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私は甘え過ぎ?欝な気分に悩む大学生の心の葛藤
- 大学2年の学生(女)が、自分が甘え過ぎているのか悩んでいます。欝な気分が続き、集中力がなくなり、目標に向かう気持ちと楽に生きる気持ちが交錯しています。
- 彼女は恵まれた生活をしており、頑張らなければならないという気持ちもあるのですが、頑張りすぎて心が壊れるのではないかと不安にもなっています。
- 心の中で頑張る気持ちと休みたい気持ちが戦っており、本心が分からなくなっています。自分が甘え過ぎているのか客観的な意見を求めています。
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こんにちは、もしかして、後で国家試験が控えている様な、ひたすら助走期間がながい分野が目標ではないでしょうか? 若しくは、大きな「達成」がかなうまで、小さな「達成」があまりないのではないでしょうか? 好きなことをさせてもらえているということで「不満を感じたらいけない」というガードがあるような気がします。 成功もほしいしできれば楽して手に入れたい、しかし休みすぎて失敗したくないし、反面自分を追い込みすぎて破堤するのも怖いという多面的な欲求を部分的に観察すると答えが出そろう感じですかね。 とっても人間らしくていいと思いますが。 目標達成が確保できている限りは、あらゆる手を使って楽をすることをお勧めしたいのですが。 「鬱」というキーワードにかなりこだわりがあるように見えます。 簡単に言うと、A:さいしょからだらだらするのか、B:無理をしてまで努力をしてしまい壊れて「鬱状態」でだらだらするのか。 もう、課題をやっつけでできる段階ですから、壊れることがあるかどうかですが、ここは本人の危機感を尊重してあり得るとします。 目標か疲労回復かリフレッシュか 日常が繰り返し作業で張りあいがなくなっているのかもしれません。 準備期間が長くて目標の価値がぶれている可能性もあります。 課題を「適当」にやることができるようになった部分は成長かもしれません。 「頑張りすぎてもっと鬱になる」というのはどうしたのでしょうか。 目標に向けて努力するのがもしかして「負担」になってきていませんか。 壊れてしまうほどの努力が実際できるのでしょうか。 だんだん通常の努力でも鬱の弊害で「壊れてしまうほどの重荷」に変化してきてるのではないでしょうか? 頑張った結果を額面通りに受け止められなくなっていて、自分で満足するために充分な結果を得るためには、もう壊れるほど努力するほどでなければならない気がするのではないでしょうか? 目標を別に設ける場合、害はないけど、一応のうまみのある検定試験もお勧めします。 英検とか漢検とかですね、なぜTOEICじゃないかって? 級があるからです。 そして合格すると賞状がもらえる。 大学生なのですから、ある程度は英語もやってると思います、第2外国語もやってるかもしれませんね。 自分が余裕でとれる級から勉強を始めるか、過去問がとけるようなら受けてしまう。 賞状が家に届いて壁に張った時は「ニヤニヤしてしまいます」 目標に向かって頑張るところから方向性をあまりたがえずに、「やったー」と喜べる機会を設けるのもいいかもです。 はっきりとした疲労を感じるほど遊んでいますか? 肉体的な疲労が伴わないで、精神的な疲労だけだと、睡眠が浅くなったりします。 お休みを、どう使っているか、だらだらして充電できる方もいますので。 その人はだらだらするのがいい。 ですが無限にだらだらしても充電できない人がいます。 そういう人は、日常でできないことを休暇のときにやり、その疲労回復は別に期間を設けるわけです。 アクティブな方は体を動かして遊んでいます。 登山などでしたら達成感もあると思います。 ネットゲームは勧めませんね(苦笑)あれは、達成感を小刻みに与えて釣り、接続時間が長くなるとキャラに感情移入させます。 お勉強とは両立できないものです。 だらだら自体に罪悪感を感じる人がいますがそうではないようです。 投げ出してしまいたいほどではないのですよね? 自分の努力の結果を肯定できるようになるといいですね。 鬱は明確な理由が分からなくてもやってきますから、大学の相談窓口でいいから相談してみてください。 いい薬がありますから、微量の服薬で気分が楽になって日常と目標を防衛できるなら安いものです。 新しいことをしたくないとおもうなら、適当に作業がさばけるぶんはさばいて、あとは休むだけ休んで、それでもさらに辛いのなら、本格的な不調・変調です。 おせっかいかもしれませんがすいません。
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- shiro111
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あたしもそういう事が 学生の頃から何年も続いています。 「もうやめようよ」という心と、果てしなく目標に突っ込んで行く心です。 「やめよう」という気持ちが強い時は本当に鬱状態で 「やる気」の時は平気で16時間労働したりメチャクチャな生活を送るので 体調壊しました; 乖離っていうのかな。 心の声は「やめて穏やかに暮らそう」だと思います。 あなたは甘えてません。 心の声に鈍感になってるだけ。 感情の乖離に戸惑っているんだろうと。 少しならいいんです。それが重く長引くと精神体調にも影響しますから ゆっくり自分と向き合ってみてください。
お礼
回答ありがとうございます。 >感情の乖離に戸惑っているんだろうと。 確かにおっしゃる通りかもしれません。 今まで、どちらか一方に偏ることはあっても、 どちらもが存在する、という心情になったことがなかったので… 他の方も言っておられましたが 休憩も、自分が目標に向かうために 一見回り道に思えても、必要なんですね。 ちょっと休んで、自分と向き合う時間を作ろうと思います。 shiro111さんも、体調がよくなって幸せに暮らせますように。 ありがとうございました!
- obrigadissimo
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All work and no play makes Jack a dull boy. All work and no play makes Betty a dull girl. のような感じになっていませんか。 学生生活や家族以外の人との交流などで 質問者さまの人間の幅を広げたり、あるいは、 時間の使い方の達人になって、 リフレッシュタイムを採り入れたりしませんか。私は、 からだに悪い部分があるということは 「あなたは間違った生き方をしていますよ」 というサインなのです。 (Lise Bourbeau) という言葉が好きなのですが、うつ的状況に なってしまうのは、したいことをしないで我慢 しているとかも含めて、なにかしら無理が あるのではないでしょうか。暮らしを見直して、 我慢したり、諦めたりせずに、 5分でも10分でも、行うことで、 願望を満たしてみませんか。 それでも、心的事情に変化がなければ、 お早めに、 学内のカウンセラーさんに症状を話して みませんか。
お礼
回答ありがとうございます。 やりたいことが勉強なので、 やりたいことはしっかりやれているのですが、 あまりにもそれに偏っているのかもしれませんね。 よく遊び、よく学べというのは全く合理的ですね。 自分で認めていないけれど、無理しているのかもしれないです。 運動するとか、人と交流するとか、 そういうことも気晴らしとしてしていこうかなと思います。 ありがとうございました!
貴方のご質問を拝読致しました。 ご質問から、「目標に向けて勉学に励んでいる」「目標もかなり高い」「毎日規則正しい生活リズムに努めている」等、細かいことまでご自分で配慮される真面目な性格とお察し申しあげます。 「最近、欝な気分」「集中できない」「心が動きにくくなっていると感じます」というお話しから、少しお疲れになっておられるのではないかと思います。 「目標に向かってもっと頑張りたい」「もっと楽に生きていいんだよ」の2人がいても大丈夫ですが、後者は「心身の疲労を知らせてくれている警報係です。」 元来「完璧主義」で「好きな勉強」で、ともすれば「疲れも忘れて勉強に熱中している」のではないでしょうか。また、「完璧主義をやめて… 好きなことや目標に向けてのことをする時間を作る」ようにしておられる由ですが、「気分転換・趣味・軽いスポーツ」等の面はいかがでしょうか。 誰でも、同じようなことを長時間していれば疲れがたまります。「身体や脳の同じ所に負荷が掛かってしまうことをお考えになれば容易にご理解されることでしょう。」 貴方のご質問からして「完璧思考」がやや強い傾向を感じます。気分転換やストレス発散はまさに「re-creation」であって「怠け」ではないのです。 「勉強」の合間に入れて「心身の疲れのコントロール」をされるのが良いかと思います。 貴方の毎日がより充実されますことを願っております。 sophia-s
お礼
回答ありがとうございます。 「疲れも忘れて勉強に熱中している」ならまだいいんですけど、 最近は勉強にも好きなことにもやる気が出ないのです。 やりはじめることができて、のってくれば楽しいと感じるのですが。 確かに、休憩も多少罪悪感を感じながら休憩し 勉強も集中できず…で、まったく効率が悪いと思っています。 休憩はre-creationであるということが、心に残りました。 勉強をするために、休憩もしっかり取らないといけないんですね。 メリハリをつけて行きたいと感じました。 ありがとうございます!
- aoichidama
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朝は6時半に起きて、9時から18時まで会社で仕事。 買い物をして帰宅が7時半頃、夕食の支度をして食事を済ませたら9時頃。 後片付けと明日の準備をして、ようやく10時頃に、自分の好きなことをする時間。 家族が皆、お風呂を済ませたら、最後に自分が入って就寝。 だいたい12時から12時半頃です。 どうでしょうか…?こんな感じの私の毎日です。 恵まれてると感謝するか、大変だと思うか、考え方ひとつで幸せにも不幸せにもなる。 体や心が疲れを感じているときは、それに従うのが良いのでは? あなたにとって本当に大切なことは、もしかしたらもっと違うところにあるのかも。 立ち止まったり休んだりすることは、大事な何かに気づくために必要な時間だったりもします。
お礼
回答ありがとうございます。 幸せが自分の心の中にあるのは私もよく感じます。 私が幸せだと感じれば、幸せなんですよね。 それはよくわかっているのですが、 今はどう頑張っても不幸せな気分に戻ってしまって、つらいんです。 疲れてるんですかね? その考えさえも自分の甘えかと思ってしまったりもします。 今の目標は、ずっと憧れていたとっても大事な目標で、 それをあきらめることでまた自分を裏切ることになるので あきらめるつもりはないのですが… 休むことがただの無駄なことではない、ということに 改めて気づかせていただきました。 ありがとうございました!
お礼
回答ありがとうございます。 目標というか、夢といった方が近いかもしれません。 私は情報系の学部で学んでおり、「コンピュータについてもっと詳しくなりたい」 という夢なので、小さな達成はあっても大きな達成はないかもしれません。 大きな達成ということは、そこでこの夢は終わってしまうということなので… しかしそれがまた私を辛くもさせているのかもしれませんね。 >だんだん通常の努力でも鬱の弊害で「壊れてしまうほどの重荷」に変化してきてるのではないでしょうか? ここはまさにその通りだと思います。 今までは普通にできていたのに、最近はすごく精神的エネルギーを使うように感じています。 休みの日にすることも、結局は目標に関係することになってしまっているので しっかり遊んでいるか、気晴らししているか、といわれると、できていないと思います… 軽い運動とか、自分の目標とは関係ないことも、そういう時にしてみようかなと思います。 >自分の努力の結果を肯定できるようになるといいですね。 結局はそれに尽きますね。 そのために、目標と関係ないこともある程度必要、ということに、 orzmanさんやほかの方の回答を読んで気づきました。 ありがとうございました!