• ベストアンサー

54B以前のスカイラインのレース参戦

2代目 プリンス スカイライン54Bは第二回日本グランプリに出場し、1周だけポルシェ904の前を走るという快挙を成し遂げ、自動車史に名を残すことになったそうですが、初代スカイラインはレースに参戦をしていたのでしょうか? 調べてみると3つ目にマイナーチェンジしたモデルのスカイラインで初参戦するものの、惨敗してしまったそうです。2代目が有名すぎて資料がないからかもしれませんが、非常に信じられません。 初代の教訓をバネにしたから2代目がこの快挙を成し遂げたのかもしれませんが、初代のスカイラインはそんなに遅かったのですか⁈

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

初代スカイラインは第一回日本グランプリで登場しております。 そもそもそ初代スカイラインが参戦したレース自体が日本における自動車レースの始まりとされています。 その第一回日本グランプリでプリンス陣営が惨敗したのはプリンスの車が遅かったのではなく、「車の改造はしない」という事前の申し合わせに忠実に従った事によるものです。 しかし、プリンス以外の他社がその申し合わせを無視し、腕の良いドライバーを雇ったり馬力を上げる等の改造した車両で出場したことでプリンス車が惨敗したわけです。 レースの映像はほんの一部ですが"プロジェクトX~挑戦者たち~"の「ラストファイト 名車よ永遠なれ」にも映ってます。 ちなみに、レースに登場した車両は94馬力の初代スカイラインスーパーですね。 同じ年の9月には2代目のS50型が登場するのですが、その前のレース開催だったので初代末期のモデルでの参加でした。

RedCat27
質問者

補足

回答ありがとうございます、プリンスは規定を守って惨敗してしまったのですね。ということは54Bはポルシェ並に高性能だったということでしょうか。

その他の回答 (4)

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4881)
回答No.5

#3です。 まずは訂正。 第2回とすべきところを第1回と誤記してしまった・・・ >初代のスカイラインはそんなに遅かったのですか⁈ 初代スカイラインがデビューしたころの「昭和30年代前半」という時代背景を見れば判るかと思うんだけど・・・ 日本人にとって自家用車がごく一部のお大尽のための特別な存在であった時代であり、非舗装道路も珍しくなく、100km/hで走れる道路はドコにも存在しなかった(日本初の高速道路である名神栗東IC-尼崎ICが開通したのは昭和38年)んで、初代スカイラインが設計されていた当時(昭和20年代末から30年代初頭)には125km/h(ALSIスカイラインの最高速度)でも「非現実的な高速」。 S50系スカイラインの設計が始まった(であろう)昭和30年代半ばあたりから、「高速道路(「巡航速度100km/h)」が現実味を帯びるようになって、レース参戦により開発が促進され、日本車も高速性能を得たという経緯もある。

RedCat27
質問者

お礼

昭和30年代の車としては高性能だったわけですね

  • ga21265
  • ベストアンサー率34% (114/326)
回答No.4

私も横から。 第一回の日本GPにはこのタイプのスカイラインも出場してます。 http://www.tamagoya.ne.jp/driver/skyline/sports.htm ちなみに一番改造に熱心だったのはトヨタで鈴鹿そっくりのテストコース 作ったり、低く改造されたサスペンションや120まで伸びる二速を持つ ミッションを投入してました。 ただし、一番効果的なチューニングをやったのは当時の日本メーカーで 唯一社レース経験(2輪で)があったスズキで公表最高速80kmの スズライトを平均90kmで走らせて優勝してます。

RedCat27
質問者

お礼

その他のメーカーの説明もしてくれてありがとうございます

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4881)
回答No.3

横から失礼。 >ということは54Bはポルシェ並に高性能だったということでしょうか。 盛り上がった期待を潰すようだけど・・・残念ながら、ポルシェ904はストックのママでもレース仕様と言って良い本物のスポーツカー、チューニングを施したとしてもベースがファミリーセダンのS54Bじゃ性能的には「相手にならない」。 第1回日本グランプリの予選でスカイラインがPPを取ったのも、生沢、砂子などの一流で固めたプリンス勢の”チームプレイ”とポルシェが予選2日目の雨で大クラッシュしたことが大きいか と。 >1周だけポルシェ904の前を走るという快挙を成し遂げ、 遅いマシン(数周で周回遅れになった女性ドライバーのトライアンフTR4)の予測不能の挙動に前を塞がれたポルシェの隙を突いた生沢のスカイラインがヘアピン手前の110Rで2台をまとめて吹いてトップに立ったというもので、スカイラインの性能よりも、「遅いマシン引っかかったポルシェを上手く抜けただけ」と言えるんじゃないか と。 ポルシェの式場は、直後のスプーンで抜き返すことも可能だったけど、レース前、生沢に「1周だけでも前を走らせて」と言われていたのを思い出して「1周だけ後をついて行ってみよう」と”抜かなかった”そうな・・・ で、「”1周だけでも前を走らせて”とお願いされた式場がワザと抜かせた」という説もあったけど、式場は「抜かれたのはまったく偶然。レースの途中で僕が遅い車に引っ掛かったからなんだ。」と語っているし、生沢も「”1週だけでも”は仲間内(両氏は以前からの友人同士)の冗談。」「いくら手負いの状態とはいえ、所詮F1とカローラでレースをしている様なもの、踏めばバーッていけちゃうんだもの。」と、ポルシェとスカイラインに圧倒的な性能差があったことを認めた発言が残っている。 あと・・・同じスカイラインと名乗っているけど、初代と2代目以降は”立ち位置”が違うのも忘れちゃいけない。 今に繋がるスカイラインの系譜は2代目(S50系)から始まったようなもので、ALSI系スカイラインはグロリア(BLSI系・・・)の始祖と言えるだろうな と。

RedCat27
質問者

お礼

ポルシェのマシンコンディションと運もあって54Bは追いつけたのですね!

回答No.2

>No1です。 追記ですが、初代モデルは昭和38年開催の第1回日本グランプリ開催前年に、ヨーロッパ国際横断ラリーにも参加していました。 こちらにわずかですがその映像もあります。→ http://since1957.blog130.fc2.com/

関連するQ&A