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「命は大事に」と「犯罪者は死刑」は矛盾してない?

最近いじめ自殺が話題になっていますが、よく「自殺は絶対してはいけない。人に与えられた命だから。死んだら悲しむ人がいるから」と当たり前のように言う人がいますよね。でもそういう人も犯罪者の死刑は黙認していると思います。犯罪者にも悲しむ家族はいるだろうに、死ぬことを許可している。なんだか矛盾しているように感じます。 結局のところ、人が死んでいい条件は社会を成立させるために作られている機会的なルール(有益な人を残し、有害な人は排除)であって、親が悲しむうんぬんは根拠にならないと思いますが、みなさんはどう思いますか。

みんなの回答

回答No.17

No.7さん 矛盾を解決するのは簡単ですよ 一貫して命を大切にすればいいだけです どこかのTVで言ってました 人が、人の命にかろうじてできることは、救うことだけです 殺人犯がそうしたのにはそこに至った理由もあるはずですけどそれはそうと 自分の目から見て悪い命だから殺してもいい人と、大切な命がいるのでは、何より説得力がないですよね 世間が一貫していなければ、個人も一貫しないのは当たり前じゃないですか? 世間に、この人は(自分に対して)悪い事をしていないから傷つけてはいけない、この人は悪いから傷つけてもいい だったら、人を殺す人にとって、この人は自分にとって悪い事をした存在だから殺してもいい 同じ理屈ですよね 特に通り魔起こした人なんかはぴったり どんな時でも一貫した考えを持っているなら、どんな時でも殺しはいけないと思えるものですよ

回答No.16

矛盾してて説得力が無いから結局、本当に命を大切には誰もしないのです 自殺だってしろというし、人殺しだって出ますから 本当にみんなが命を大切にしていたら、人殺しだって人を殺す事を抵抗感じると思います 結局は全て命を軽んじてる人が多いと言う事です

  • wgwjdama
  • ベストアンサー率6% (4/61)
回答No.15

この世は 矛盾の塊です 以上

  • kumap2010
  • ベストアンサー率27% (897/3218)
回答No.14

生かしておくほうが矛盾が生じるでしょ。 生かしておいたらさらに殺人を犯して「命を大事に」のルールから外れることになる。 仮に刑務所に入れ続けたとしても、 その費用を国民が負担することになり日本の貧民の誰かを餓死させる可能性がある。 死刑にすれば一人の命を失うことで多くの命を守ることが出来る。

回答No.13

 大事なものを剥奪するからこそ刑罰として成り立つのでは。お金は大事だからお金を出させる罰金刑が成り立ち、自由が大事だから自由を制限する禁固・懲役が成り立つ。

  • bhiktgr
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.12

死人に口なし被害者は殺され損ですね

noname#168543
noname#168543
回答No.11

貴方みたいな人がいるから 逆に 犯罪者が減らない気がしました。 子供は伸び伸びと… 言葉通り行くと =ほったらかし って親もいる。 死刑反対とか 言う人もいるけど 反対なら 反対者一人づつ 死刑者の身代わりをしてやれば どうでしょう。 こう言えば 屁理屈 でしょうが? 面倒な言い回しばかり 言うから 世の中どんどん 犯罪者が増えて 罪も軽くて 再犯罪。 殺された方は たった一つの命みたいで 殺した方は 家族や親せきまで 心配されるような 生きてる者の強みって事! 殺されても 話題にはなっても 守られはしない。 もう 存在しないから。 そんなこと 絶対許せん!

回答No.10

「命は大事に」と「ロースカツ定食」は矛盾してない? 豚は太らせて殺して喰ってますね。 豚の命と人の命、普通の人の命と殺人を犯した犯罪者の命  豚と人とは違う・・・・同じほ乳類じゃないか・・・・ 普通の人と殺人者は違う・・・・おなじ人間じゃないか・・・

回答No.9

「死刑反対論者」は、「人が人を裁く」ことの危険性を指摘しているのだと思います。 「冤罪」や「誤審」による「不当判決」が余りにも多かった。 歴史的には「魔女裁判」のような、迷信に基づく密告制度の下での死刑も存在した。 「不敬罪」など、時の権力維持のための極刑として死刑が規定され適用されることで、個人の良心の自由、表現の自由が侵されてきた。 そのような権力者達の身勝手による「刑死事件」の当事者が裁かれることも無かった。 斯う見てくると、権力による殺人は正当化され、「疑わしきは罰せず」の法理論も活かされていない場合が多いことや、権力者と一般人との不平等な法の適用も現実に存在すること、等が死刑反対論の論拠になっているのでしょうか。権力側の「隠蔽体質」も、法的には不問とされています。 私個人もどちらかと言えば「死刑反対論」を支持したいのですが、現実に多発している殺人事件=人命軽視に対しては、当分の間は極刑もやむを得ないかな?と言う感情です。 戦争に伴う「無差別大量殺人」の元凶が、戦争勝利者の場合や占領政策の元で、何の責任追及もなされない。「テロへのみせしめ」のごとき戦争で、無辜の人々が多数殺害されても、アメリカ大統領が罪に問われることはない。この様な現実も「法の下の平等」に反していると思います。 理念が守られないでは、「法社会」と呼ぶに値しない。こうした点が、死刑反対の論拠にも成っているのかと感じます。

  • ki2222
  • ベストアンサー率9% (30/328)
回答No.8

命は大事だから、それを侵してはいけない。 しかし、時代が複雑で良からぬものもいる。 それは法で規制することになる。命が大事だからこそ大切にしたいので法の出番があるのでは。