。 学生時代とは違い、社会人ともなると行動に一々責任が伴いますから、学生時代に経験がない人間がその状態では、そりゃストレスもたまるでしょう。 学生時代の失敗なんぞ、危険行為や犯罪行為でもない限り、ハナクソのようなものです。 社会人予備軍のうちに、興味のあることは(危険行為や犯罪行為を除いて)時間が許す限り経験しておいた方がいいと思います。 で、質問者様へのアドバイス。 社会人になったとはいえ、まだまだあなたはお若い。 1秒でも若いうちに、学生時代にできなかった経験をガンガンやっていきましょう。 その結果失敗9、成功1でも構いません。 何よりもよくないのが「不戦」なのですから。

noname#173190
質問者

お礼

まずは、回答のお礼をあおりがとうございました。 私は、楽していません。家族は家庭崩壊によりばらばらになり、自分中心のゆうじんにより対人恐と怖症になりました。きっと、「空気を読む」を異様に意識しているのは、そのせいだと思います。学生時代は、学費を稼いでいましたよ。 という、不幸自慢はいいのです。ここでは、世代間のことについていっているので、私だけにあてはまることではないのです。 回答者様は、20代でしょうか?もし、20代なら分かるかも知れませんが、今日の20代は学生時代でも、ただ遊ぶことにおいても人間関係で窮屈しているのは確かなのです。 でなければ、大学において、人と接するのは嫌だけど一人も嫌だと言う気持ちで、トイレでこそこそごはんを食べる若者がいるわけがないでしょう。事実、いるんです。

  • fuefue12
  • ベストアンサー率38% (457/1192)
回答No.1

世代事の悩み・風潮と言うのはあると思います かく言う私は30代です。 私たちの世代は「キレやすい世代」と言われました(苦笑) と、言うのも1997年に当時15歳であったサカキバラという 少年が猟奇的な犯行を行ったセンセーショナルな事件があった事と ネットが普及し始めた事で10代がネットを活用した事件が 少しずつ表沙汰になった事が影響しています。 因みに40代前半の方は正にバブル+ヤンキー時代のまっただ中で この頃は「明るくないと話にならない」という時代であったとも言われ 根暗な人は馬鹿にされるという風潮もあったみたいです。 その中間の現在30代後半は ヤンキー人気もすたれ始め、キレる時代でも無かった為 なかなか微妙な時期を過ごしていたみたいです (あくまで当事者から聞いた話程度なので参考程度にどうぞ) どの世代も共通して言えるのは 「今の若者は…」と言われる立場に10代~20代はあります。 ただ、今の10代20代世代に言えるのは 過去数十年の時代の中でも比較的「大人しい」世代に属すると言えます。 不況の煽りを食らって人は消極的、お金を使わない方法で生活をするのを「よし」とする風潮になりました。 それに反する様にネットが流通し 携帯を持つのが当たり前「つながってるのが当たり前」な時代に変わって行きました。 mixi,LINE,facebook・・・ プライベートでも「人と繋がる」のが当たり前なのです 30代以降はSNSなど「嫌ならやらなきゃいいじゃんw」で終わるのですが 新しい物に敏感な10代にとっては死活問題だったりもします 無いのが当たり前な時代から「あるのが当たり前」な時代に変わって行く中 ゆとり世代以前の「大人に反抗する」のが当たり前だった時代から 「空気を読む事」を求められる時代に変化した苦しみは今の若い世代にしか分からない苦しみだと思います。 ただ… あと10年もすれば状況はまた変わります。 質問主さんの言うゆとり世代がしたの世代に対し 「今の若いヤツは…」と言う様になるのです。 例えどんな時代が来ても。 苦しいのはどの若者世代にも同じです 私たちの場合コギャルがおしゃれの代名詞でルーズソックスをはいてない子は大変でしたw また事件の影響もあってか「今の子はすぐキレる…」ともよく言われました… (キレてねーよ!と何度もおもいつつw) 時間がかかる問題かもしれませんが 正直30歳になる頃にはまた別の若者攻撃が始まります。 あまり気にしても仕方が無いというのが率直な感想です。 そして今のゆとり世代以前の人達も みーんな「今の若者は…」って言われて通り過ぎて忘れているんですよね

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