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信じることを教えてください。
私は信じることが苦手です。 というか、誰か相手を信用することに抵抗があります。 自分を知られることが怖いのです。 それでも、誰かを心から信じてみたい。 でも、心のどこかで拒んでいる自分がいます。 相手を信用できないばかり、深い関係を拒み、嘘の自分がいつだって表舞台。 嘘の自分にはもううんざりです。 誰か一人でも信用できるようになって、この恐怖から逃れたいです。 そこで皆さんにお聞きしたいのです。 信じるとは何ですか??? 信じることに何の意義があるのですか??? 皆さんは何のために人を信じているのですか??? また、皆さんが信じることが大切だというなら。 なぜそう思ったのかを教えてください。 私の心情を理解できなくてもいいです。 信じることについて教えてください。 回答をお願いします。
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こんにちは。 私は信じることについて、wind_of_tearsさんにお教えできる人間ではありませんが、ご質問について真剣に考えてみました。 信じることは、ゆるすことだと私は思います。 信じたい・ゆるしたい、、、信じ合いたい・ゆるし合いたい、、、信じ合おう・ゆるし合おう、、、信じます・ゆるします・・・。 信じることを大切にする理由や意義が何かを考えた時、、、私は、歴史を裏切らずに将来・未来につなぐ為に、正直に生きる基としてもっとも大切なこと、としか思えませんでした。 的外れな回答であることと覚えますが、 信じることについて、考える機会を与えてくださった感謝を込めて、回答させて頂きます。
- kaiyukan
- ベストアンサー率15% (482/3140)
そこまで深く考えないって人が多そうな気がします よっぽど過去に、苛められたとか裏切られたとか 親に愛されなかったとか トラウマがある方なのかなと思いましたがどうでしょう 私は夫に言ってない嘘もあります 夫もきっとあるでしょう でも、きっと浮気はしないだろうなとは思えるし いきなり捨てていなくなる事もないだろうなと思ってます それがいわゆる信じる事かな 信じることが大事なんて思ったことはないです 自然とそうなる事が、信じるって事じゃないかな? 信じなきゃいけない!という考えは無用だという事です 自分が信じれないなら、信じれないで良いと思うのです。今は。
- ekopon
- ベストアンサー率10% (111/1076)
「信じる」というのをどういう意味で使ってらっしゃるか よくわからないので、ずれた答えになってたらごめんなさい。 60年生きてきたけど、あらためて考えると まるごと人や言葉を信じたことはないし そういうことが必要な場面もあまりなかったような気がします。 むしろ「ホンマかいな?」と疑って、 図書館やネットで調べて「うん、これならヨシ!」とイチイチ確かめてました。 政治にも裏切られっぱなしだし。 人に対しても信じる場面や部分があるだけです。 自分自身が心が変わったり、言うことを自分の都合良く脚色したりしてるもの。 たぶん誰でもそうじゃないかな? 人類史上最大のウソは「私は生まれてから一度もウソをついたことがない」だと 言ったの誰だっけ。 あまり「信じる」ことにこだわらないほうがいいと思います。 戦争に突っ走った轍を踏まないように。
- hoshimamorubis
- ベストアンサー率7% (1/14)
信じるまえに 聞いてる いつの間にか 信じてる
人に信じられる行動をすれば、相手も信じてくれる。 そうすれば、自分も相手を信じることができるようになる。 それは、信頼関係です。信頼関係って大事です、 ちょっとした、相手の裏切り行動に見える行動は様子見です。 カッとなってはいけません。これを忍耐といいます。 誰に対しても気長に接するのが基本かな。
- 令和のだぶるいー(@wsg48)
- ベストアンサー率13% (13/100)
他人を信じる前に、自分を信じることが大切です。 自分を信じれるようになれれば、 自分の軸が定まって、何を信じていいかがわかってくると思います。 自分を信じれるようになれれば、 他人を信じる意味が、人それぞれにわかってくるものだと考えています。 「もっと楽に生きてみないか」を検索すると、そこらへんの答えが見つかるかもしれません。
- oni-gunsou
- ベストアンサー率22% (28/127)
「信じる事」・・漠然的に考えた事ないですね~ っと言うか、貴女は今まで心から信じた事が無いって言ってますが、 今まで良く生活して来れましたね? 貴女が生まれて、現在まで、親の言う事は信じて来なかったの? 今、貴女がそうやって生活出来ているのは、親が教えて貴女が学んで来た結果が今でしょう? 信頼関係が有るからこそでは? その間、信じて無かったら、今の貴女は存在していないと素朴に思うのですが・・ 結果的に信じて来たからこそ、今が有るのでは? 何となく屁理屈に思えるのですが・・ 何かキッカケが有ってそう言う風に考えてるならば、理解出来ますが・・ 「信じる事を教えて下さい」って、教えれるものでは無いです。 ここで、「こうする事だよ」って言っても、信じる事が出来無い貴女には、 伝わらないのでは無いでしょうか。 よって、自分自身で学ぶしか無いのです。 人から教わる事では無いので・・
補足
その通りですね。 しかし、私は決して自分がこれから信じていくための答えが知りたいわけではないのです。 良く生活して来れたと私も思います。 でも、表舞台は嘘の自分。 その嘘の自分が本当の自分なのではと言われるかもしれませんが。 それは何も言えず、困った結果の言葉であり、お手上げとしか受け取れません。 そして、信じることを教えることは言葉にできないことは理解しました。 信じて来たからこそ今がある。 ですが、私は人を信用できないのであって、言葉は別の話です。 例を言ってみましょう。 ある人から天気について話されました。 それは信じます。 しかし、そのある人と友達になろうと言われたらそれは別です。 言葉は情報であり、信用しない理由がありません。 人との情報以外の感情が混入したことは信用できません。 意味はおわかりでしょうか。 では、もう一度言いかえて問わせていただきます。 教わることを聞きません。 あなたはなぜ、人を信じるのですか???