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  大学の存在意義

私の知人は昨春大学を卒業し新卒でフリーターを やっています。時給800円です。彼女が出た大学は 一応試験がありますが誰でも受かるそうです。 (見学時に職員が公言した)こんな感じですから 大学でもかなりいい加減だったでしょうね。会社 だってそこを見越してどこも新卒では採りません。 なんか入る前も入る後も勉強せずに、卒業後も 単純労働に従事してるなら大学なんて行く意味が ないような気がします。それでも本人がお遊びの つもりでいく分には自由ですけど、大学の運営 には貴重な税金が使われています。この財政難の 時代になんともったいない。 何故政府はこのような私学への補助を続けるの ですか?遊びに行くなら自費で遊ぶべきです。

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  • rikey
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回答No.8

ぼくは理系のことを一切知らないので、文系学部だけについて言います。 東大卒のフリーターもいるんですよ。そうゆう意味での質問か分かりませんけども・・。 はっきり言って、大学は自分が勉強したいと思えば勉強できるし、遊びたいと思えばいくらでも遊べます。東大の試験なんか高校の定期テストで頑張れる子なら点数を取れます(理系は知らん)。大学である以上、それなりの知識を持った人がいるはずです。そうゆう人たちに揉まれていれば自然に知識はつきますし、勉強になります。しかしただ単にアホ大の授業だけを受けていたら、そんな頭はよくならないでしょう。 つまり、偏差値など関係なくて、大学に入った後、いくら自分が勉強するか?です。

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  • kazhanako
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回答No.9

inoue-wataruさんの疑問と不満、そして最後の意見ごもっともです。 私は20年前に卒業した者です。今でいう共通試験が始まったころでした。その頃にもいくつか大学への批判はあって、共感したのは大学はレジャーランドという実感です。要は4,6年出入り可能なDLのパスポートを両親に援助してもらって、(自費ではなく)遊んでいたわけです。アドバンテージは当時はまだ現在のような構造的な経済不況がなく、有名大学から大会社への構図が神話でなく、そのまま 大なり小なり希望の会社へ就職できたことです。 大学は入学した時点で会社の入社試験の一次選抜試験として使われていたのが実態です。 このような高額な学費がどこに流れていくかというと先生方の研究と大勢の職員に還元されていったのです。 その後、公的機関の運営費のスリム化、見なおし大学という聖域にも入るに至り、ここ5年ほど大学改革が文部省の指導のもと行われましたが、効果があったのか、外部の人間からはわかりません。 否定することばかり書きました。もちろん大学で勉強に なった知識はありますが、ミニマムの大学の存在意義としては同じ勉強を志す若者に場所を提供してくれて、有志が先生を指名して勉強すれば十分というにが持論です。 米国では大学→就職というリニアなパターンだけでは ありません。まず自活して就職、その中で自分の実務 スキルアップして、学費も稼ぎ、それから、必要な知識の 基礎を勉強して自分の市場価値を高めていくケースも よくあります。

  • Ichitsubo
  • ベストアンサー率35% (479/1351)
回答No.7

大学とは教育の場であるだけではありません。 大学とは研究機関でもあるのです。 その研究内容が大したことがないと批判を受ければ大学の存在意義を問えるかも知れませんが、 卒業生がフリーターをしている、在学生が遊んでいる、といわれても、それはその個人の問題で、大学どうこうではありません。そのひとが大学に行くことが無意味であるだけで、大学の存在が無意味とは言えません。 私の知り合いはいわゆる帝大の大学院を修了したにもかかわらず、就職先がなくフリーターを仕方なくやっておりますが。

  • tao_brand
  • ベストアンサー率25% (7/28)
回答No.6

私はこういう大学でも意味があると思います。 日本で偏差値レベルの高い高校だけを卒業した高卒生よりも、偏差値レベルは低くても大学に行った方が視野が広くなります。 例えば社会人になって、もう一度勉強し直そうと思ったとき、高卒生と大卒生だと発想が違ってくると思います。高卒生だとチャート式とか引っぱり出しそうなところですが、大卒生だと資格試験とか、実学に直結しそうな領域にも手を出せます。 その学校はレベルが低くても、その学校の生徒の中には高いレベルの大学に通っている友人がいるかもしれない。そういう友人を通して思いもよらなかった意識に開花するという機会も大学に行けばあります。 高卒生でもそこでとどまらず色々進歩的に取り組んでいる方もおられますが、現実は非常に少数派です。私の高卒の友人のほとんどは、大卒批判ばかりで、こちらが「今からでも進学、遅くないよ。」と促せば、「サラリーマン金太郎であるまいし、そんなん無理だよ・・。」ってもらします。 大学生になった経験がないから、大学のイメージが具体的につかめず尻込みしてしまうのです。そういうコンプレックスは人間の可能性を狭めます。 そういった意味で、高卒と大卒は基本的に違う。可能性がより広くなる。ということで、どんな大学にも意味はあるのです。あとはそこで学ぶ人間がどんな経験をし、どんな人脈を得るか、そういうところが大切なのだと思います。

  • mailhiro
  • ベストアンサー率23% (32/135)
回答No.5

(No.4の回答と合わせて) 不況で高卒の就職先がないが、親世代が学費を出してくれるため、ビジネスとして大卒経営が成り立つ。 からでしょう。 国公立大学の数を減らし、私学補助制度を大幅に縮小し、そのかわりに一定の能力のある学生に対する奨学金制度を充実させるといった、大幅な政策転換をすべきだと思います。

  • kennys
  • ベストアンサー率24% (26/105)
回答No.4

>なんか入る前も入る後も勉強せずに、卒業後も単純労働に従事してるなら大学なんて行く意味がないような気がします。 はい。行く意味ゼロですね。 >何故政府はこのような私学への補助を続けるのですか?遊びに行くなら自費で遊ぶべきです。 選別基準がないからです。有名私学でも勉強せずに遊んでいる人はいます。レベルが低いと思われる私学でも、一生懸命勉強してる優秀な人はたくさんいます。有名な例では金沢工業大学でしょうか。偏差値が50を割り込んでいますが、沢山の方が大学で一生懸命勉強してソニー等有名企業に就職していますよ。よって、大学の選別方法をどうするかは、政府に限らず誰も判らないと思いますけど。

  • tibesoro
  • ベストアンサー率29% (125/423)
回答No.3

大学も経営ですからねぇ商売みたいなもので、 まして私学だったら入ってくれてなんぼって感じですよね。 民間の学校も出来るらしいですけど、それだとなお更商売っぽいですね。 とは言え、勉強するのは自分自身であり、大学がどこであれ自分が勉強したいものや、将来したいことに繋がるのであれば選択は自由でしょう。

  • densha
  • ベストアンサー率29% (333/1123)
回答No.2

 私の時代にも、○○予備校の方が難関だと言われる大学もありましたが、 古い時代の名残で自治権というか、企業以上の生存権があるようですので・・・  研究(者や施設)の維持等も目的があるので・・・ と考えて、納得するしかないと思います。  不況時にお金を動かすのは良い事です。 財政難時に無理してお金を使うのは、国を滅ぼすに等しいと思います。 どちらだと思っているのか? 慣習に従って好況時の状態を継続しているのか? 我々のチカラの及ばないところのハナシですが、 完全に無駄のない世の中になってしまっては、 とてもつまらないものだということで・・・ PS 「自費で遊ぶべきです」とは、大胆案発言ですね(笑)

  • dendai
  • ベストアンサー率6% (6/91)
回答No.1

不況だからこそ、お金が周った方が良いんじゃないでしょうか? ところで、そんな意味の無い大学もあるんですね~。自分は理系大学なのでちゃんと勉強して(もちろん遊びもしますが)、将来のための知識を養っています。

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