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滋賀県嘉田知事は原発付近住民の命より停電が重大か?

滋賀県嘉田知事は大飯発電所は現在のところは安全ではないが、原発を動かさないと停電になると脅されたので容認に廻ったと記者会見で発言されたとテレビ報道を拝見しました。 停電は不快で、電気を使用して快適な生活をするという快楽は、捨てがたいものですが、他人の命と比較考慮して快楽を選択されたわけです。 抗議のため、「わたしら原発近隣住民には赤い血が流れておらんのか」と滋賀県庁危機管理担当にに電話しとうとしました。すると受付の電話に出られた方が、今日は日曜日なので平日に電話しろといわれました。 そこで危機管理部門に電話を回すよう再三にわたりお話しましたが、朝10時でしたが「危機管理部門の者は今家に帰った。疑うなら見にこい」と開き直られました。危機管理部門の職員を休日ひとりも配置しないで、よく危機管理部門などと名乗れますね。 人間一人の命の重さは地球より重いそうですが、わしらには赤い血が流れておらんのでしょうか。あなたがたが快適に過ごすという快楽の方が大切でしょうか。お教えください。

みんなの回答

noname#161969
noname#161969
回答No.1

肝心な事を忘れていませんか? 病院や医療施設で電気が無いと生きられない方がどれだけいるか、ご存じの上でこのようなコメントを入れているのか? 生まれたばかりの子供や事故やけがで治療中の患者、電気が止まれば数分で「死」を迎えることになるのですが、関係ないといえますか? 電気は「快適な生活」だけのためではないのですよ。

pojipoji
質問者

お礼

武田氏に正面から批判するひと、裏切られたというひと、いろいろおられるとおもいます。 しかし、そのこととは関わりなく、かの地域で数千名の方々が行方不明で、東電と政府の行為により立ち入り禁止となり、捜索されることもなく亡くなっていったと考えられることです。   多くの方々が、原発事件で亡くなった方はいないとおっしゃいますが、ではこの方々のうち、地震、津波以降になくなれれた死亡の原因はなんでしょうか。 今回、すべての原発が事件を起こしましたか?このような危険な施設を運転する方々は結果責任を負うべきです。自動車事故のように。   警察庁には不作為による未必の故意での殺人として刑事告発ができないかお伺いしましたが、話が飛躍しているとして断られました。 そこで、福島県双葉警察署では、上で説明申し上げたような理由で殺人事件の可能性があり、その方向でも捜査をしていただくようお願いしました。お聞きしたとき、警察官の方も、まだお一人いまだ行方不明で捜索中であるとおっしゃっておられました。事件はまだ続いておりました。 誰も責任を取らない。いまだ誰も逮捕されていない。調査、原因究明もないまま別の原子力発電所も動きました。 欠陥施設の誘致、許可、計画、設計、建設、運営などどの部分に過失があったか調査しなけれなりません。災害により欠陥が発覚し、原子力発電所の事件という影響の大きさにより、多くの人が犠牲となられました。この事件のため、未来を絶たれた方々の鎮魂のためには、原因究明と責任の明確化がどうしても必要であると考えます。                                       合掌 「無念の死を遂げた人たち 2011年3月12日に爆発した福島原発。小雪の降る極寒に地震で打撃を受けた福島の人たちに放射性物質が追い打ちをかけた。 2011年3月31日午後2時2分に共同通信から配信された情報によると、警察当局は、原発から10キロメートル以内に震災、凍死、あるいは放射線の打撃で亡くなり収容できないご遺体が数100から数1000あると推定していると報じた。 その頃、上杉さん達の事実を伝えたいというジャーナリストは必死になって現場に入る許可を政府に求めていた。「少しでも情報があれば、まだ救われる人がいる」と叫んだが、政府は許可を与えなかった。 3月27日には福島原発から5キロの大熊町でご遺体から高い放射線を測定した。ご遺体の除染を必要とする基準として警察が定めていた10万cpmの測定器が振り切れて県警がこのご遺体の収容を断念した。 寒風吹きすさぶ福島の地に「汚染されているから」という理由で放置されたご遺体。私は日本人として心が痛み、涙をこらえることができない。ああ、すみません。こんな原発をやって・・・ この地域のご遺体は、地震によって家屋の下敷きになったり、津波で服が濡れ折からの寒風で体温が下がった人が多かった。でも、放射線が強く救援が届かない。餓死、衰弱死、病死でなくなった方が多いとされている。 あのときの寒さは酷かった。寒空の中でこれまで真面目に生きてきた日本人を見殺しにしたのは事故を起こした東電と、救援を拒否した政府だった。 その時、東電の勝俣元会長と先日、公聴会で発言した中部電力課長はどこにいて、暖房をつけていたのだろうか? 私は大阪に閉じ込められ寒さに震えていた。大地震の後で家族と離ればなれになり、寒さに震えて死んでいった人たち、原発の事故で救援が来ないなか無念の死を遂げた人たち・・・私は許せない! (平成24年7月18日) http://takedanet.com/2012/07/post_5ff5.html 武田邦彦」

pojipoji
質問者

補足

でしたら、その人たちの命の方が重く、私たち原発近隣住民の命は軽いということですか。その人たちの命は重いが、私たちの命は軽く「赤い血が通っていない」ということですね。 その人たちを守るためなら私たちはどうでも良いということなのでしょう。あなた様がおっしゃるまでもなく誰でもいつかは「死ぬ」のです。死ぬまでの間にどのような公共サービスや私的なサービスが受けれるは都会と田舎では大きく異なります。田舎の者の命が軽く扱われることも知っています。 ここで快適とは単に涼しいとか便利とかを指しているのではありません。だれの命も平等に扱われるべきであると申し上げているのです。皆が平等なら、濃厚な措置は、残念ながら一部やめなけらばならないかもしれません。全体的な質や量を落とさざるを得ません。お金がないなら買えません。しかしそれが平等ではないでしょうか。 同じ家族で、AはビフテキでBはカップ麺、本人が望んだ違いならそのようにしたら良いでしょう しかし、機械が動いているのか、人が自力で動いているかわからないほど濃厚な処置を受けている人があり、一方では救急車に乗りながら病院をたらい回しになり亡くなる妊婦があるように、また、医師がいないため比較的経緯手術もできない地域の存在があります。 地方では今でも医師が不足しており、十分な医療の機会がある都会とは全くことなり、医師の面でも設備の面でも想像できないほど劣っています。 そのあたりが分かってのご発言でしょうか。命の価値が同じなら同じように濃厚な処置が断念せざるをえないのならそのようにすべきではないですか。これは、国際間の南北問題などと同じことなのです。 それを「快適」と申し上げているのです。 わたしは原発再開に賛成した知事さんや町長さんを非難しません。仕事がなければ食べていけないのです。先の恐怖より今お腹を満たすほうが、今は大切ですからです。でも、あの方々がそれほど切羽詰っていることも理解しているつもりです。 

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