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初日の出、初詣について
今年3月に父親が亡くなりました。 私は、12月で44歳になりました。 来年の初日の出や浅草寺に初詣には、行ってもよいのでしょうか。 年末に、父の墓参りだけにとどめたほうがよいのでしょうか。 教えて下さい。 ご回答、お待ちしています。
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- michael-m
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忌は神道50日、仏教四十九日です。 この期間は本来なら故人の冥福を祈る期間なので世俗の事からは隔絶するものです。 しかし、現代ではそうも行かず、忌引き規定という新しい尺度が出来ました。明治の服忌令は正式に廃止されているので関係ありませんし、理屈の通らない不合理な迷信や俗説を信じるならいざ知らず、正しい知識を優先するなら忌引きを過ぎれば普通に出来ます。 ちなみに神社本庁ですら忌引きは最長10日しか有りません。 ですから「忌」ということを考えれば既に何をしてもいいということになります。 次は「喪」です。喪は「心にポッカリ開いた穴を埋める期間」とは知人の神職の方が学生時代に説明された言葉だそうです。 親しい人が亡くなって悲しみに沈んでいたら食事さえ喉を通らない。慶事だけではなく日常生活もままならない。それが「喪」なんです。 これは人それぞれで、決まった時間ではない。だから現代の忌引き規定には「喪」がないんです。 喪は「してはならない」時間ではなく「する気になれない」時間を言うのです。だから悲しみで何もする気になれなければ一年だろうと二年だろうと初日の出を愛でる気にも初詣もする気になれないでしょう。 だからしなければいいし、悲しみを乗り越えて前に進もうと決心したら喪明けですから初詣だろうと、初日の出だろうとすればいいのです。 ちなみに初日の出を拝むのは、初日の出とともに歳神様がやってくるから。 よろしいですか?暮の大掃除も飾りつけも年神様を迎える準備。 もし喪中が一年ダメという事であれば、暮に亡くなった家では大掃除も飾りつけも出来ない、なぜならこれらは全て神事だから。 そしてそういう人はろくに掃除もしない迎えるための準備もしない家に年神様を迎える事になる訳です。 つまりはとんでもない失礼なことをするわけです。或いは一年近く年神様を迎えられずに過ごさなきゃならないんですよ。 それはとんでもない事ですよね。 このことを考えるだけでも、忌や喪の解釈が間違っていることは明白です。 つまりもう既に忌は開けています。あとは喪は貴方の心次第という事になります。
お寺は仏様だから大丈夫です。神社は神様は止めましょうね。お寺へお年賀の挨拶に行った時にお墓にも線香をあげて帰って来ます。