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嘘をつくなとか嘘をついたことがないと言う人
をどう思いますか? 私はそう言う人は信用できないです。なぜなら、そう言う人は大きく2パターンに分類されるからです。 (1)自分自身は大嘘をついても平気 (2)本当に全く嘘はつかないが、正直に言い過ぎてトラブルを招いている (1)が大多数を占めますが、(2)も極少数います。(1)と(2)の人に共通しているのは、「事実と異なれば、その時点で嘘」と相手に対して決めつけてくることだと思います。さらに、厄介なことにその事実も自分自身で決めた事実なので、本当の事実とか相手が事実だと信じていることは却下してきます。 なぜそう言う人は、嘘の中には「本音と建前」、「嘘も方便」、「本人は嘘をついているつもりはない嘘」などが含まれることを理解しないのでしょうか・・・もちろん、嘘ばかりついている人は信用できませんが、嘘を全くつかないと言う人も信用できません。やはり、「嘘も程々が一番良い」のだと思います。 同意意見はもちろん、反対意見もお待ちしております。ご回答をよろしくお願い致します。
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私は反論的になりますが「嘘も程々が一番良い」なんてのは一番信用なりません。 基準がないのでただ自分の都合のよい様に嘘をつくから。 大嘘であっても程々の嘘と言うのはルールがないからさっぱりわからないでしょう? 誰がそのほどほどを判断するのか考えませんか? 私はちなみに2が近いですが嘘をつかないことでトラブルばかり起こしているという感覚はありません。 感情は抜きにして事実として言えば、周囲の人とトラブルを起こさないように思います。また、正直でトラブルを起こすのならそれはそれで甘んじて受けますよ。 メリットもデメリットも表裏一体ですから。 同じように嘘をついているつもりがなくても事実と違うというだけで嘘つきと思われるのはしょうがないですよ。 相手のことを事実ではないということ=嘘つきとも思いません。 ただ事実と違う事は気になりますし説明は欲しいです。 そして私の経験では程よい嘘をつく人は大抵は大嘘付きです。 人を傷つけない嘘は良い、嘘も方便はようは嘘つきってことです。 私は仕事で毎日のように嘘を聞くんですが、嘘をつく人の似た思考は 人を傷つけない嘘はいい。 嘘も方便 この2つが絶対的思考だと感じます。 お互いに黙ってあの人は信用ならない正直者、あの人は嘘つきと腹の中でおもっていればいいんですよ。 どうせ人は100%理解することはできないんですから。 と私は思いますよ。 >嘘をつくなとか嘘をついたことがないと言う人 嘘をつくな、はどこの親でも言いますよ。 実際、自分が嘘をついても。 そして嘘をついたことがないも多分嘘でしょう。 でも、なるべく嘘をつかないようにしている人は結構いるのでは?
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- mojitto
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まずは 「嘘をつくな」と「嘘をついたことがない」を分けるべきですね。 前者と後者はニュアンスがまったく違いますし、同列に論じられるものではありません。 順番が逆ですがまずは「嘘をついたことがない」から。 これは性格適性検査なら「嘘つき」のポイントが加算され、場合によっては検査結果の信頼性を揺るがす数値です。 (その他の質問の傾向によって単なる嘘つきかハッタリか分かれるところですが) ただしこれは性格適性検査における「正直に答える」という大前提があってのことであって、実社会における「嘘をついたことがない」とは意味が違います。 普通は誰もがそれは嘘であることくらい分かります。 分かった上で意図を汲み取っているので、その言葉自体にやいのやいの言うことじゃないですね。 次に「嘘をつくな」ですが… 質問者さまは嘘についてだいぶ幼いイメージを持っているようですね。 >「本音と建前」、「嘘も方便」、「本人は嘘をついているつもりはない嘘」 は嘘がバレない、仮にバレてもつき通して嘘を信じてもらうことが大前提です。 これが嘘をついていい最低レベルのマナーであり、これができない嘘はマナー違反です。 バレたとなれば、「嘘をつくな」と批難されるのは当たり前のことですよ。 “あなたのため”という嘘の本音がバレるのが一番最悪です。 初めから嘘なんかついてはいけなかったんです。 >「嘘も程々が一番良い」 バカ正直にも程があります。 こういう人は嘘をついてはいけません。 思っていても、言っていいことと悪いことがあります。 手助けにもなっていないのに、手伝ってくれたつもりの人に「ありがとう」というのと同じで、そう思っても「嘘をつくな」と言える人が嘘を言っていいのです。
お礼
ありがとうございました。 仰る通り、「嘘をつくな」と「嘘をついたことがない」とは分けて議論した方が良かったですね。また、嘘がバレてもつき通して、信じてもらうことが大前提と仰いましたが、これは程度問題だと思います。 以前、上司に大嘘をつき通されたことがあります。その上司は「14時から17時まである部屋(社に一室しかない)にいて、一歩も外に出ていない」と言い張るのですが、私は15時までの約1時間、その部屋にいて、その間その上司の影も形もありませんでした。その時、私は内心「天井裏にでも潜んでいたのか?お前は忍者かよ!」と思いました。 恐らく、その上司は仕事をさぼっていると思われたくないために、そんな苦し紛れの大嘘をついたのでしょうね。そのくせ、部下の小さな嘘に対してさえ、やたらと厳しい。やってられません・・・
- eroero1919
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「ウソがつけない人」もいますね。本人の不器用さから、つきたくてもつけないという人がね。 中には、バカ正直を通り越して、正直バカといいたくなる人もいますね。
お礼
ありがとうございました。 嘘がつけない人というのが抜けていました。そういう方が人間的に一番好きですけどね。
- JqqF
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嘘をつかない人はいます。その人は嘘の利便性を経験する必要性がなかったので、嘘をスキルとして持っていないのでしょう。 また、嘘をつかない人が他者の嘘を一概に非難するかと言えば違います。私にとっては便利でないが、あなたにとっては便利なのね、と許容する場合も多くあります。 嘘が非難されるのは、嘘を活用する者同士の軋轢である場合が殆どです。その軋轢に正直者を巻き込むのは、どうかと思います。
お礼
ありがとうございました。 正直者を巻き込んでいるつもりはなかったのですが。まあ、人の嘘を非難する人の大半は自分も嘘つきです。なぜなら、自分も似たようなところがあるから、他人のそういうところに気付くのです。某心理学者がそんなことを言っていた記憶があります。
- bekky1
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あなたがどのようにお考えになっても、相手を評価しても、それはあなたの評価ですから、勝手にどうぞとしか言いようがないです。 ただ、【嘘を全くつかないと言う人も信用できません。やはり、「嘘も程々が一番良い」のだと思います。】 嘘をついてもいいというあなたの判断の中で、あくまでも、その程度というのは、 また、あなたの判断でもあるが、裁量するのは’嘘’つくひとのいわば目分量・気分量?になるのではないですか? そこをあなたは、’嘘つかないというのもまた、大嘘である’というだけのこと。 相手は相手で、’人をだまそうとする、悪意の嘘はついたことはない・・・よって、嘘はつかない、ついたこともない’とも 言えるでしょう。 そういう意味での、悪意の嘘は私はついたことはありません。 ただ、相手が確認を取るように、’どうですか?’と聞かれたら、 知っていても、知らない、知りませんとは答えるでしょう。 これを、嘘だというなら、嘘になります。 職場でのなんでもない会話の端々に、ちょこっと悪口めいたことは多々あります。 そして、’あなたもそう思わない?’とか、同意を求められることもある。 これに、同意見であっても、そうだとは言わないこともあります。 これを嘘だというなら、嘘になりますが、いわば陰口に同調するということをしないだけこと。 よって、あなたがうそつきだという言うなら、みんな嘘月だというなら、その通りですし。 程よい嘘つきは嘘つきではないというなら、あなただけが嘘つきではないことになる。 だって、どこかで、ほかの嘘つきは必ず、あなたの程よさを裏切ることを約束してますから。 それは、あなた基準であることを要求されるからです。
お礼
ありがとうございました。 私も悪意というか人に迷惑をかける嘘はつきません。例えば、仕事の進捗状況を上司に報告する場合、3割程度しかできていないにも関わらず、「8割方できています」と言ってしまえば、そういう嘘をついていることになります。そういう場合は、罵声を浴びせられようが蹴られようが「正直に3割程度です」と報告するのが筋だと考えております。
ぼくが一番多いと感じるのが、 本人にウソをついてる自覚がないことです。 まぁ、ウソをつくのが悪いとは思いません。 相手を思いやるウソなら、ついていいし、つくべきです。 ただし、自分はウソを付いていないという考えは危険です。 気が付かないうちに、相手を傷つけています。 正義の名の下にって言って、人殺ししてるテロリストと同じです。
お礼
ありがとうございました。 言われている通り、嘘というのは他人を傷つけたりもしますが、人間関係をうまくいかせる道具でもあると思います。例えば、友達が「俺って本当に駄目(勉強とかスポーツなど)だよね?」と聞かれて、本当に駄目だとしても「だいぶ良くなってきたよ」と言ってあげるじゃないですか。これは、つくべき嘘だと思います。しかしまあ、矛盾ですが、できるだけ正直に生きることが正しいのも本当です。
お礼
ありがとうございました。 私の説明不足でした。嘘も程々というのは“頻度・程度の両方”を意味します。大嘘まではいきません。また、嘘をつかないようにしている人が結構いるのは当たり前です。嘘をつくと信用・信頼をなくすことは誰でも分かりますが、生きていくには嘘をつかざるおえない時があります。以下にその例を示します。 【本音と建前】 上司の仕事の方針にはあまり賛同できないが、従わないと自分の立場が危うくなる場合、表向きには全く不満がないように装う。 【嘘も方便】 例1.友人に「私って不細工(本当に不細工)だよね?」と聞かれ場合、「いや、普通だよ!」と言ってあげる。 例2.職場の人や友人の旅行手土産(食品)が、あまりにまずく数個食べて廃棄し、後日、その人から「味はどうだった?全部食べてもらえた?」と聞かれた場合、「変わった味だね、全部食べたけど」などと言う。口が裂けても捨てたとは言えないでしょう・・・ この場合、質問に対して否定以外(肯定、はぐらかす等)で返すと角が立つことは必至です。 【嘘を本当のことだと信じ込んでいる】 火曜15時、待ち合わせのはずが、何かの拍子に記憶違いを起こし、水曜15時の待ち合わせだと思い込んでいた。 これらの例は、何千、何万という中のほんの一部にしか過ぎませんし、皆さん当たらずとも遠からずのことはやってきているはずです。こういうことを書いてきてなんなのですが、私は何も嘘をどんどんつけと決して言っているわけではありません。しかし、できるだけ角を立てず世の中を渡っていくには、『必要最低限の嘘は絶対につかざるおえない』ですから、他人の嘘に厳しい人は他人の嘘にもっと寛容になるべきだと思います。 そして、そういう人は、日頃、自分自身に嘘はないかと振り返ってみてほしいのです。回答者さんは、どうか分かりませんが、本当にそういう人は嘘を言っても、自分自身では気づいていないことが非常に多いです。振り返ってみて、もし心当たりがあるのなら、自分ができていないことを他人に言っては駄目です。