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教祖を信じてたら刑罰が重くなるの?
今も教祖を信じてたかどうとか報道されてますが憲法にも記されてる信仰の自由は裁判に影響するのでしょうか?
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信仰の自由は、事件や裁判とは全く無関係です。 裁判上の観点は、被告が「反省しているか?」です。 現在も教祖や教義を信じている場合、裁判上では被告が犯した罪に対し「反省していない」と解釈される可能性があり、判決に影響する可能性もあります。 現時点で教祖を信じていたとすれば、裁判で容疑者にとって有利に働く要素は無いです。 逆に言えば、その前提でも、「それでも私は教祖を信じる」等は、容疑者本人の自由です。 検察や検察が、「信じてはいけない」などと言う権利も無いし、事実を取り調べる過程で、そんな必要もありません。 信仰の自由は担保されています。 被告が裁判で「教祖は正しい。犯罪は間違いではない。」などと主張するのは自由ですが、それに対して、裁判所が与える判断は「全く反省していない」としかなりません。
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- riteway
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大量殺人を犯した時点で、オウムは宗教ではなくてテロリストです。 殺意の有無で収監年数が変わる可能性はあるかもしれません。 まあ、馬鹿馬鹿しい話ですが。 質問者も三面記事から卒業しましょう。
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- e_16
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信仰は自由ですが、信仰を利用して人を殺しちゃいけないんです。 だから影響しません。
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- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
刑罰を課す際は、本人の反省度合いが斟酌されることが多いですが、例えばオウムを今も熱心に信仰していたとしたら、オウムは教義を曲解してポアを正当化した団体ですから、その教えを信じているということは、オウムの犯罪を問題視せず、結果として反省していないと見られる可能性はあります。 信仰は自由なのですが、その宗教の内容によって犯罪が引き起こされたことの重大さを考えれば、“信仰しないのが常識的な考え・判断というもの”という解釈だと思います。
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- born1960
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仮にオウム関連のものを全く所持してなかったりしてた場合 「反省している」とみなされます。もちろん頭の中のことまでは別です。 未だに麻原の写真などオウム関連のものを所持していた場合 「反省していない」とみなされます。それがごく普通の一般的な感覚です。 もちろん信仰は本人の自由なのですが、反省していないとされる方が裁判などでは量刑は重くなりますね。 よく聞くでしょ? 「犯した罪は重大だが、本人も反省し、被害者家族への謝罪などを含め更生の可能性も秘めている。なので死刑の求刑に対し無期懲役とする」みたいな文言。
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- ShowMeHow
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あいつは頭いいから、責任回避のためにわざとやっているのかもしれない。 (責任を他人に押し付けられる可能性があるんじゃないかな。)
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