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童謡「背くらべ」の歌詞に付いての質問です
♪柱の傷は一昨年の~ 何で一年前の柱の傷の歌詞じゃあ無くて 二年前の柱の傷の歌詞になったのですか?
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その理由は、この歌を作詞した方の体調の問題だったのです。 「せいくらべ」の作詞者 海野厚は明治29年8月12日、静岡市曲金で7人兄弟の長男として生まれました。 厚らが通った西豊田小学校には「せいくらべ」の碑と厚の顔が描かれた大きな絵が掲げられています。 「柱のきずはおととしの 五月五日のせいくらべ・・・」 どうしてきずは一昨年で、昨年のきずはないのか。 そこには、病と闘った兄の悲しい物語があったのです。 厚は中学(旧制)卒業後、可愛い弟妹を残して上京し早稲田大学文学部へ入学した。最初は俳人志望であったが、童謡雑誌「赤い鳥」へ童謡詩が掲載されるようになり童謡作詞家へと変貌したのです。 厚はたびたび故郷に帰って弟妹の背を測ってやったといわれる。しかし、待っていたのに昨年は測りに帰ってきてくれなかった。 厚は東京で肺結核をわずらっていたのです。