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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「私は精神病です」と言うのはいつまでタブーでしょう)

「私は精神病です」と言うのはいつまでタブーでしょう

このQ&Aのポイント
  • 日本社会において、「私は精神病です」という言葉は依然としてタブー視されています。
  • 精神病者に対する偏見や差別が根強く残っており、公に自身の状態を話すことは難しい現実があります。
  • しかし、社会の理解が進むにつれて、将来的にはオープンな社会が実現する可能性もあるでしょう。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

>人類はこの点で進歩しているでしょうか? 昔よりだいぶ進歩しています。 例えば、高機能アスペスガー症候群の場合、昔はそれこそ「精神病」と言う偏見によって、「頭のおかしい変人」と思われていましたが、現在ではその様な「個」として社会活動をなされるような取り組みがあります。 例えば、あるシステムエンジニアの企業は、彼らを受け入れる上で仕事のやり方を変えました。 まず彼らは、「融通が利かない」「没頭しやすいがために仕事の方向性を脱線してしまうリスクがある」と言うネガティブな特徴があります。 それを回避するため、「何をすべきかは明確に指示し、やり方は口を出さない」と言う方法を徹底し、没頭してしまうがために脱線してしまう事を避けるため、こまめなミーティングを行うようにしました。その様な配慮と健常者社員の理解があるため、彼らも十分な戦力として活躍しているようです。 鬱などの病も、その理解が浸透しているため、会社によってはその病気の社員と向き合った運営形態を少しずつ始めてきているところもあります。 >「こわい」「ちかよりたくない」 少なくとも、自ら「私は精神病だ」と言う人は怖いですね。 これは本人はそのつもりが無くても、うがった見方をすると「私は精神病だから何をするか分からない。私に近づく場合、私に何をされても良いと言う覚悟があると思うからそのつもりで。」と言う意味に取れる。 多くの人はそれを無意識に感じ取るため、このような言葉を発する人には「近寄りがたい」と言う印象を持ちます。 これは危機管理上の動物の本能であり、この問題は人類が進化しても変わらないと思います。

その他の回答 (4)

  • at9_am
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回答No.4

> 「私は精神病です」と言うのはいつまでタブーでしょう。 必要があって診断書を出す場合なら別だけれども、どう見ても精神病でない人が言い訳に使う以外には、本人が「私は精神病です」などと公言する人はほとんどいない。 「私、うつ病だから仕事できなーい」とか言って、毎日夜遊びをしている人もいる。 こうした人がいる限り、タブーでしょうね。 精神病は、見慣れれば普通の人とは違うのが分かりますよ。特に目が違います。 ただし、そうした人の大多数は、自分が精神病だとは言いませんし、必要に迫られない限り自分が精神病であると公言することもほとんどありません。 > 精神病者は危険なのでしょうか?犯罪を犯しやすいのでしょうか。 いくつかの精神病者は、その危険性があります。 ただし更に危険なのは、どんなに酷い犯罪を犯しても「精神病者だから」と逃げを打つと一般に認識されていることです。 > 人類はこの点で進歩しているでしょうか? 日本でも戦前までは「犬神つき」「狐つき」などという名で土蔵に押し込めたり殺したりしていました。そうしないだけ、現在は進歩しているでしょう。

  • born1960
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回答No.3

 自分自身の既往症や現在治療中の病気、または障碍は、よほどの関係の人でないと普通は言いません。 それは何も「心の病」限定でないのはわかりますよね?  親しい関係なら「うつ病で投薬されています」「こどもが自閉症で」などという会話はよくあることです。もちろん全く初対面の人から「私は胃がんです」なんていきなり告白されることはめったにありません。  なかには初対面の人と自分自身の負の部分を晒してから、付き合いをはじめる人もいますが、その行為は自慢話をいきなり聞かされると同じくらい嫌なものです。自分の負の部分を晒すことで「おすみつき」をもらおうとする根性がいやらしく感じるからですね。これが第三者の口から聞けば「少しは気を使ってあげなきゃ」などと思えるのも事実です。  「心の病」は決して人に伝染するものではありませんが、「インフルエンザ」などの伝染病保持者が「私はインフルエンザです」などとおおらかに言える日は絶対に来ません。「インフルエンザ」とおおらかに告白している人は質問者さんが言うところの  「こわい」「ちかよりたくない」また「かくさなければ」「このことを言うなよ」これが現実です。  と、全く同じだと思います。  そう思えば「心の病」に限らず現在の自分自身の「負」の境遇を声を高らかに言える日は無いでしょうね。  

回答No.2

保護政策?珍獣としてですか? 多数の人間を護るのが順当です。病気だから保護をすると言うのは筋違いです。 寧ろ、特別視するのは何故か。それは患者側に一般的な社会生活を営めない原因が あるからです。薬物投与してでも無害な社会生活を送れるのであれば、そうすればいい。 自動車で言えば、若葉マークや老人のマークと同じです。周囲の人間を 護ることが優先されます。そのマークを外したければ、治癒させればいい。 無制限な保護を求めるのは、繰り返し申し上げますが筋違いです。

回答No.1

タブーなのけ? 小生は、自分が精神疾患である可能性は否定しないし、そう吹聴しているが? 小生は、『三次元女性に対する興味がない精神病ですが何か?』と・・・ 精神病という病理の一般認識の怪しさを指摘すれば枚挙の暇もないが、 小生からすれば、精神病とも言える学習障害・発達障害のない人間など存在しない、と断言するがw 極論すれば、全員が何らかの精神病であるので、小生はタブーだと思っていない 社会がそう認識しているとは思われるが、そのような認識の社会であっても、動じるつもりはないし、その必要性を感じない 仮に、精神病というレッテル・差別を受けようとも、それ以上の利益・効果を創造できる人間であればいいのだから・・・ 以上