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長生きは、皆さんにとってチャンス?それともリスク?
厚生労働省の「生命表」によれば、2010年に65歳だった男性の平均余命は18.86歳、女性は23.89歳なんだそうです。 即ち平均して、男性は83.86歳、女性は88.89歳あたりまで生きられるということになります。 仮に60歳としても、そこから20~30年くらいは人生があるわけです。 超長寿社会がやってくるのですが、皆さんにとって長生きすることはチャンスですか? それともリスクですか?
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チャンスだと思います。 時間の経過には、リスクもチャンスも付き物です。 ガンで余命を宣告された私の知人が、「ガンは生きることのありがたさを知らしめてくれた奇跡のような存在」と、私に教えてくれました。 死の間際が迫るという人生最大のリスクと向き合って初めて、自分が過ごす一瞬一瞬に潜むチャンスの重みに気付くという、なんとも皮肉な巡り合わせですが、世の中、得てしてそうしたものかも知れません。 「もっと生きたかったのに」「もっと生かせたかったのに」という無念の想いを抱えながらの別れは、この地球上、今この瞬間にも、起きているであろうことです。 健康、美貌、体力、知能、才覚、富、財力、地位、福運、人脈に恵まれている人でも、臨終の瞬間だけは、自分の意思で選び取ることはできません。 生きるチャンスに恵まれながら、リスクばかりを数え上げ、自ら希望や可能性を狭めてしまう生き方は、生きるチャンスさえ与えられなかった人々に申し訳ないです。 ヒトであれモノであれ、誕生100年、創業100年となれば、偉業を成し遂げたかのように扱われ、祝賀ムードに包まれたりします。 生き長らえるということは、それだけで素晴らしいがゆえなんでしょうね。 とは言うものの、人生90年と想定したとして、人間、還暦を過ぎれば、それまで難なくこなせていたはずの様々な事象に、様々なリスクを抱えがちになります。 そうした未来を見越したとき、身動きしやすい若い時分に、いずれ訪れる自身の「衰え」をカバーすべく対策を講じることができるどうかは、非常に重要視されると思います。 イソップ寓話の「アリとキリギリス」に登場するアリさんみたく、人生の春を謳歌できる内から、この先かならず訪れる冬のための下準備をこつこつ進めておく必要があります。 少子高齢化が加速し、若い失業者が溢れる一方で、介護業界が悲鳴を上げる社会。 大地震の続発に見舞われる危険性をはらむ日本各地。 年金制度をアテにできない時代の訪れ。 これらの事態については、日本がバブル絶頂期で浮かれていた約20年前、教師が私たち学生に警鐘を鳴らしていました。 だから、今のご時世に、あまり驚きはありません。 「老い」は突然やってくるものではありませんし、世知辛い世の中とは言われるものの、待ち受けているのは予測不能なリスクばかりではありません。 一寸先は闇のような時代だからこそ、備えがあれば憂いは軽くなり、心に余裕も生まれます。 心に余裕があれば、ピンチにぶつかった際も、前向きな発想で柔軟に対処できる機会が増え、二次リスク、三次リスクをヘッジしやすくなります。 長生きをチャンスと捉えるかどうかは、「自分の人生の後始末を自身で完結させられる理想の老後」を、老後が訪れる前に確立しておくことがネックですが、そのためには、自分が有効活用できる時間や力量や資本は限られるという自覚を早期に構えることが必要です。 「長生き」は、若い世代の関心事でなくてはならないように思います。
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- cucumber-y
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この世に生まれてきたことを「チャンスを得た」と考える人なら、長生きは「チャンスが広がった」ですよね。 逆にこの世に生まれてきたことを「リスクを負わされた」と考える人なら、長生きは「リスクを負わされ続けられる」になるでしょう。 私は前者です。(^^)v
お礼
>この世に生まれてきたことを「チャンスを得た」と考える人なら 赤ちゃんは生まれた瞬間にオギャーッと泣き叫びますが、確かシェークスピアのリア王に、“この苦悩と絶望の世に生まれて、これから先、そういう中で耐えながら生きていかなければいけないということに怯えて泣くのだ(人生という悲喜劇の舞台で役者を演じるのが嫌なので)・・・”というような部分があったと思います。 私は生まれた時に泣いたと思いますが、これから先チャンスだと思って、泣いた事を忘れて頑張ります・・・ 回答を頂き、ありがとうございました。
わたしの父方の祖母と母方の祖母は 同じ年に生まれて(同い年)、同じ年に亡くなりました。 父方の祖母は亡くなる前何年も寝たきりでしたが、 母方の祖母はお風呂で倒れるまで 家業を手伝って働いていました。 病院に運び込まれて意識を取り戻すことなく亡くなりました。 そんな風に死ねれば一番良いと思いますが、 現実にはそうもいかないかなぁと。 何十年か後の世界がどうなっているのか 見てみたいとは思いますけど。
お礼
先ほどの方も言っていましたが、本人としては“ピンピンコロリ”が理想的なのでしょうけど、周りの家族はコロリであってもそうでなくても、驚き悲しむに違いないですね。 亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんは、生前から自分の通夜や葬儀・告別式、墓の準備を進めていて、参列者には本人が生前に認めた手紙が配られたそうです。 きっと、家族が悲しむ間もなくあたふたと葬儀を進めて、落ち着いた頃にドッと疲れと悲しみが襲ってくることを予想しての配慮かと想像しますが、こういう達観した人物になりたいものです。 回答を頂き、ありがとうございました。
- k_mutou
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年齢に関係なく“生きている事そのもの”が【リスク】であると思います。 【チャンス】もある意味、年齢に関係はないと思います。 しかし、【チャンス】となるとやはり高齢の方は厳しいのかなと思ってしまったりもします。
お礼
そうですね、加齢とともに体のいろんなところにガタがきておかしくなっていくのは誰にでもあることで、これが誰にも平等に訪れるとすれば、チャンスをどう活かしてリスクと相殺させるかという術が大事になっていきますね。 それが上回ればチャンスとなるんですが、なかなか難しいです。 回答を頂き、ありがとうございました。
私は今33歳ですが生きている間に《ハルマゲドン》が早く来て欲しいと願っています。 人生は年齢に関係なく生き方で決まるので人間性が大事だと想います。
お礼
そうですね、仰るとおりチャンスもリスクも「生き方」次第かと思います。 その生き方を見つけるのが大変ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- カルマ(@mimicry-budda)
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自分も、年齢は50代半ば・・・。 既に「人生・後半戦」に突入していたのですね・・・。 >皆さんにとって長生きすることはチャンスですか? >それともリスクですか? ↑ 「両方」でしょうね。 「リスク」を伴わない人生は、先ず有り得ないでしょう。 「自分は、病気に罹らないし、事故にも遭わない。 必ず天寿をまっとう出来る」 こんな人は、「いない」と思います。
お礼
加齢とともに体のあちこちにガタがくるのは必然で、仰るように事故に遭わないとも限りません。 それは誰にでも確率として平等にあると考えるなら、各人次第で作れるチャンスはむしろそれ以上に活かしたいと思います。 回答を頂き、ありがとうございました。
チャンスかリスクかという考え方はしたことがありませんし、問われてもそういう風に考えることができません。 私にとってチャンスやリスクは社会的に自分が置かれる立場という意味を持つからです。 例えば市会議員に立候補するのであれば、経歴や人間関係にものを言わせやすいということからチャンスと受け取ることもできますが、日本全国を飛び回らなければならないような事業を起こすには体力がついていかないのでリスクになろうかと思います。 60歳からの余生が幸せか不幸かと問われるなら、いろいろな不安はありますが、幸せだろうとは思っています。
お礼
おっしゃるように、たとえば現役時代は社会的な関係で身を置く機会が多いですから、その中でチャンスやリスクということは言えますが、定年後の数十年間は現役時代と比べるとかなり自由度が大きいような気がします。 その自由をどう活かすかはいろんな条件がかかわってくると思いますが、気持ちとしてはチャンスととらえて行きたいと思いますね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- sakura-333
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お金がなかったらリスク。 超健康体でもないし・・
お礼
年をとったら、やっぱりお金がないと何かと不自由しますね。 老後を心配なく過ごすには数千万円必要・・という試算もあるようですが、試算といってもそんな資産はありませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
リスクとしか思えません。 公的年金なんて全くアテにならんし、賃下げ・値上げが相次ぐ時勢でどこまで貯金出来るかもわからん。 長生きなんてしないで、さっさと死にたいです。
お礼
そうですね、国の老後施策はまったく当てになりませんからね。 “100年安心”と言った某人は引退だし・・・責任をとってほしい気がします。 この人は引退後も、年金は入るし何がしで益々安心です。 回答を頂き、ありがとうございました。
こんにちは。 私はある病を抱えています。 死に直結する病ではありません。 しかし死ぬまで病院へ通わないといけません。 でしたら長生きせずポックリ逝ってくれる方が とても楽だと思います。
お礼
なるほど、そういう病ですか・・・ 「健康と元気は違う」という言葉があります。 健康だからといって元気とは限らないという意味ですが、裏を返せば“健康でなくても元気ならいいじゃないか”となります。 確かに病はそうかも知れませんが、元気だったらそれでいいような感じもします。 私は死ぬまで元気でありたいです。 回答を頂き、ありがとうございました。
人のお世話にならないで 年をとってもある程度の事を自分でできるのであれば チャンス。 寝たきりになるとかで 回りの人達に煩わしい思いをさせる事がないなら チャンスと心得たい という願望はある。 この世を去る時は オババさん曰く コロッと逝きたい。あとを濁さずに。寝たきりで長生きするのは避けたいなぁ。これは言いたくないけど不本意でありリスク。
お礼
よく言われる“ピンピンコロリ”ですね。 私もそう願いたいものですが、実際はどうなってしまうのか・・・ 年間で1万人以上の人が、亡くなって4日以上も発見されない「孤立死」となっているんだそうです。 さすがにそうはなりたくないですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
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お礼
今「終活」がブーム?のようになっています。 個人的には、今まで「死」というのは地域・家族・夫婦であったものが、「死が個人化」されていく時代だと思っています。 その背景は、“自分が苦しみたくない”“他人を苦しませたくない”という感覚が根本にあるわけですが、これから先の「人生デザイニング」の主導権は自分にあるということで、それは“楽しく死ぬためには、楽しく生きなければいけない”と前向きにとらえて、それらの活動や意識もすべて含めて=終活=高齢者の社会的責任だと思っています。 そなると「健康と元気」という考え方も変わってきて、“健康でなくても元気ならいいじゃないか”と意識転換ができるような気がします。 結局のところ、リスクというのは後ろ向きに考えること、チャンスというのは前向きに考えることかと思います。 回答を頂き、ありがとうございました。