なんだか、世の中知ったかぶりが多すぎる上に、デタラメな常識を言いふらす輩が多くて困りますね。
中には陽徳がまるで悪行、してはいけないことのように言う馬鹿もいます。
陰徳・陽徳は本来の解釈のほかにも隠語としての解釈まで様々あって、それらを混同するととんでもないことになります。陽徳を「感謝を求めての善行」と解釈するのは安易に「陰」の反対を「陽」と理解しての世俗的な間違いです。そんな世俗的な解釈を本来の意味のように理解する問うのは本質を知らない証拠です。
陰徳は「陰徳陽報」といい、人知れず行う善業(善行)は目に見える形で戻るというものです。
ごみ拾いやボランティアで感謝されるのは陽徳になったのではなく、この陰徳陽報に基づくものです。
陰徳は積めば積むほど大きくなって帰るという考えや、陰徳は天に積むので知らずに犯した罪も許してもらえるという打算的な教えまであります。
だからこの世でありがとうと言われることは既に陰徳陽報で報いを受けているから積んだことにならないという意味になります。
これらは全て誤った考え、そもそも見られないようにしなければとか、見られたから駄目だとかいうこと自体が打算的、慾ということなのです。コレは既に「見返りを求めての善行」つまり俗説的な「陽徳」になります。
正しくは、見られるも見られないも関係なく、何かを求めて行う善行ではなく、それが道に従い良心に従った行為であるかどうかということなのです。
コレに対し、陽徳は天然自然の理に従って行うことです。つまりこれは善行などとはあまり関係のない話なのです。
陰徳陽報という言葉の陽と陽徳の陽を混同して理解すると陽徳が見返りを求めての徳(善行)ということになってしまうわけです。
禅宗では「禅は我を捨て無になることだが、無になろうという気持ちもまた“我”である」といいます。コレと同じように俗説で陰徳陽徳を解説すれば、『陰徳は見返りを求めずに善行を行うことだが、感謝されて無駄になったとか陽徳になったとか考えること自体が既に見返りを気にしている、つまり陽徳なのだ』ということなのです。
つまり「陽徳は良くないからするな、陰徳を積め」などと言っている時点で、見返りを求めていることになり、その人の教えには陰徳はないということなのです。
このように今の世の中、良心とは何か、天の理とは何かを知らない人が大半を占めています。
世の中の常識は実は非常識ということもあるのできをつけましょう。
お礼
なるほどです! そうですよね、よい行いをして悪いことなんてないですよね。 人目を気にせず、思いっきり良いと思えることをできそうです。 ありがとうございました!!