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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:イチャモン付けかな?)

神社の祈祷は責任は無いのか?

このQ&Aのポイント
  • 友人が神社での祈祷にお金を支払い、後部からの追突事故に遭ってしまいました。神社の祈祷には責任は無いのでしょうか?
  • 神社の祈祷は高価なものですが、それに責任はないのか疑問に思います。また、神社は納税義務もないと聞きました。
  • イチャモン付け的なことだとは思いますが、友人の顔を見ているとやるせなくなります。このような場合、神社に責任はあるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • zxcv5bnm
  • ベストアンサー率16% (7/42)
回答No.2

私は、グリーンNoの営業車ですが、只 心の持ちようと考えています。 御祓いしても 事故 違反するときはするし しない時はしません。 只 (護られている?) 安堵感  買った位にしか考えてません。 事故は無いですけど。

coacon
質問者

お礼

今日は。 早速のお返事有り難う御座います。 プロのドライバーさんですか。毎日お疲れ様です。 基本はそうでしょうね。ただ、友人が買ってすぐの事故に肩を落として いた事にちょっと八つ当たり気味だった感じもします。すみません。 ただ、色々調べているうちに神社の余りにもいい加減さが目に付いて しまって。世の中には見なくても良いものが、まだまだ沢山あるのですね お忙しい中有り難う御座いました。

その他の回答 (4)

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.5

最近はお祓いの意味も知らずに、なんでも避けられると思っている人が多くて困りもんです。 いい加減な似非常識家や芸人がお祓いで大丈夫だの、ご利益だの、パワースポットだのと吹聴しているから、正しい解釈できていない人が増えてしまうんです。 お祓いや祈願で「何が何でも避けろ」というのはお寺でのものであって、神社ではありません。 祝詞をきちんと聞いていれば判るのですけど “祓え”とはその時点での対象を祓い清めることです。つまり自分の車が原因で事故を起こしたり、故障したりが無いようにと願うものです。 さらに“祓え”はその時点より過去に被った穢れに対してですので、その後に、例えば乱暴な運転をするとか、人に迷惑をかけるとかがあれば、それは新しい罪咎となります。さらに真面目な運転を心がけていても、周囲がどう思うかは判りません。神道ではそれも含めての罪咎と言います。だから毎年のように祓いを受けて前年の厄を祓うのです。 そして最大の注目点は神道では災難を避けることはしません。というか、災難は来て当たり前だと考えています。人だけではなくこの世に生あるものすべては苦難を乗り越えてこそ進歩するのです。苦難の無いところには進歩も発展もありません。 でも大きく辛い苦難はやはり嫌です。だから「大難を小難に、小難を無難に」と願うのです。ここが仏教(特に密教)との大きな違い。密教などでは「真言や秘法によって神仏の力で避けさせよ」と祈願します。 もし「何だ、ちっとも守ってくれないじゃないか」と考えるならそれまでのこと『信じ切れないからハナから守ってなどくれないだけだ』というわけです。「お陰様で大怪我や命を落とさずに済みました」と考えるなら大難を小難に小難を無難に乗り越えることが出来るのです。 マスコミや世間で騒がれるような者にまともな人などいませんから、そんな者の虚言を信じないようにしてください。 まぁ、神職の中どころか神社庁のなかにも習ったはずの知識を忘れていい加減なことを言う者もいるようですから、そういう輩は詐欺罪で訴えても好いと思いますよ。

coacon
質問者

お礼

今日は。 早速のご返答有り難うございます。 なるほど。「大難を小難に、小難を無難に」ですね。 納得できるものですね。ですがここでもう一つ引っかかるのが 金銭的な事です。何故、5万なのでしょう。 私の母の7回忌の時にお坊様にお支払いしたお布施代金と 同じ額です。これは遠い所から来て頂いたタクシー代金をも 含んだ金額でした。しかし今回は新車のご祈祷代金ですよ。 当然友人はこちらから出向きした事です。 その神社庁とやらが皆一律に決めているのでしょうか? だとすれば 「習ったはずの知識を忘れていい加減なことを言う者もいるようですから、そういう輩」と言うような、言った言わない等と言う事ではなく、ご祈祷そのものが人の心を利用した立派な詐欺では無いでしょうか? 能力も無いのに神主の免許を取得しただけで、神社庁に決められた 金額で祝詞を上げ、お金をもらう。又、納税義務も果たさずに毎日を過ごす。 後は、各人達の考え方にお任せ。一切の責任はなし。 神社とは、祝詞とは・・。はそう理解するべし。 これが、法律で守られ、当たり前として存続している。 そういう事と理解すべき事なのですね。 「心の持ちよう」と言う事と言いたい事は分かります。ですが時代が 違います。今やそんな事を言っている時代ではありません。 と私は考えます。 題字にもありましたように「イチャモン・・・」すみませんでした・・・。 有り難う御座いました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

”そこで、ちょっと思ったのですが、「神社」さんとかの祈祷とかの高価なあのような ものは責任とかは無いのでしょうか?”    ↑ ありません。 現代では祈祷と事故の間の因果関係は認めていませんので 責任を問うことは無理です。 ちなみに、呪い殺しても、罪には問われません。 ”100円、200円ならともかくも何万円と言う金額を取っておきながら何の責任も無い のでしょうか。おまけに納税義務も無いとも聞きました。”    ↑ ハイ、何の責任もありません。 理由は同じです。 納税義務の問題は、営利を目的としていない団体一般に認められるもので 神社だけではありません。 これは建前です。 本当は、宗教団体というのは大政党の巨大な票田なので 手が出ないからです。

coacon
質問者

お礼

今日は。 早速のご返答有り難う御座います。 完結的な解答にちょっと笑いが出ました。 しかし、的が得ているだけに理解が容易かったです。 結果、政治団体→政治と行き着くであろうと 思う所にやっぱり行き着きました。 何か、日本って変?? 今までよくやってこれた気がします。 有り難う御座いました。 又何かありましたら宜しくお願い致します。 

回答No.3

付随的審査制と抽象的審査制という考え方 があります。日本は「付随的~」となっています。 これは「仮によからぬ法律がつくられた」としても それのみでは「裁判を起こせない」というものです。 具体的な紛争があり(その法律により被害を受け) はじめて裁判がおこせる、というものです。 そもそも「法律上の紛争」でなければ 裁判できないわけです。  で、質問者様のおっしゃるのは、まあ「詐欺」的な ことをおっしゃりたいのでしょうが「神がいるか、神の力は どれくらいか、神に関するあるアイテムは本物か」といった 「法律で結論が出せないこと」は裁判の範囲には入りません。  「神社で高いお守り買ったから、たとえ目隠ししても  事故にあわないはずだ」とおもっているわけではないでしょう?  「なにを信じ、信じないか、は国家権力により強制」されません。  

coacon
質問者

お礼

今日は。 早速のお返事有り難うございます。 そうなんですね。ちょっと難しい話ですね・・。 上の解答にも色々書かせて頂きましたが何か、大きいものには どんな疑問をなげても無駄なように思います。 所詮、既存するものにはそれなりにガードが固いですね。 くだらない質問に真剣にお答え頂き感謝致します。 有り難う御座いました。

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.1

 お祓いをしていたので、そのくらいですんだんです。 お祓いしていなかったら、大型トラックやダンプカーが突っ込んできて・・・  そういうことなんですよ。  お祓いを受けた友人ももちろん冗談では「もうあの神社でお祓いしない!」等と言うでしょうが、本院も重々承知のはずです。  もう一度言いますが、お祓いを受けたからこそその程度ですんだんですね。

coacon
質問者

お礼

今日は。 早速のご解答有り難う御座います。 どちらかの神社様かお寺様なのでしょうか? 違っていたらすみません。 「全体的に気持ちの持ちよう」と言う事を言いたい文章と理解させて頂きました。 上段お礼文にも書かせて頂きましたが、それはそれで良いのですが 5万と言う現金が動きながら何ら責任の所在はハッキリしない事に対しての意味付けが理解出来なかったのです。 それだけです。 ご気分害されたなら謝ります。 ご解答有り難う御座いました。 又、何かありましたら宜しくお願い致します。

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