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人生の可能性
マイナスな気持ち。 例えば過去に縛られて前に進めない。 そんな気持ちが自分の未来の可能性を狭めてしまう。 でも未来の可能性を狭めるのが自分自身なら、 可能性を広めるのもまた、自分自身なのでしょうか。 きれいごとに聞こえるかもしれませんが、 ご意見下さい。 ときにはこんな理想の考え方も必要なのでしょうか?
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人生、あなたの努力次第で道を拓けると思う。 私は、中学時代に同じクラスだったNくんから未来の可能性を拓いて行くのは自分の努力次第だと教えてもらった。 彼は中学時代、以下の人だった。 ・真面目で律儀 ・苦手な教科も頑張っていた。 当時、彼は英語が苦手で、考査で赤点を取ってて英語の課題プリントの空いてる箇所を英単語で、白紙の裏まで、びっしりと埋め尽くされてたw ・一つの事に没頭すると周りが声を掛けても気が付かない集中力w ・毎日、自分の当番以外の事を手伝っていた。 当時、私が彼に 「毎日給食当番の手伝いとか掃除とか手伝ってるけど面倒じゃないの?」って質問したら、 「面倒だったらしねぇよ 周りの為にしてるんじゃなくて俺がしてて楽しいからしてるだけだよ」って言ってた。 Nくんに出会わなかったら私は不良から真面目に絶対ならなかったと思う。 彼は私に、真剣に生きる事の大切さを教えてくれた。 私は彼のおかげで、高校の推薦入試を受ける事が出来た。 もし私が真面目にならずに不良のままだったなら、きっと成績も悪いまま授業態度も悪いままだったと思うし、そんなんで推薦入試なんて絶対受けられる訳なかったんだなって思ってる。 彼に出会えて私は、毎日勉強するようになったし(←現在も)校則もちゃんと守って授業態度もかなり変えられた。掃除や給食当番の手伝いも毎日した。 全てNくんを見習って。 やっぱり「変わろう」と努力したから私は真面目に変われたわけで、進路にも無事に開拓が出来たと思ってる。 だから、自分の努力次第で道は拓けるんだって思うよ。 たとえ努力が実を結ばなくても、そこからまた努力すれば良いんだよ。
- alterd1953
- ベストアンサー率20% (239/1173)
可能性を広めるのも自分自身。 全くその通りだと思います。 ただ、一般人の人生というのは、極々ささやかなものだと思います。 例え高い目標を持ったにしても、少しずつ階段を登っていかれるのが良いと思います。
- human-beat-box
- ベストアンサー率38% (10/26)
こんばんは。 過去の行いが自分を決めるのか、はたまた外圧によって決められているのか。 貴方はどちらだと思いますか? 我々人間はつくづく自己中心的です。 都合の悪いことは頭から消し去ろうとするか、曲解して自己を正当化することで 自分の存在、尊厳を保とうとします。(この場合、何が善で何が悪かの定義にも依りますが。) しかし、その様な人間は過去から学ぼうとしないため、同じ行いを繰り返します。 ですから、過去に縛られて踏み止まるのは良くありませんが、見つめ直すのはいいことだと思いますね。その経験を次に活かすことができます。 未来の可能性なんて誰にも予想できません。 未来なんて気にせず、今をどうするか、どう生きるかの方が大切ではないでしょうか。
- anndoromeda
- ベストアンサー率15% (279/1846)
>>可能性を広めるのもまた、自分自身なのでしょうか そうです。 そうですが・・その具体的方法が分からない・・が正直な所です。 一つだけ・・ それは感謝です。 感謝を表す一番の言葉・・それは「ありがとう」でしょう。 世界で一番美しい言葉とも言われますね。 いつもありがとうに包まれているなら・・ 後は想像にお任せします。
- vivabanzai
- ベストアンサー率0% (0/8)
もちろん人生は自分次第です。 といっても現実的には、特に年齢相応の物の見方、判断をしなければならなく、 理不尽に相手によって色々と変わってしまうことも多いですが、 何かをする時、まず言い訳から入る人がいますが、損ですよね。 当たり前ですが、人は何か経験したり見聞きした時、その人によって大分受け取り方の差があります。 ネガティブな人はいつも考え方にその人なりの癖があるようで、 堂々巡りで何も変えられませんし、心の中でいつも言い訳をしているような気がします。 といってもなかなか性格は変えられないので難しいですね。 あなたの場合素直そうなので大丈夫ですよ。 一度の人生ですので、思うとおりに生きてください。
- 2080219
- ベストアンサー率32% (627/1954)
こんにちは。 あなたのお考えは、正論です。 決して、きれいごとではありません。 人間は、そのようにして前に進んでいく他ありません。 過去には、例え、1秒たりとも戻れません。 未来があるという保証も、どこにもありません。 (東北震災を例にとっても、お分かりになるかと存じます) ですから、私たちにとって与えられた時間とは ”今、その時”だけなのです。 ですから、何気ない日々にも心を配り、 大切に生きていってください。 お互い、頑張りましょうね(^_^)
- non-chan1090
- ベストアンサー率22% (50/219)
真面目に感じたことを答えます。 強烈な過去を経験した人は(例えば、ホロコーストにおける 生き残りのユダヤ人や悲惨な戦場から帰った米軍兵士など) どんなに幸福な未来を生きようと頑張っても、どこかでプツッ と糸が切れて、人生に終止符を打つことがあります。 それは本人の努力が足りなかったからでもなく、自ら可能性 を狭めたわけでもないと思います。そうではなくて、過去の 悲惨さを忘れようと努めて、今の明るい現実を必死で生きて ある日突然、限界に出くわすのだと思います。 でも、同じ経験をしても、上手く生きながらえる人もいます。 いい人生を送れる人もいます。そういう人は大体、悲惨な過去 から目を背けなかった人だと思います。辛くても受容して、 自分の現実の生活に過去を何らかの形で据え置くことで、自分 を維持できたのかもしれません。 何事も自分次第という人もいますが、人が意識的にビジョンを 作ったり、過去を締め出せば、幸せになるわけではありません。 ビジョンなどむしろない人の方が柔軟性がありますし、未来に 可能性を持たせたいのなら、むしろ意識をブランクにしておいた 方がいいと思います。