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映画アバターのハレルヤ・マウンテンにおけるエイワ

  ジェームズ・キャメロン監督によるSF映画「アバター」において、アルファ・ケンタウリ系の惑星「ポリフェマス」の衛星「パンドラ」では、地表を覆う殆どの植物が、根や地下茎等を通じて、脳神経回路にも似た電気化学的な信号による「エイワ」と呼ばれる超巨大なネットワークを形成しているという設定になっています。  そして、現住種族である「ナヴィ」の間では、エイワは地球における神にも似た神聖な存在であり、地上の全ての生き物の命はエイワからの借り物であり、いつかはエイワに返さなければならず、エイワに返された魂は、エイワの中で生き続けると考えられているようです。  エイワが「パンドラの地表を覆う植物群の電気化学的な信号による巨大なネットワークである」というのは、グレイス・オーガスティン博士の仮説ですが、作中ではその仮説が正しいものとして扱われているようです。  実際、作中では、完全には成功しなかったものの、死の寸前の「グレイス・オーガスティン博士」の人格(の一部)を儀式によってエイワに移したり、主人公である「ジェイク・サリー」の本体の人格を、エイワを介して彼が使用していたアバターの肉体にダウンロードしたりもしていました。  処で、パンドラには、「アンオブタニウム」と呼ばれる常温超伝導性を持つ架空の鉱物が存在していて、そのマイスナー効果により、地磁気に反発して空中に浮遊している、「ハレルヤ・マウンテン」等の(山サイズの)巨大な岩塊が多数存在していて、それらの岩塊の上にも多くの植物が繁茂し、イクラン(マウンテン・バンシー)を始めとする幾種類かの動物も生息しています。  空中に浮遊している以上、そこの植物は電気化学的には地上とは接続している筈はありませんから、その場所はエイワとの繋がりが無いという事になります。  という事は、ハレルヤ・マウンテン等の空中岩塊で死んだ命はエイワに還る事は無く、そこで生まれた命もエイワからの借り物などでは無く、そこで生きているイクラン等の動物も、エイワとの繋がりは(少なくとも直接的には)無い、という事になると思のですが、作品の設定上は、これらの空中岩塊におけるエイワの扱いはどのようになっているのでしょうか?  又、作中において、ナヴィ達が空中岩塊上にあるイクランの営巣地に侵入するシーンがありましたが、もしも、そこで死んでしまった場合には、「神聖なるエイワから借りた命を、返さずに駄目にしてしまう上に、自らの魂もエイワに還る事がなくなる恐れがある場所」である空中岩塊に登る事を、ナヴィ達が禁忌としていないのは何故なのでしょうか?

みんなの回答

回答No.1

 地続きでないことはあまり関係ないのではないですか?  架空の、解明されていない、物理法則を無視した設定の世界の中で、電気化学的には、というのは無意味だと思います。  あくまで設定に拘ってみると、イクランも捕食し繁殖し死ぬわけで、それには山の上だけでなく地表にも降りて生活することが不可欠でしょう。  少なくとも山の上にはイクランのえさになりそうなものは何一つありませんでしたから。  ナヴィたちが狩りで殺して喰った獲物もエイワの一部へと還るなら、ハレルヤマウンテンで死んでも、やがて長い時間の経過と共に風化したり落ちたりしてエイワに還る、あるいは死体をイクランたちが喰って取り込み、地表に降りたときにエイワに還る、というふうにも考えられます。  個別の樹木や神経回路がエイワなのではなく、そのあたりの自然全てがエイワなのだ、という捉え方でいいのではないでしょうか。  もっとも、魂と肉体とを別のものと考え、生命から死後魂だけが外へ抜け出ると考えるなら、そもそも繋がっている必要すらなく、浮遊していることは何の障害にもならないとは思いますが。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。 >架空の、解明されていない、物理法則を無視した設定の世界の中で、電気化学的には、というのは無意味だと思います。  そう仰られても、「エイワはパンドラの地表を覆う植物群の電気化学的な信号による超巨大なネットワークである」という話は、別に私の考えた事ではなく、作中で語られている当該作品の重要な設定の1つなのですから、「無意味だ」と仰られても困ります。  それに、架空の設定の世界の中である事は確かですが、「エイワ」や「空中に浮遊する岩塊」等々の設定に関しては、解明されていない訳でもありませんし、物理法則を無視しないと成り立たない設定という訳でもないと思います。 >ナヴィたちが狩りで殺して喰った獲物もエイワの一部へと還るなら、ハレルヤマウンテンで死んでも、やがて長い時間の経過と共に風化したり落ちたりしてエイワに還る、  いえ、「命や魂がエイワに還る」と私が述べてしまったために、誤解させてしまったのかも知れませんが、作中の設定や描写から考えますと、正確には「エイワという電気化学的な巨大ネットワークに、『死が迫った生き物の脳神経系に保存されている、個体の(脳のプログラムを含む)情報』がアップロードされる」 と言うべきかも知れません。  ですから、エイワに還るためには、死の直前にエイワのネットワークにアクセスしておく必要があるはずで、地上で死んだ場合には、地下に張り巡らされている植物の根や地下茎を通じてアクセス出来ると思われますし、樹上で死んだ場合には、死者の肉体の下にある樹木を通じてアクセス出来ると思われますが、肉体が完全に死して、その個体の脳というコンピュータがエイワにアクセスする機能が失われた後で、情報が失われた肉体の残骸が地表に降りたのでは、エイワに還る事は出来ないと思います。  それに、「死者の全てがエイワに還る」という訳ではありません。  あくまで、 「生き物には、エネルギー(の様なもの)があり、そのエネルギーはエイワからの借り物に過ぎず、いつかはエイワに返さなければならないものである」 という信仰が、ナヴィ達の間に浸透しているだけに過ぎません。 >ナヴィたちが狩りで殺して喰った獲物もエイワの一部へと還る という話も、ナヴィ達の信仰に過ぎず、本当に獲物の情報がエイワに還っているのかどうかも判りません。(獲物をしとめた際の儀式を行っているシーンで、植物の根が獲物に向かって伸びて行っていく描写があったのでしたら、おそらくは獲物もエイワに還る事が出来ていると思われますが、残念ながら私は注意して見ていなかったので、その様な描写があったか否かを確認出来ておりません)  それに、獲物がエイワに還るのは「ナヴィたちが狩りで殺して喰った」時ではなく、獲物を仕留めた後で、その獲物の息が絶える前に、ナヴィが「獲物をエイワに還す儀式」を行った時なのであり、「その儀式をせずに死なせてしまった獲物はエイワに還る事は無い」とナヴィ達は考えている様な描写もありますから、もし仮に、ナヴィ達が「エイワとの繋がりが無い場所で死んだ者は、エイワに還る事は無い」と考えていない等という事があったとしますと、不自然な話だと思います。 >個別の樹木や神経回路がエイワなのではなく、そのあたりの自然全てがエイワなのだ、という捉え方でいいのではないでしょうか。  エイワの正体に関する設定の方は、作中においてグレイス・オーガスティン博士がパンドラの植物群の根を調査しているシーンもありますし、その調査の結論として、エイワの正体を語っているシーンもありましたから、エイワが植物群による巨大な情報ネットワークである、という以外の捉え方は難しいのではないでしょうか。  魂の木に「絆」(ナヴィを含むパンドラの動物の頭部から延びる神経繊維の束の末端である、フィーラーを使って、電気化学的な信号によるアクセスを行う事)を結ぶ事によって、エイワにアクセスする事で、実際にエイワの存在を「知っている」ナヴィ達ならば、エイワの存在は >そのあたりの自然全てが 等という漠然としたものではなく、自分達とは比べ物にならないほど大いなる存在ではあるものの、(チャットで会話する様に)コミュニケーションをとる事が出来る相手、或いは、パリー(ダイアホース)やイクランと同様に、「絆」を結ぶ事が出来る相手、という捉え方をしているのではないでしょうか?

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