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『2001年宇宙の旅』は白人優越主義の映画か
最近、『2001年宇宙の旅』を見ていて、この映画は白人優越主義が根底にある映画なんじゃないかと思いました。少なくとも出演しているのは白人ばかりで、(60年代の作品じゃ珍しくない、お前の被害妄想と言われても仕方ないですけど・・・) 月へ行く「オリオン号」の船内テレビで柔道の試合が写るシーンがあるが審判も含めて3人とも白人(少なくとも東洋人には見えない)のようだし、最期に「スター・チャイルド」に進化するのも白人ということです。私の考え過ぎでしょうか?
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>シーンがあるが審判も含めて3人とも白人 細かなところまで見ているんですね。 >白人優越主義が根底にある映画 当時なら主義がでは無く概念で欧米、そして戦争に負けた日本でもそうでしょ。 有色人種はメイド、コック・・・・ 当時は公民権運動、キング牧師、マルコムX、ブラックパンサー党・・・・・ 主役が白人美男美女のTV、映画を見て育った世代には 黒人が大統領になってもまだまだ根底にはあるでしょう。 1999年製作の米国のドキュメンタリ ボウリング・フォー・コロンバイン http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id240123/ を見ると多くのTVの事件報道は街の犯罪は減少しているのに黒人のチンピラを捕まえるシーンが多いと訴えています。 今は?
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- osakajapan2001
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貴方の考えすぎです 未来を描こうと過去を描こうと 作者は勝手な空想を巡らせるものです 特にこの映画は監督のスタンリー・キューブリックが自費で自作で全てを掌握した それからの彼の映画と映画製作を象徴する映画です 良くこの映画を御覧になってください HALの開発者の学者先生が宇宙ステーションに到着して入るシーンに 自国の言語を選択するシーンがありますが ここには日本語を選択する事が出来るようになっています 映画の製作が1960年台だとすると かなり日本を筆頭にマイノリティーに配慮した映画製作姿勢が伺えます ところでスターチャイルドは誰が白人だと決めたのでしょうか 監督でさえ誰とは言っていません どちらかと言うとこの映画は米国資本にて 英国にて製作されている雰囲気が良く出ています 監督は米国での製作を断念して英国での製作を決断しています この英国と言う風土が多国籍的風土を良く反映しています 近代社会で植民地政策を強く推進した国が英国ですので その風土から植民地への考え方が東洋への興味として表面化しているものでしょう 監督は純粋な米国人です ストーリー全般の構築は監督です かたちだけでも作者は英国人です 過去の英国映画の東洋人の扱いと 過去の米国映画の東洋人の扱いとは全く違うスタンスが見えます 理由はこれだけでしょうが 全く違います 白人とか東洋人とかの範疇を超えて監督は人類の進化の過程を表現したのです モノリスによって与えられた知恵が人類の新たな進化の基となって木星を起点に 人類はスターチャイルドから新人類へと進化する と言うのがこの物語のストーリーですから 白人とか有色人種とかの違いを考察するものでは元々ありません
- ks5518
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これ「輪廻転生」の話しでは。 仏教的意識で見ると、そう見えますが。 仏教と言っても、真の大乗仏教の概念のもと に作られているような。 全てはモノリスに縁することから始まりますし。
- gldfish
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どうでしょうかね。 確かに古い時代のアメリカであればあるほど確実にそういった背景があるのは確かですが、この作品の場合は、白人至上云々という以前にそれなりの理由はあると思います。 少なくともファンタジックな舞台設定の作品である程、単一人種を起用する傾向にあるというのはあると思います。 例えば白人・黒人・アジア系・・といった国際色豊かな人種を折混ぜた場合、どうしても一部の国(アメリカとか英国とか)の限られた一時代(現代)の、現実的な背景を思い起こしてしまうからです。こういった特定のイメージをもたれてしまうのは、「純粋なファンタジー」であればある程いただけないと思います。 ・・・『2001年宇宙の旅』は一応これに当てはまると思います。SFである以前に「ファンタジー」であり「精神世界」といった趣が強いです。少なくともスタートレックやハリーポッターよりは。 それから、西洋人にとって「ファンタジー」と言われて真っ先に思い浮かべる世界観はというと、古代ギリシャにさかのぼるのです。古代ギリシャと言えば当然白人の世界です。この「まだ未開拓で無垢な世界」こそが「硬派なファンタジー」であり、様々な人種が入り混じる国際的な世界観というのはもう少しポップで現代的なイメージがあるというのはあります。(例えば、ブレードランナーやフィフス・エレメントのような。) つまり「単一人種」であれば別に黒人でもアジア系でもいいのだと思います。でもこの映画が作られた国が「白人社会」なので、一番身近であり、特別な意図を感じさせない白人にした。・・それだけでは。もしここでみんなアジア系にした場合「アジア系にしたのはどういう意味があるの?」という方向に観客の意識がいってしまい、本来のポイントがズレてしまいますから。 日本で作られる様々なファンタジー・・・例えば宮崎アニメだって、無国籍な趣のファンタジー作品でも、メインの登場人物は大抵アジア系を思わせるルックスをしているでしょう? ファンタジーゲームもそうです。それから、日本の漫画・アニメでも映画でもいいのですが、「世界を救う」とか「宇宙規模の偉大なことを成し遂げる」といった類の話の場合、それを担うのは大抵日本人です。日本人にとってやはり世界の中心は日本なのです。それと意味は同じなのではないでしょうか。
- frown_knight
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> 60年代の作品じゃ珍しくない、お前の被害妄想と言われても仕方ないですけど・・・ まさしくこの通り。 1966年に始まったスタートレックでアジア系やアフリカ系の役者がレギュラーで登場したのが画期的とされていたという時代背景考えれば、少しもおかしなことではありません。