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ペットの命と食の命。動物の命と昆虫の命。
- ペットの命と食の命、動物の命と昆虫の命について考えます。野菜や果物の生産では、動植物や土中の命が犠牲になります。命に優しい育て方をされた食材を食べる人は少ないです。飼われる昆虫は死後に軽く扱われる傾向があります。一方、ペットの命や人間の命は大切にされています。命の価値に差を感じ、どのように受け止めるべきかを考えます。
- 命は平等と言われますが、実現は困難です。生きるだけで目に見えない命を持つ体もあります。命の価値には差があります。どのような姿勢で接するべきか、命に向き合っている人々の考えを知りたいです。特に昆虫の命に向き合う機会が多い人々の感想を教えてほしいです。
- ペットの命と食の命、動物の命と昆虫の命について考えます。野菜や果物の生産には動植物や土中の命が犠牲になりますが、命に優しい育て方をされた食材を選ぶ人は少ないです。一方、飼われる昆虫は死後に軽く扱われることがあります。ペットの命や人間の命は大切にされていることは確かですが、命の価値には差があります。どのように命の価値を受け止めるべきか、命に向き合う姿勢を持つ人々の意見を知りたいです。特に昆虫の命に向き合う機会が多い人々の感想を教えてほしいです。
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A3です。 >>ペットを飼うということは、生かす趣味ではありますが、 >>殺すことにつきあう残酷な趣味、飼わない限りペットは死なない。 >この文の後半の意味を >もう少しだけ詳しく教えて頂けますと幸いです。 飼い主より寿命の長い生物を、ペットとして飼うことを好んで行わないと思います。それは飼い主の無責任だから。 飼い主より寿命の短いペットを飼うということは、必ず死を看取るということであり、死ぬまで幽閉することを約束すること。 昆虫でも犬猫でも、長生きするようにペットを飼育する事は、死なないように飼い殺す、生殺与奪のルールで行われる、命を弄ぶ趣味。 どれだけ可愛がっていたって、必ずいつか死ぬのが定められたルールです。 ペットを飼わないという選択があるのに、ペットを飼うから、ペットの死を悲しまなければならない業を背負います。 だから、ペットを飼いはじめない限り、絶対にペットは死なない。 私は、魚類、爬虫類、両生類、ハムスター、犬を飼育しているし、 ペットに与えるエサとして、コオロギ、ミルワームを繁殖までして昆虫も飼っています。 時には、熱帯魚の稚魚を爬虫類や両生類のエサにすることもある。 命を愛し、命と向き合っている人は、命が平等なんてことを言い出しません。 可哀想な存在より、可愛い存在が優遇されるのが愛情です。誰かを愛することは、愛していない存在より優遇する差別だから。 自分が命と距離を置いている立場からしか、命が平等なんて言葉は出てきません。
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- 1976a
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人間の命すら平等では、ないですよ。 お金あれば海外でも移植受けて助かる人もいれば、お金がないが故に移植受けれない人もいます。 そもそも「弱肉強食」生態系、人間動物含めて植物以外は、何かの命を食べて生きてる訳ですから。 極論になると植物にも命があるのだから植物ですら食べれなくなりますよ。 うちは、爬虫類にコオロギやりますが、「栄養になってくれてありがとう」と思いながら与えてますが。 世の中は、元々不平等なものです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- ramune009
- ベストアンサー率37% (11/29)
命は平等、ではありませんね。 わたしはどんな小さな生き物でも、人間でも、命の重さ自体は同じだと思っています。 けれどもそこには力の差があり、また差別がありますね。 家畜は躊躇せず殺して食べるけど、ペットは大切に生かす。これは結局人間のエゴがなせる命の差別です。けれども悪い事だとは思いません。そんなものです。 生きる事は殺す事です。殺さなければ生きられません。これは私達生き物のさだめだと思います。 それを悪として否定するのではなく、受け入れ理解する事が大切なのではないかと思います。
お礼
>生きる事は殺す事です。殺さなければ生きられません。これは私達生き物のさだめだと思います。 >それを悪として否定するのではなく、受け入れ理解する事が大切なのではないかと思います。 ええ。 既に何千何万の命を奪って生きているのですし、 人1人も70兆の命の代表に過ぎず、 人としても失われれば悲しむ者が居る。 受け入れるしか無いのだと思います。 自分で世話をし、自分でエサをやり育て、例え情が移ろうと 自分で殺し食す事が省かれ、 物の様に買って来て、命を奪っている意識もなく感謝もなく食べる。 ペットなどの動物が殺されると酷く悲しむ。 感情が先走って、静かに周囲を見渡す事を 忘れている人も増えている気もします。 何か少し矛盾が広がっている気もします。 どこまでなら命を奪う事が正しいのか、 答えは出ないのかもしれませんが。 私個人は、 私のエゴとして、せめて殺された家畜の肉を頂く時は その命の親、兄弟、本人の想いに 小さく黙祷し、感謝して頂き続けようと思います。 ご回答ありがとうございました。 やはり、受け入れるしか今は道がありませんよね。
- marissa-r
- ベストアンサー率21% (634/3008)
『命の価値の差』…私も感じますよ 人間の都合で食料が無くなり人里に降りてきた生き物を殺しますね…何故? 害虫⇔益虫としますよね…何故? この世は人間主体ですから
お礼
せめてもの救いは、人が人以外の命も愛する所なのでしょうか。 時に食べる為に育てた命も愛してしまう。 その命と向き合う仕事をする人。 殺し解体しスーパーへ並ぶまでに携わる人。 野生動物を見て楽しむ人。 野生動物に作物を食い荒らされ悩む人。怪我をする人。 矛盾に突き当たって考え方が少しずつ変わる。 全てにおいて人間主体ですが、 少しずつ変わって行くのかもしれません。 今はどう向き合うのが正しいのか。難しく解かりません。
やがては全て解決する問題です。 食用の肉や野菜を直接培養すれば良いのです。 牛を食べるのではなく、牛肉だけを直接作る。 同様に野菜や果実だけを直接培養して作れば命を消費する事無く生命を維持できます。 もちろん今は害虫と呼ばれる虫達も駆逐される事は少なくなるでしょう。
お礼
iPS細胞など、技術的にはもう可能なのでしょうね。 実現するにはまだ膨大な実験研究が必要なのでしょうけれど。 住む土地を奪い、細胞単位の命を奪い、 それ以上は奪わない。そんな社会になって欲しいものです。 でも実現は遠い遠い日の事になるのでしょう。 ・・これを人任せにする自分も無責任なのでしょうね。 人1人も70兆の命の代表に過ぎず、 その人を失うと悲しむ人も居る。 何の命をどう見るのか。 遠い未来には、人は住む土地を奪う事もしなくなったり、 直接必要な成分ばかりを得る事を選択する日も 来るのかもしれませんね。 ご回答、ありがとうございました。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
命の価値は、自分のエゴであると認識しないと、受け入れできません。 自分が、命の価値に値段をつけることも、対価を支払うこともないのだから。 ペットを飼うということは、生かす趣味ではありますが、殺すことにつきあう残酷な趣味、飼わない限りペットは死なない。 昆虫など小動物の命の価値ですが、寿命も個体数も違うのですから、他の動物と同じではありません。 人間が論じる命の価値は、70億の人が50年~100年生きて、1~5人位の子をもうけて、100年で4世代程度世代交代する場合の命の価値であって、 昆虫の個体数は人類の数万倍存在しますし、1年程度の寿命で、1回に数百匹産卵し、50年もあったら、数百~数千世代の世代交代を重ねるのですから、価値以前に生きている時間軸が違います。 昆虫たちにとって、兄弟ですら捕食関係であり、個体の命の価値より種としての総体、ホロンとして命の価値を持ちます。 人の命は星より重いかもしれませんが、昆虫の個体数は全銀河宇宙の星より多い。 そもそも、個の命が大切という話は、クラゲや植物には適用されません。 同じ遺伝子を持った同じ個体がクローンされていくのですから、兄弟は自分と全く同じで個という概念がありません。 昆虫も、それに準じた存在です。 ウチでは魚とハムスターのエサとしてコオロギとミルワームの繁殖を行なっています。
お礼
>命の価値は、自分のエゴであると認識しないと、受け入れできません。 >自分が、命の価値に値段をつけることも、対価を支払うこともないのだから。 確かに。 私にとって残酷に見える現実も、 所詮それは私のエゴに過ぎない。 違う視点で見れば、それを憂い生きる残酷さを否定する事も残酷。 誰もが自分のエゴの中で生きているだけなのでしょうか。 そして、 もしよろしければ >ペットを飼うということは、生かす趣味ではありますが、 >殺すことにつきあう残酷な趣味、飼わない限りペットは死なない。 この文の後半の意味を もう少しだけ詳しく教えて頂けますと幸いです。 今の私達はあまりに自分の手を汚さず、 命を感じず、物の様に扱い食べ、与えしている。 そうした価値観も私のエゴに過ぎない。 上手く飲み込めていませんが、 霞に包まれた中に何か少し答えが見えた気がします。 ご回答、ありがとうございました。
- yasushi3658
- ベストアンサー率45% (5/11)
あなたの言っていることは屁理屈としか言いようありません。 そこまで言うあなた、それを食しているのではありませんか? そこまで屁理屈を並べるなら、もうそれらのものを食するのをやめてください。 食物連鎖と言う言葉を知らないのであれば、1から勉強し直してください。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
すべての生き物が、他を殺さずに生きると、すべてが自滅するのは、その方が生きる意味をなくす。命は平等ってのは時間ではない。一度生きれば途中で食われようと生きるための結果であれば平等なのだ。 すなわち、ヒトが蚊を叩き殺すことにも意味があり、ヒトとヒトの殺し合いのみそれが崩れる。ひとつの方向しか見ない結果の論理でしかない。
お礼
>すべての生き物が、他を殺さずに生きると、すべてが自滅するのは、その方が生きる意味をなくす。命は平等ってのは時間ではない。一度生きれば途中で食われようと生きるための結果であれば平等なのだ。 そうした見方が出来るのですね。 ありがとうございます。
お礼
お答えして頂きありがとうございます。 >死ぬまで幽閉することを約束すること。 幾度か生き物を飼い、殺してしまった事で常にこれを感じていました。 もし安全に、幸せそうに生きても 自由を奪い、一生幽閉する事には変わりない残酷さ。 >昆虫でも犬猫でも、長生きするようにペットを飼育する事は、 >死なないように飼い殺す、生殺与奪のルールで行われる、命を弄ぶ趣味。 なぜ私達は、命を弄ぶ趣味 を欲してしまうのでしょう。 時に、自分の心の隙間を埋める目的の為に 命の価値を自分のエゴで都合の良い様に解釈しなおしてまで。 孤独や寂しさ? 無知? 相手の立場への無関心? 命を知る事で何かを知る好奇心? >命を愛し、命と向き合っている人は、 >命が平等なんてことを言い出しません。 >可哀想な存在より、可愛い存在が優遇されるのが愛情です。 >誰かを愛することは、愛していない存在より優遇する差別だから。 >自分が命と距離を置いている立場からしか、 >命が平等なんて言葉は出てきません。 可愛い存在が優遇されるのが愛情。差別。 私が感じ続けてきた違和感の根源はここなのでしょうか。 命は全然平等なんかじゃないのに、 平等に扱っている様に声を大きくする人。 人が愛情に飢えているからなのか、それに応えてくれる命を優遇する。 その関係が苦痛になりかねない、他の命の現実には目を向けない。 それでも口からは命は平等という言葉が出て来る人も居る。 ・・・まだ私は仰って頂いている事の 半分も理解できていなさそうです。 それでも、今まで何故か理解できていなかった疑問に 少しずつ答えが見えて来た気がします。 これ以上理解するには、 本当にもっと命と触れ合わないと駄目なのかもしれませんが。 ご回答して頂きありがとうございました。 とても為になりました。