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姑息なイジメ感覚
何故人間は、数を揃えても、大事にならないと、愚かさや罪深さに気づけないのだと思いますか。 未だ続く到底理解できない憎しみ深い経験からの様々を鑑み、近年のニュース等での悲しいイジメ問題をも合わせ、アンケートとさせて頂きました。
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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大事になっても気づかない・認めない人もいます。 あるいはそれが【正しい】こととしている国や宗教もあります。 分かり合えないのは当たり前です。 分かり合えないものを無理やり押し付け、押し付けても分かり合えないものや、どうしてもはみ出してしまうものを攻撃したり処罰を与えたりします。 無理に理解しようとして似たようなアンケートを連発することも分かり合えないものを攻撃する人たちとどうレベルだと思います。 分かり合えないのなら無理に理解しようとしないでそのまま軽く受け止め流してしまえばいいのです。 嫌なこともトイレに流してしまえばいいのです。 子供のいじめというものは上記の述べたタイプはごく少数でに「好きだから」「面白いから」という理由が大半です。 つまりいじめ側は「遊び」なのです。 子供というものは残酷で蟻を踏み潰すのも友達をからかうのも遊びなのです。 ボールは友達とか言って、友達をボールにして遊ぶ子供もいます。 大人が叱ればやめる子もいれば、やられた痛みを本当の意味で知らなければ繰り返す子供もいます。 また痛みを知っても「仲間はずれにされるから」「やらないといじめの標的にされるから」とやってしまう子供もいます。 いじめ解決は難しいと思います。 元々は人間という動物としての習性に近いものですから。 きちんと厳しく教育しているつもりでもその芽は意外なところから出てきます。 対処法はいじめでもさまざまなパターン・原因があるのでコレをすれば解決というわけでもないのです。 またいじめがいじめを呼ぶこともあります。 いじめ加害者が被害者になり、被害者が加害者になることもあります。 いじめ被害者が反省していじめを止めて「解決」とする人が多いでしょうけど、本当の「解決」はいじめ被害者がいじめる側に回らず、尚且ついじめは馬鹿馬鹿しいと取るに取らなくなることでしょうね。 ちなみに近年話題になっている「いじめ」はいじめではありません。「犯罪」です。 遊びといじめと犯罪の境目が分からない子供と教育者・関係者が増えていると思います。
大事になっても気づくことはないでしょう。イジメによる自殺事件があっても、加害者たちは自分が愚かだとも罪深いとも思っていない。また、数がいれば集団心理が働きますね。
お礼
ご回答ありがとうございました☆
- Gusdrums
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他人に対する思いやりの欠如(他人の立場で考えることができない) 親や育った環境の影響悪。 ズルさに隠れた、つまりバレなければ良いという短絡的な行動。 日本人特有の集団意識を勝手に正当化している、輪からはみ出た者は、変わり者とかと決め付ける 誤った意識。これがイジメの温床から常習化へと。 人の不幸を裏で面白がる、異常気質者の存在。 <<何故人間は、数を揃えても、大事にならないと、愚かさや罪深さに気づけないのだと思いますか。 簡単に云うと他人事なんですよ。 それと、偏った自信過剰からくる強行と抑えられない満たされない欲情。 動かないというか動けない警察や行政の消極性。 曖昧さで、惑わされていねのですよ! イジメの芽を摘むには、些細なことでも事があれば大人が介入すべき! モンスターペアレントみたいなものではなく、被害を被ったという自覚があればです。 些細なことでも、イジメられたと受け止めたら、通報していく、ただのじゃれあいで片付けるな! 絶対、事はエスカレートしていくことを肝に命じておくべき! 昔の言葉で、「子供の喧嘩に大人が・・・・・」現在とは大きく異なる、これをまだ混同している、馬鹿どもの思考が残っている。 イジメられる側にも問題があるという考え方をまだ、心の奥底にでも、持っていれば、そんなものは、払拭し考え方を改めるべき! 現実や相談し辛い子供の表情を常に見よ! 他としては、学校とか各室内をもっと可視化することですね。 トイレとかは、反対する奴らがいるから入口あたりにカメラを仕掛ける等、やりすぎと言っている輩や無干渉がいたら、今の深刻性が理解できない奴らですね。 もう、今はそんな時代なんですよ! 人の命の重みというものを再認識すべきです。
お礼
ご回答ありがとうございました☆
人間は基本的に、事なかれ主義だからじゃないですか。 何かあっても、無いことにするのが好きですから。
お礼
ご回答ありがとうございました☆
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