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菊花賞の距離変更について
- 菊花賞を2000メートルに変更することを提案します。
- 菊花賞は春からの実績馬と遅れて来た上り馬がぶつかり雌雄を決する、3歳チャンピオンを決めるに相応しいレースですが、ここ10年その後にGIを勝ち続けるような馬は出ていません。
- 現在の距離体系には古馬になってからそぐわないという傾向があります。菊花賞の距離変更により、距離志向に合致し、より面白いレースになる可能性があります。
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菊花賞を京都2000Mにすると、菊花賞の存在意義そのものがなくなると思います。 というのは、同時期に3歳馬も出走可能な古馬混合戦・天皇賞(秋)があるからです。当たり前のことですが、同じ距離で行われる3歳馬限定戦と古馬混合戦なら、古馬混合戦の方が価値が高くなります。 そうすると、古馬と戦って勝てる自身のある3歳馬は天皇賞に行き、自信のない3歳馬が菊花賞に回る、となり、菊花賞は敗者復活戦のような存在になってしまうと思います。そうすると、わざわざ菊花賞を行う意味ってあるのでしょうか? 勿論、現在だって有力な3歳馬は天皇賞に向かっているから、似たようなもの、という考え方は出来ます。 しかし、ならば思い切り長い距離にして、3000M級レースのスペシャリストが台頭する可能性を残しておいたほうが、まだ、競走馬の多様性を考えても合理的であると思います。 また、京都2000Mというコースそのものが、あまり良いコースとはいえません。 京都2000Mは、内回りコースで、スタートから第1コーナーまでの距離が短く、枠の有利不利が大きく、また、小回りコースであるがゆえに紛れも多くなります。現在、このコースで行われている秋華賞において波乱がしばしば起こる原因のひとつは、このコース形態にあります。 皐月賞の行われる中山芝2000Mもトリッキーなコース、菊花賞もトリッキーなコース。トリッキーなコース巧者ばかりがクラシックで台頭するようになっても面白くないと思います。 というか、そもそも、菊花賞馬が、その後もG1級で活躍していたのか、というと疑問があります。 1980年代半ばのミスターシービーあたりから、90年代末くらいまでが、菊花賞馬がその後も活躍しまくった「異様な時代」とも言えるのです。 例えば、1970年代は、菊花賞の後、天皇賞、有馬記念のどれかを勝ったのはグリーングラス、タケホープ、イシノヒカルの3頭。1960年代はニットエイト、シンザンの2頭です。当時は、現在以上に長距離偏重でしたし、また、天皇賞は勝ち抜け制で、強い馬が居座る、ということもありません。その時代で、これです。 1頭だけ、というと少なく感じますが、オルフェーヴルは3歳時の有馬記念勝ち、デルタブルースは海外のメルボルンC勝ち。上に挙げた馬のイシノヒカルなども、3歳の有馬記念勝ちですので、そう考えると「昔と変わらない」程度といえると思います。
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菊花賞2000m…つまらない。 菊花賞3000mを経験していないと、 翌年の天皇賞・春が大変でしょう。 前哨戦の阪神大賞典がありますけどね。 余談ですが、天皇賞・秋も3200mでした。 そして天皇賞で優勝した馬は2度と天皇賞に出走出来ませんでした。 それだけ由緒正しく厳格なレースなんですよ。
お礼
えっ、春天のステップなら25,30あるでしょう。 古馬最高の栄誉と言われた天皇賞も秋は3歳に開放され、 実質的古馬限定は春のみ、でレベルダウン。 いやそれはそれでいいんですよ。 どうもありがとうございました。
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お礼
私も秋天との兼ね合いは難しいとは考えていました。 古馬を負かしてという馬とクラシック路線重視の馬と。 菊花賞で素質開花その後活躍(スーパークリーク、メジロマックイーン)などの 印象が強いからかも知れません、杉本アナ(元)の影響もあるかもしれません。 どうもありがとうございました。