認知行動療法と言うものがありますが、その根本は『認知の歪みから』と言う、その人の世の中の見方や、その人の認識の間違いを正したり、修正する方法です。
この場合の考え方は、その人の考え方の傾向で、うつが発症しているというものです。従って当人が『嫌がっている事』に原因が在るのではなくて、本人が『嫌だと思う考え方』に原因が在るという意味です。
もっと分かり易い書き方をするなら、或る物事や、或る事件でも、或る人と言う言い方でも良いですが、『そういう事柄がストレスになる場合』同じ環境にいる人達がストレスとし無いものを、当人だけがストレスとしている事実があります。
世の中で出会うものや、体験する場合で『ストレスにしないための考え方に修正しよう』と言う試みです。
同じ環境で、同じ人達と会っていて、同じような仕事をしていながら『ストレスにしない人』と『ストレスにしてしまう人』がいると言う意味です。その場合での両者の違いが明暗を分けている事を意味します。
その違いとは、世の中の見方や、物事に対する認識の違い現れている事を意味します。この違いで『ストレスにするのか?しないのかに分かれている。』と言う考え方です。
うつが治った場合を書いて見ると明瞭になると思います。
うつが治った場合では『少々落ち込む事があったとしても、落ち込み方が、違います。』以前では落ち込む事柄をストレスと感じて『心から排除』しようとしていましたが、今度は、そのストレッサーをストレスと感じない考え方に変わった事を意味します。
この根本的な違いが『分る場合』うつから距離を置いた事を意味します。同じストレッサーに対して『ストレスとしない場合では』そのストレッサーを、『心から排除しなくなって、受容れている』と言う意味になります。
結論から言うなら『現実を受け入れられない考え方が』ストレスを生んでいるという意味になります。現実を受け入れた時には、『同じ状態であってもストレスにはならない事』を意味します。
認知行動療法の場合でも、森田療法の場合でも『治った姿は、今現在を肯定出来る考え方に変わる事を意味します。』
受容れたくない事や、受け入れられない事が多い場合に『ストレスが多い』と言います。受け入れられない事が『少なくなるような考え方にさせてくれる先生が』良い先生の条件と思います。
受容れる事を嫌がっている状態ですので、治るまでは『先生の言う言葉の意味が判らない場合も有ると思います。』が、無理を言う先生と感じる場合も在るかも知れません。
治る前と治った後では『先生に対する見方も違う筈ですので』精神科医として真摯に取り組んでいる先生を、見つける事が出来るのかも大事になると思います。
良い先生は『口コミ』によっても知られてくる場合が多いと感じます。
お礼
先生の言う事は頭ごなしにが多いです。プライドも傷つきますし。腕のいい先生を見つけようと思います。