- ベストアンサー
親戚、いとこってどうですか?
- 親戚やいとことの関係について不満や悲しみを感じている30代女性の質問です。
- 親戚やいとことの関係には楽しい面もありますが、煩わしさや負担もあるようです。
- 質問者は自身の親戚やいとこの関係があまり良くないため、羨ましく感じています。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
同じく30代女性です。 妹の子供(うちの子より一つ下の男の子)がいます。 昨日実家に帰りましたが…。もう親や祖父母・おじに溺愛されて甘やかされて生意気に育ってるので、 ハッキリ言ってうちの子に真似されたくない「クソガキ」です(笑)だからいとこがいてよかったなんて微塵も思いませんね~。 うちの子たちも甥っ子の傍若無人さにドン引きで一切近寄らなかったし。さっさと帰って来ました。 いとこも、近くに住んでいたら会う機会もあるだろうけど、遠かったらなかなか数年疎遠なのはザラですね。 でも、一回り上なので小さい時からあまり話をしなかったいとこ(男性)が息子の幼稚園の先生の同級生と知っていきなり身近に感じたという例もあります(笑) 兄妹ならドロドロした面も見ちゃうけど、そういう意味ではいとこというものは兄弟と比べて血がつながってても気楽に付き合える関係かもしれません。年が離れていればよけいに。 年が近かったら、何かと比較対象にされるのは避けられないでしょうねー。
その他の回答 (3)
- mama4615
- ベストアンサー率18% (987/5267)
私自身 既婚女性、39歳です。 娘達は 高校生です。 私には 12人の従姉妹 が居ます。 母方の従姉妹 としか 交流は 残念ながら 持つ事は出来ません。 私が幼少の頃は 母の実家に集まり 深夜までキッチンに電気が点いており、その横のリビングには布団を敷き詰め 雑魚寝状態。 昼間は 一人500円を 先頭従兄弟が握り管理し 駄菓子屋へ。 年齢差は 先頭と最後では 一回りは違いますが 上が下をみて、、、と言う形でしたね。 残念ながら 世の流れには 逆らえない部分があり、祖父母の他界、従兄弟の成長、共に回数は減り、今では 半数以上が世帯を構え、私の様に子供も居るので 以前みたいに 宿泊 には ならない現実はありますが メール、年賀状の行き来は 未だにある 従兄弟もいます。 実際 去年(数日迄ですが)、行き来のあった従兄弟は 12人中7人8人 って感じでしょうかね。。。 さて 私の子供 の立場からの 従姉妹ですが これも 残念ながら 私の妹は子供がいませんので 私側 に従姉妹は存在しません。 夫側には 3人の従姉妹がいます。 年に数回ですが 逢うチャンスはあるのですが これも大学、社会人 なので 無理がありますね。。。 娘自身は アドレス交換しているので 連絡は時折しているかもしれませんけどね。
お礼
ありがとうございます。 >昼間は 一人500円を 先頭従兄弟が握り管理し 駄菓子屋へ。 やはり聞いていると楽しそうですね。
- petunia
- ベストアンサー率38% (455/1197)
私の父も母も兄弟が多かったので、いとこ、親戚は多いです。 小さい頃は、母方の法事など大盛り上がりでした。 ただ、大きくなると、それぞれ結婚して家を離れるし、 特に母方の祖父母が亡くなってからは、いとこ同士の交流は男性が中心のようです。 父は、兄弟と年が離れているので、 父方のいとこは、私が物心付いた頃は大人で 一緒に遊んだ記憶はないです。 離れて住んでいるので、父方のいとこは会う機会も本当に少なく、 縁が薄いと思っていました。 ただ、叔父、叔母が亡くなり、葬儀に出席したのをきっかけに そのいとこと、連絡をとるようになりました。 もう、相手は孫が生まれたというような年ですが、 私の小さいころを良く覚えていて、懐かしがってくれました。 質問者さまも、たとえ親同士、確執があっても、年数が経てば、 交流が生まれるかもしれませんし、 そういう、きっかけがあれば、臆せずにお会いしてみると言うのも一手だと思います。
お礼
ありがとうございます。 両親の離婚は父親の方に一方的に原因があり、母は会う事を許さない人でした。 しかし離婚したあと、小学生の時は数回は会っていましたが、いつのまにか途絶えました。 私も大人になったていうのもありますし、父親の原因は確かに良い事ではなかったので、私の中でも会ってはいけない、会いたくないという気持ちもあり絶縁といっても私から引いていったという感じです。 今は父も若くして他界したそうですし、会う事はないと思います。
- kamikazek
- ベストアンサー率11% (284/2372)
家族 兄弟 姉妹 親戚 いとこ・・あつまって それがあたりまえの家系環境が あたりまえのひとたちもいれば、まったくそんなこととは関係ない人たちも いると思います。でもこれも「かねはてんかのまわりもの」とおなじものではないでしょうか。 べつにのぞんだわけでもありません。いまそうあることは前世代の個人の心がけと その経緯時間率のまわりの時代環境にもよります そして、「家族キョーダイは他人の始まり」とももうします。 家系親族知人が、つねにそのようなつながりを次世代も大事に心がければ永代続くのですが それを甘んじると疎遠(粗縁)になっていくでしょう。 また はじめから一人っ子の家系とか、家系親族一同あつまっても そんな大人数はないですよね。 しかし、ひとりっこなどの環境のとき 家族親戚家系大人数のかたたちよりももっと ひとの他人のこころを考えているような気がします。 結局 最後にはこころのもちよう・こころがけ・こころのありようではないでしょうか。 大親族のなかにも こんなに親族いらないと考える方もいらっしゃるのだから。 どうしても 「あつまり」を楽しみたかったら キリストかなにかの教えではないですが(w) 隣人を愛せ。からスタートしてはどうですか。 そして 結局、それら上記はすべてそこからスタートしてるんですよね。 ふだんの何気ない生活の毎日の隣人です。 ひとって結局 自分の周りを愛するのが精一杯の生き物だし でもしかし それで十分と思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 気の合う友人達の集まりはよくやっていたので、その点では幸せだと思いました。 血がつながっているから仲がいいとも言えませんが、ここでの私はただ集まりたいではなくて親族にこだわりたいのです。 かといってもどうにもなりませんが、友人とはまた違う感覚なんだろうなと思います。 勿論友人も好きですがやはり血のつながりがあるという事だけで心温まるものはあります。 職場で偶然に遠い親戚に会った時にはやっぱり懐きたい、頼りにしてほしいという感覚が湧いてきました。 ただ遠くの親戚、近くの隣人という言葉があるようにそれも納得できる所もありますが。
お礼
ありがとうございます。 確かに年が近いと比較ありますよね。 どこの高校行くかで、いとこよりいい所じゃないと!とか思ったり色々面倒そうですよね。 大きくなればまだ結婚しないのか?とか言われるだろうし、兄2人共を考えるともう40代で嫁なしは親戚がいたら顔向けできません。 ある意味楽で良かったのかもしれないですよね。