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2005年以前の、南海電鉄和歌山港線のダイヤグラム

2005年11月の、南海ダイヤ改正で廃止された、和歌山港線の途中駅ですが、2003年度の一日平均乗車数は、85人前後だとか、、、。 そんな、南海電鉄和歌山港線のダイヤグラムについて、南海電鉄に詳しい方、インターネット上でも宜しいですので、情報を頂けないでしょうか(‘=‘) できれば、2002年度以前の水軒線のダイヤグラムも教えて頂けますか、、、?

みんなの回答

回答No.3

以下は和歌山港線のダイヤ(1996年10月26日改訂)です。(No.2で紹介したサイトからの引用です)  5901列車 和歌山市9:17-和歌山港9:23-水軒  9:27  5902列車 水軒  9:32-和歌山港9:35-和歌山市9:42  5903列車 和歌山市15:20-和歌山港15:26-水軒  15:30  5904列車 水軒  15:36-和歌山港15:39-和歌山市15:46    停車駅 和歌山市-(1分)-久保町-(2分)-築地橋-(1分)-築港町-(2分)-和歌山港-(4分)-水軒 和歌山港~水軒間が廃止になる5年ほど前(1997年頃?)に、水軒駅に行ったことがあるのですが、うろ覚えですが水軒駅のダイヤはこのままだった様に記憶しています。 そこで、Googleで検索したところ、水軒駅が廃止される直前の時刻表の写真(2002年5月18日撮影)が掲載されているサイトがありました。 ・所長の旅日記 さようなら水軒駅  http://homepage1.nifty.com/ar-ra/rail/suiken.html このサイトにある「水軒駅の時刻表(その1)」の写真を見ると、水軒駅発車の時刻が「9時32分」と「15時36分」の2本であることがわかります。 このため、1996年10月26日のダイヤ改正から、2002年5月25日の和歌山港~水軒間の営業最終日まで、ダイヤはそのままだったことがわかります。 ちなみに、2002年4月28日には臨時特急サザンが、なんば~水軒間を1往復。営業最終日の2002年5月25日には、和歌山市~水軒間に定期列車2往復と臨時列車5往復が走った様です。

bingo20060211
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.2

和歌山港-水軒間のダイヤ(1996年10月26日改訂)は、 以下のサイトにあります。 ・鉄道趣味のページ 和歌山の鉄道 南海和歌山港線水軒駅の資料  http://park10.wakwak.com/~kisyuu/train/zoomup/suiken/suidata.htm また、私が所有している「交通公社の時刻表1967年9月号」(昭和42年)の復刻版に、 難波~和歌山港間を走っていた「南海四国航路連絡特急」のダイヤ(1967年7月10日現在)が掲載されていましたので、書きます。 難波発   7時30分・8時40分・10時30分・14時10分・15時15分・17時40分 和歌山港発 9時50分・10時55分・14時25分・16時42分・17時32分・21時10分 この「南海四国航路連絡特急」は、難波~和歌山港間を62~63分で走っていました。 また、和歌山市~和歌山港間の普通列車もあったかと思いますが、 普通列車のダイヤは、この時刻表には掲載されていませんでしたので、わかりません。 なお、当時の和歌山港駅は後の築港町駅の場所にあり、和歌山港駅~水軒駅間は未開業です。 水軒駅の開業と和歌山港駅の移転は、1971年(昭和46年)に行われています。

bingo20060211
質問者

お礼

ありがとうございます。 返事が遅くなってすいません。。。しばらく見ていなかったもので、、、 和歌山港-水軒間のダイヤは、廃止時まで使われていたのですか???

  • tetu758
  • ベストアンサー率58% (810/1390)
回答No.1

鉄道サークルで廃線跡巡りをした際に現地の友人等から聞いた話を基に書きます。  和歌山港線は南海電鉄を介入し、当時の国鉄が貨物を乗入させていた路線ですから他の路線とは形態がことなります。開業時は和歌山県の県営鉄道であり、本数も少ない鉄道でした。  和歌山港駅は直通電車も少なく、路面電車(末期は京阪が経営)が中心でしたのでこの路線が廃止されるまでは加太線(当時の起点は和歌山市駅)同様に本数は少ない路線でした。路面電車が廃止になり、本数が増えて難波駅への直通が走る様になりました。  水軒線ですがこちらも路面電車が乗り入れていた路線であり、貨物営業をしていた路線です。臨海鉄道に毛の生えた鉄道であり、大半の利用客は港内作業に関する従業員でしたので本数もピークの時で6往復前後の運用でしたし、末期は2往復でした。  当時の和歌山駅は紀和駅であり、現在の和歌山駅は東和歌山駅であり、紀勢線に接続する南海の駅(阪和線は南海の急行線の扱い)でした。和歌山市駅は中心駅の扱いであり、和歌山線は起点が和歌山市駅で南海と接続をして貨物扱いをしていました。その名残が紀伊中ノ島駅に残っており、土手の上に阪和線、その下に和歌山線の駅がありました。  

bingo20060211
質問者

お礼

有り難うございます