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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:リストカットと摂食障害)

41歳女性のリストカットと摂食障害について

このQ&Aのポイント
  • 毎日食べては吐き繰り返す41歳女性が、リストカットと摂食障害で悩んでいます。
  • 彼女は自分自身をゴミだと感じ、生きる価値を見出せずに自殺を考えましたが、死ぬ勇気がなく結局死ねませんでした。
  • リストカットと嘔吐は彼女のストレスの逃げ場となり、摂食障害は彼女の願望であり、自己価値の認証を求めています。彼女は原因を自らの母親に求めつつも、少しでも前向きな支えを必要としています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20256/40157)
回答No.6

貴方のリストカットは「必死さ」なんだと思う。 自分を傷つけるという行為自体は「得る」ものは無いけれど、 貴方自身の「もがき」である事には変わりないんだよね? ただその行為「だけ」を取り上げて断罪は出来ないんだよ。 もがいているという事は、 貴方は貴方なりに「今」と折り合いたいんだと思う。 そして、 貴方の考える「今」の中には、 お母さんという存在が未だに大きなスペースを占めている。 貴方自身m 親子関係に少し依存、執着気味のスタンスを自覚している筈。 そして、 貴方とお母さんとの歴史の「背景」には、 実は複雑な部分が含まれている。 貴方はこれまで、 貴方なりの求愛を続けてきたんだと思う。 それに対して、 ある部分では悉く貴方の要求を退けてきたのがお母さん。 お母さんはあくまでお母さんのスタイルで、 お母さんはお母さん「なり」に貴方を愛してきた。 でも、 貴方が求める「ように」貴方に向き合ってくれない。伝えてくれない。 貴方にはそれがもどかしくて仕方が無いんだよね? もどかしさがあるからこそ、 今でもお母さんに自分「寄り」のスタンスを期待してしまったり。 リストカットにしても、 実は色々な感情や意思表示が含まれていたりするんだよ。 気を惹きたいと言ったら変だけれど、 私はこれだけ貴方の無関心に苦しんでいる事を「分かって」欲しい。 また一方では、 自分が駄目だから、自分が要らない存在だから。 私はお母さんからそういう対応を受けるんだ、と。 自分で自分に罰を与えようとしてしまったり。 でも、私は生きたい。私だって幸せになりたい。 自分が生きている事を必死に感じようとして、 自分確認のように自分に刃を向けてしまう事もあったり。 貴方の内側には本当に色々な感情のアップダウンがあるんだと思う。 だからこそ、 他者が外側から、 貴方の行動「だけ」を取り上げてあれこれは言えないんだよ。 貴方は必死だから。 貴方が考えている、貴方が求めているのはごく「普通」の事。 ささやかでも、幸せだな~という「実感」が欲しい。 この先お母さんと少しでも穏やかな関係を分かち合いたい。 でも、 「今」の貴方とお母さんの関係性を踏まえると。 この先急にお互いに心地良さを共有し合えるような、 穏やかで幸せな状態が生まれるような気も「しない」んだよね? そうなって欲しいな~とは思っていても。 今のお母さんを見ていると、感じていると。 幸せになりたいと思っている自分自身が挫けそうになってしまう。 それぞれの部分が強い関係だから。 貴方は貴方で必死だし、お母さんはお母さんでマイペースだし。 そういう貴方に対して、 お母さんから淡々「返し」をされてしまうと。 貴方の心って時にはやり場が無くなってしまう事もあるんじゃないの? ただね、 貴方は自分が甘やかされてきた、 わがままに育った自覚もある。気付きもある。 そして、 今からでも丁寧に成長したい気持ちもある。 至らない部分は少しずつでも改めたい気持ちもある。 そして何より、 お母さんと今「より」も心地の良い暮らし、 心地の良い関係を築きたい気持ちがある。 それって既に貴方自身の方向性が「前向き」だとも言えるんだよ? 何の希望も無く、 ただ過ぎ去る日を淡々と数えている訳じゃ無い。 貴方なりに考えている事、 大切にしたい事があるからこそもがいているんだよね? 時にはバランスを崩しそうになる時もあるよ。 心が不安定になったり、後ろ向きになりそうな時もあるよ。 それでも、 貴方はここまで生きてきた訳でしょ? これからも、 貴方なりにもがいていけばいいんだよ。 もがくという言葉って少しアップアップのイメージだけど。 貴方なりに手探りで良いから丁寧に~という意味。 その積み重ねの中で、 少しずつでも良いな~と思える自分自身を大切にしていけば良い。 お母さんを変える事は出来ないけれど、 これからもお母さんとの関係は続いていく。 丁寧な目線も大事になる。 最初から大き過ぎる変化を期待しても苦しいけれど。 貴方の求め「たい」お母さん像ばかりを意識しても苦しいけれど。 貴方自身が成長していく中で、 少しずつお母さんの見え方、伝わり方が変わって来る事もあるからね? 貴方の心にゆとりが生まれてくる中で、 お母さんとのコミュニケーションに対する姿勢も変わってきたり。 今とは違う感覚が生まれたりする。 お互いに「個性」のある人間として、 お互いを見つめ直していく事も出来るんだからね? そういう変化や深化、発見も含めて、 これからも貴方は貴方「なり」に親子関係を大切にしていけば良い。 そして、 親子関係を大切にしていきたいからこそ。 貴方「自身」を大切にしていく事も忘れない事。 改めて深呼吸を忘れないで。 自分をもっともっともっと大切にね☆

mck37
質問者

お礼

ありがとうございます。 ここに書かれた内容だけから これ程にまで自分を理解してくれる(しようとしてくれている)人が いてくれたなんて・・この気持ちを表す言葉が見つかりません。 ただありがとうとございますとしか言えなくて・・すみません。 言われる通り、母はもう変わってはくれないでしょう。 それが、悔しくて悲しくて切なくて・・・絶望的に捉えてしまいます。 でも、blazinさんの言葉を1つ1つ辿っていくとだんだん 優しい気持へと運んで行っていただけます。 いつか自分のスタンスが変われば、穏やかな日々が訪れるかもしれない、と。 今まではそう思う事さえできない毎日でした。 たとえずっとこのままでも、もしかしたら変われるかもしれないという 気持に枠を与えて頂き感謝しています。 小さい頃、手を繋いで歩く親子をとても羨ましく見ていました。 今でも、目で追ってしまします。 母の手のぬくもりを感じたいだけなのに、 自分から手を差し出し繋ごうとすることができないのです。 母から手を繋いできてくれるのをずっと待っているのです。 これが今の自分のスタンス、 幼稚だと自分でも情けないです。 母が部屋に来て私が手首を切って血が出ていようと 特に何も言いません、見て見ないふりをします。 何も言えないのかもしれません。 いつもの事だ、またやってるのか・・と思っているのでしょう。 もしかしたら少しは何かを感じてくれているなら、 言葉にして伝えて欲しいのに、 何も言ってはくれません。 それが母のスタンスです。 この途方もなく遠い距離が全てなのです。 いつかこの距離が縮まる日がくるのでしょうか・・ こんな自分を前向きだと言って頂き本当に嬉しく思います。 お礼を書くはずが長くなってしまい 申し訳ありません。 blazinさんの優しいお気持ちに感謝しております。

その他の回答 (5)

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.5

まず「摂食障害」と「リストカット」というのは「動機」が似たところにあります。 摂食障害は、最初「過食」か「拒食」から始まります。 過食は、自らの中にストレスを溜め込んだ結果「安定したい」という気持ちから、食べ物を多く食べ始め、それが亢進した状態のまま悪化していく状態です。 拒食は「肥満」だと「自己認識」したり、誰かから言われたことなどをきっかけとし、過剰なダイエットなど行っているうちに、やはり状態が亢進して継続してしまいます。 どちらも「脳のホルモンバランス」と密接な関係を持っています。 過食は、ある時期に拒食の方向に急展開していく時があります。 また、過食と拒食を繰り返す状態に陥るときもあります。 あなたのように「吐く」ということで、一時的な「発散」を行うことで、安定を図ろうとする場合も多々あります。 リストカットも、摂食障害も、いわば「自分の体を傷つけ、痛みを覚えること」で、自己安定を図ろうとする行為です。 あなたの場合、引き金になっているのは、お母さんの「無関心」のようです。 無関心というのも、あなたが認識しているように「DV」の一種です。 そのことであなたはたくさん傷ついてしまったのでしょう。 そして、その分だけ「自分が悪いから」と思い込んでしまったはずです。 幼かったから、自分で自分を救う手立てなど持たなかったから、親を絶対的に信頼しているから、それは「なるべくしてなった」ことと言っても過分無いと思います。 そしてあなたは…おそらく今でも「その影響」を持ち続けているでしょう。 そのことで自分が脱皮できない、子供のままだと認識しているんでしょう。 しかし、そのこと自体は「誰にでもありえること」なんです。 いくつになっても、親から受けた行動や態度というものは、生涯にわたって影響を与えてしまいますから。 ですから、あなたの場合もそれは「十分にありえること」だという認識でいます。 あなたの「努力」では補えないものなんです。 あなたが「起こした」ものではなく、あなたはただ「受けた」…つまりは「被害者」であるからです。 ただし、あなた自身が「この病気を治すんだ!」という意思があれば、それは決して治らないものではないのです。 メンタルクリニックは行ってますか?。 自己努力だけだと、こういったことは続きませんし、難しい。 専門家の力をかりながら、今の状態から脱するための行動を行っていくことですね。

mck37
質問者

お礼

ありがとうございます。 被害者と言う言葉に救われた思いです。 自分は加害者で家の中で吐き母を苦しめ続けている と思っていました。 自分が悪いと周囲に言われ、だから誰もがきっと こんな自分は非難されるだろうと思っていました。 それでも誰かと話したい、何か言って欲しいと 思い書きました。 だから今はこんな風にあたたかい言葉を貰えると 本当に書いてよかった思っています。 tombanさんのように症状の事について詳しい知識を 持っている方からの言葉は何よりも救いとなります。 本当にありがとうございます。

  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2315)
回答No.4

40過ぎの女です。 質問者さまは、対人関係とか仕事とか病気とかで苦しんでいる人に向かって、「死んだ方がいい」「お前みたいなのはクズだ」と仰いますか? あるいは、そんなふうに仰る人を見て、「かっこいい、わたしもああなりたい」と思われますか? 両方に「YES」と即答できるとおっしゃるなら、考え方は人それぞれなのでご自由ですが、どちらかにでも「NO」と言いたい、あるいは「なにか違う」と思われるなら、ご自分を「ダメなやつ」と決めつけるのはよしたほうがいいですよ。 なにをもって、「ダメ」というのでしょう? 仮に「ダメ」だったとして、何がいけないのですか? 「ダメ」な人がいたとして、責める権利が、誰に、どういう根拠であるのでしょう? 私には、質問者さまの感情の動きは、病気の「症状」のように感じます。 他人が自分を蔑視しているものだと根拠もなく思いこみ、自分は蔑視されて当然なのだと非論理的に信じ込み、その結果、たまったストレスがリストカットや嘔吐という形で現れ、そしてまた自尊感情をなくしていくという悪循環に陥っておられるようです。 ご質問を拝見している限りでは、病院へ行かれてはいないようですが、病院や支援機関を探し、摂食障害の治療を進める方が良いと思います。 「甘えだから」と自分で仰る方が多いようですが、「自分が不摂生な生活をしていたから」と生活習慣病を自助努力だけで治す患者がいますか? 摂食障害をはじめ、心理的な原因の病気も同じことです。 一定レベルを超えてしまえば、自力だけでの回復は困難です。さっさと第三者の力を借りて回復し、回復後に恩返しをすることを考える方が現実的ですよ。 引きこもっていたのに、働きはじめたということは、質問者さまには、ご自身を動かすだけの力がおありだということです。 怖いかもしれませんし、苦しいかもしれませんが、もう一歩踏み出してみてください。 質問者さまを本当に助けられるのは、ご自身しかいませんよ。 下のサイトを参考になさってみてください。 http://www.overcome-ed.net/index.html

mck37
質問者

お礼

ありがとうございます。 同じ40代なのにきちんとした考えを持っていて すごいなと思いました。 ダメ人間の自分は責められて当然と思っていました。 だから、責める権利はないという言葉は意外すぎて ありえないと思いましたが、実際こうして書いてくれる人が いてくれると心がホッとできました。 症状についても深く説明して頂き本当に感謝しています。 サイトとても参考になります。 これからも見て行きます。 ありがとうございます。

  • Gusdrums
  • ベストアンサー率39% (699/1787)
回答No.3

中高年です。 歳とっても、稚拙な者は、沢山いますよ。 回顧固執、現実逃避願望ってやつ。 辛い時に誰かに、しがみつく、優しさが欲しい。 誰でも、そんな願望とは裏腹に良くも悪くもスレて来る。 色々な経験積んで、様々な良い人や嫌な奴見たり、他人から攻撃(正しくは口擊ですね)されたり、裏切りなんて、しょっちゅう、陰口なんてのもしょっちゅう、私の経験からは人間の卑しさというものを今の会社で嫌というほど体感させられ、ずーっと悩んだりしていますよ。 50を超えても変なところ純粋なのかなあ。 貴方は、自虐して、それに依存している、しかし、現実なんて変わらない、変わるのはご自身の気持ち、ハッと我に返ると自分が愚かなことをしているな、とか、親のせいにして、とか反省しているのですよね。 先ず、リスカの依存症を防止する為に、貴方が今考えている、自虐行為でスッキリできる、という考え方から脱却すべき! 簡単に出来るものでは無いと思いますが、貴方ご自身が、悶々とした事を解消する為のリスカや嘔吐は悪い癖ということを先ず自覚しなさい。 そして次段階として、ご自身で、体質改善を図ること、ジョギング、散歩と簡単に言いますが、先ずは外に出ることから始めないと、上記に挙げた例に進めませんね。 一心不乱に無理の無い程度で、やってみて下さい。 自分に合わなく精神的に苦痛と感じれば辞めれば良いのです。 そして、食べ過ぎずに、普通に食事して疲れたら休息を取る。 その普通の当たり前の生活で良いのです。 焦らずに、貴方のペースで、出来ることから、始めて見る、これを心がけること。 今の貴方に、不足なのは「自愛」です。 その「自愛」から、何かに繋げる、つまり、気づく、ということ。 これには、志向、思考、経験、健康、そして他人への思いやり、これらがキーワードだと感じます。 感じなさい簡単に、難しく考えない、思いつめない、自分を責めない、これは貴方にエールをお送りした次第です。

mck37
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分のペースでできる事から一歩づつと 言って頂き有難かったです。 歳をとれば見たくもないないものを見る時間が増えてくる。 その分要領の良さや抜け道を覚えてきたりして 決して悪い事ではないけれど時にはそんな自分をズルいと 感じてしまいます。 自分だけだと思っていたけれど それぞれの場所でいろんなかたちで いろんな人がいると 聞けてよかったです。 それに安心してはいけないけれど 肩の力が少し抜け楽になれました。 毎日食べて吐いたり、リストカットをしている自分を見ていると どんどん嫌いになっていきます。 好きになれる要素がないのです。 でも、変わればいつか好きになれるかもしれない、 という希望を与えてくれた事に感謝します。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

【でも、できれば前向きなお返事を頂けたらと願っております。 宜しくお願い致します。 】 ふーん、それでもソレがアナタの41年間の成長なんでしょうね。 だれもが等身大に気がつけばそんなものです。 ただ、立ってあるいて、自分で食べて、排泄するようになってオムツもいらないと。 最後はまた、歩けなくなって、オムツと。 そして、あなたは「娘」ですが、そんな娘をもった「母親」は41年間どんなだったかも、 想いが及ぶと・・・いいですね。 手遅れでも出遅れでも、行きおくれでもいいですが、 間に合わなくても、先へは進んでいきます、時間はね。 それだけ。 来年はまた、42歳になった娘と、そんな娘の母親が、まだいるかどうかと。 来年は42で、母親もまた一つ年を取る。 あなたの書いてることはそれだけのこと。 あなたがどうなろうとも、赤の他人の私には、ああ、そうなのですが、 母親は如何でしょう? ああ、あの子は今年は42にもなるんだな・・・と。 わがやには、ほぼ引きこもりの23の息子がいますので、なんとなく、わかりたくない母親の気持ちです。 あと18年で息子は、アナタと同じ年齢になります。 私はそのときまだ生きているでしょうか? 今のところ健康ですが、18年先には80手前になります。

mck37
質問者

お礼

ありがとうございます。 あなたのおっしゃる通り、母は41年間自分と言う 荷物を抱え、不幸だったでしょうそしてこれからも、 おそらく続くと思います。 つい最近、自分が実の父ではなく母の浮気相手との 間に生まれた事を知りました。 母はどんな気持ちで自分を見てきたのでしょう・・。 世間には旦那との子供と言い通してきましたが 結局ばれてしまいました。 すみません、話がソレました。 自分は母の幸せのために生きなければならないのか・・ ある意味母の幸せが自分の幸せでもありますが。 母には感謝しています。 だからこそ少し自分を見て欲しいと思ってしますのです。 冷静なご意見に読んでいてこちらも落ち着くことが できました、 ありがとうございます。

noname#188869
noname#188869
回答No.1

40代子持ち主婦です。 質問者様は、今後どのような人生を送って行きたいですか? 過去のこと、ご自身のこと、色々とお考えになって、何となく原因もお気付きのようですね。 もう一歩ご自身の心の中に踏み込んでいく勇気はおありですか? もし、その勇気が持てるならば、大丈夫です。 質問者様は既に変わったのと同然です。 質問者様が勇気を持って、辛かった過去に向き合い、複雑に絡み合ったお気持ちを紐解いていく困難な作業をサポートしてくれる心理カウンセラーを見つけて下さい。 お1人では難しいですが、必ず明るい未来(もしくは何かぼんやりとした希望の光のようなもの)が見えるようになりますよ。 応援しています。

mck37
質問者

お礼

ありがとうございます。 優しいお言葉に感謝しています。 同じ歳で家族を持ち子供もいる、 あたり前の事なのでしょうが自分には とても尊敬します。 まだ、何も見えてはおりませんがこのような お気持ちを頂けたことは私にはとても 有難く思っております。

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