- ベストアンサー
この子たちは虹の橋へ旅立てるのでしょうか・・・
辛くなるような記事を見ました。 あまりにも悲しい星の下に生まれた運命の子たち・・ 思わず手を合わせずにはいられませんでした。 この子たちはいったい何のために生まれてきたのでしょう。 この子たちの魂は安らかに虹の橋へと旅立てるのでしょうか・・・ http://hyougogreenleaf.blog.fc2.com/blog-entry-86.html
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
再度失礼します。 何故私が、辛い思いをしたワン程 虹の橋を渡り来世を幸せに 生きれると思ってるか 20年程前娘時代に、とある犬種を迎えまして 犬を見た方がショーに出さないかと言われ、自分は全くわからないので断ると その方が全て面倒をみてくれて数年お世話になりチャンピオンまでなりました。 遠方の時はお泊りで預かってもらい送迎付きだったので 犬舎は知りませんでした。 いつもきれいにしてもらいその方にとても懐き楽しそうでした。 ある日ショーが続いたので二週間のお泊りの最後の方で その方が破産?借金でいなくなったのでワンを迎えに行こうと知り合いのブリーダーさんが呼びに来られ行きました。 初めてのその場所はゲージが積まれ沢山のワンがいました。 亡くなってるワン・溶けて毛だけのわん・仔犬と共に亡くなってるワン・ いつのかわかんない位でした。信じられない世界でした。 その方には普通の毎日だったのでしょうが・・・ 私のワンは餌も食べれる様にされてました。 それから一頭でもと車に生きてるワンを乗せ逃げるように帰ってきました。 連れてこれなかったワンにはフードと水を数日もつようにしてきました。 それだけしか出来ませんでした。 その後同じような事件をみる度あの日の光景を思い出し辛いです。 色々な辛い思いで亡くなるワンは絶えません。でも死後の世界でまで そのワン達程苦しんでないはずです。強く思ってます。 そのような事をされる方に何も出来ないので思うだけです。 「同じ目に合え、罰あたれ」と。
その他の回答 (4)
- wakame300
- ベストアンサー率70% (334/474)
確かにミスリードでしたね。。。(#^.^#) 「火災事故をどう思うか」という問いかけの場合も、回答者の価値観や死生観が容易 に入り込めるので「どうすればこのような悲劇が防げるのか」といった質問のほうが、 より建設的かもしれません。 また「自分としては・・と思う」という考えなども記載しておいたほうが、具体的な 賛同や指摘も得られるかと思います。 個人的には、動物取扱業において、設備に対しての「適正飼養頭数」を盛り込む法案 が議論されていますからこれを次回の動物愛護法の改正で実現できたらと思います。 設備そのものに対しても規制強化すべきでしょうね。 (ただし産業界から反発が予想される・) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それはさておき、先の回答のあまりに無知に近い殺処分批判が見られますので、補足、 回答します。 殺処分は幼犬・成犬共に高濃度二酸化炭素による中枢神経麻痺(意識消失・心臓停止) であり、餓死などはありえません。 死亡確認においては「高炭酸ガス血症 CO2ナルコーシス narcosis」と診断されます。 「断末魔の苦しみを与える・もがき苦しむ」~などと*一部の愛護団体が批判しますが それを鵜呑みにしたり、自分勝手な妄想による発言をすると風評被害を招きます。 ちなみに・・ 「1時間以上もかかっている」~との声もよく聞きますが、これは意識をなくした後も 十分時間をかけて完全に心停止させるための配慮と、安全上の問題として徐々に排気 する必要があるからです。 「安価な二酸化炭素で殺している」~安価であることは批判の対象になりえません。 合成有毒ガスはうかつに排気できませんし、万一の事故・災害時には職員らの人命にも 関わりますから、現在のところ最も有効な手段であることは理解しなければなりません。 ただし、大型ガス室では十分な濃度に達するまでに時間がかかり、その間はめまいや 恐怖も相応に発生しますから、現在多くの施設がガス室を小型化するなどの設備改善 を進めています。(数頭サイズなら数分以内) また、幼犬はなるべく麻酔による安楽死を進めています。(成犬はかえって怯える) *一部の愛護団体=里親探しや保護を行わず、ポスター販売・コンサート・街頭署名 など啓発だけを行う。(こうしたアイドル型はやたらと多い!) 一応の存在意義はあるものの、偏った内容が多く、ボランティアビジネスや災害募金 詐欺、愛護テロ、宗教絡みも多い。 殺されているだけではありません。行政も可能な限り返還・譲渡に努めており、この 10年で倍増しています。 処分数は、1970年代の犬120万頭から現在では5万頭と激減の一途をたどっています。 これは世界に類をみない成果です。 「平成22年度 環境省統計データ」より http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/ … 飼い主からの収容・成犬=16.513 幼犬=4.629 飼い主不明の収容・成犬=50.767 幼犬=13.257(計 85.156) 返還数成犬=16.067 幼犬=62 譲渡数成犬=10.701 幼犬=6.634 殺処分数成犬=42.564 幼犬=9.400 (収容中の怪我病死を含む) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (元 飼育屋)
お礼
回答ありがとうございます。 (元 飼育屋)さんだけあって色々とお詳しいですね。 動物愛護法についても、おっしゃる通りもっと規制強化してほしいです。 狭い、ひしめきあったケージの中で、どこにも逃げ場が無く、無念にも命を落としていったあの犬たちが どんなに恐怖で怯えて、でも逃げる事も出来ないままで最期を迎えたのかと思うと 可哀想で可哀想でなりません。 あの黒焦げの遺体が、生前はどんなにか、愛らしい犬たちの姿だったろうと思うと、もうとてもショックでした。 今回の悲しい惨事は火災でしたが(火災といっても私は人災だと思ってます)、 たとえ火災でなくとも、悪質なブリーダーなどの犠牲になった犬たちの悲惨な状況を今まで色々知りました。 命はかろうじて取りとめてはいたものの、劣悪な飼育環境で、失明してしまった子や、アゴの骨が溶けてしまった子、 股関節が悪いのに繰り返し繰り返し妊娠させられ続ける子など、ただただ金儲けの道具にされるだけの 悲惨な一生で・・・ こんな輩がまだまだ陰で相当いるのでしょうね。 動物愛護法をもっと厳しくして、もっと深く斬り込んでもらいたいです。
- b-piaa-pika
- ベストアンサー率18% (7/38)
質問されてる事の答えになるのかわかりませんが一言お願いします。 記事を読み辛く感じました。 でも辛い思いや、ひどい扱いを受け犠牲になったワンコ達程 虹の橋を渡り幸せになって欲しいし、なってると思いたいです。 悪意の無い生き物だと動物の事を思ってるので 間違いないと思います。 幸せになれなかったワンコは渡れないとは絶対思いたくありません。 存在の意味はあまり答えはわかりませんが 命に理由は無いと思うので、繁殖目的だけに使われてても 必死に生きてたんだと思うようにしています。
お礼
回答ありがとうございます。 あまりにもあの犬たちが哀れで哀れで胸が痛みます。 あの犬たちの人生(犬生)っていったいなんだったんだろう・・と辛い気持ちになります。 やっとのこと狭いケージから出られたときは、無残な姿での死・・なんて。 今はあの犬たちの魂が安らかであることを願うばかりですが・・。 欲深い人間の金儲けの手段にされ、辛い日々を強いられている犬たちがいなくなるのは いったいいつのことなのでしょう。。。 あの子たちはみんな一緒に虹の橋を渡ってゆくのでしょうか・・・ 想像するになんだかとても切ない光景です。
>質問のタイトルを“・・・・・どう思いますか?”とすればよかったですね つまり、あなたは「かわいそうですね」とかいう賛同意見を得て「他の人もそう思うのだ」という気休めで安心したいがために質問をご用意されたのでしょうか。だとすると「この子たちはいったい何のためにうまれてきたのでしょう。」というのは、そう言う質問ではなくて、「感嘆文」なのですね。「この子たちの魂は安らかに虹の橋へと旅立てるのでしょうか・・・」というのは、質問ではなくて感傷的な詩文のようなものでしょうか。 だってですよ、質問を直球で解釈するならば、これは死後の実際を知る者でなければ答えられない質問ですよ。 霊的真理とは「実は死んだらこうなるんだよ」「あの世というバックグラウンドではこういう仕組みで現世も営まれているんだよ」という意味です。死後の実際のことなのです。これは宗教ではありません。1848年ハイズビル事件というポルターガイスト現象を科学的に調査したことから始まった心霊学という学問から導き出された、実証性のある「霊からの通信」をまとめたものです。 私が霊的真理を持ちだすことを決断したのは、あなたの問題を解決するものは霊的真理以外にないと思ったからです。あなたは動物たちを救いたいとお思いかも知れませんが、霊的真理から言えば、救われるべきは動物たちではなく、あなたの方なのです。先にも書いたとおり、動物の魂はあっさりしているので、現世に対する執着がないのです。苦しみの現世での修行が明けて、ホッとしているくらいでしょう。それよりもあなたの傷ついた心を癒すものが必要だったのです。それには、「かわいそうですね」とか「動物たちが天国に行けるように祈ってあげましょう」とか、月並みな気の効いたセリフで根本的解決になるとは思いません。私は最初、こんな月並みなセリフでもあなたが癒されるのであれば、それで良いのだろうと思って放っておいたのですが、なかなかご回答がつかない間に、「これは霊的真理にしか答え得ない質問なのだろう」と悟ったから回答に踏み切ったのです。 必然か人間のせいか、という議論について。 「身勝手な人間の犠牲になっただけ」という見解は、別に間違ってはおりません。実際、私は文中で「末端的には人間の自己責任なのです」と申し上げております。しかし、あらゆる全ての事象は、その愚かさも含めて、自然法則という土台の上に成り立っているのです。人間には自由意思があります。人間はその行為や注意の足りなさに自己責任があります。しかし、人間をそうたらしめているのは法則なのです。だから、浅い認識では人間のせい、究極的には神の法則なのです。つまり、人間のせいは究極的に神のせいなのです。それは、人間は責任を感じなくてよいという意味ではありませんよ。出来ごとに対して前向きに反省し、進化向上して行くことこそ人間の義務です。 そして、ここで問題なのは誰のせいかということよりも、今、死後の世界へ移動した魂は悲惨なのかどうなのか、ということです。回答を読まれれば、「黒こげになった犬たち」は決して悲惨なのではないことがお分かり頂けるかと思うのですが。これも、死骸だけみて「悲惨だ」とするのはあまりにも想像力に欠けるということなのです。魂はもはや死骸には存在してはいないのです。死骸は抜け殻に過ぎません。本人たちはあの世に居るのです。 保健所の実態をご存知であるならば、毎日傷ついているのではないでしょうか。保健所で行われている残虐行為と、「パピーミル」の火災、どちらが由々しき事態なのか、決めることは出来ない筈です。かといって、「毎日傷つきなさい」とも言いません。ノイローゼになってしまうでしょうから。 私は冷静さをお勧めしますね。感傷的になっても何も進展しないし、精神衛生にマイナスなだけだと思います。あなたはただ、保健所とシチュエーションの違う、それでいて本質が同じの事象を知ったに過ぎないのです。これはあくまでも問題提起の切り口を変えて、人間のモチベーションを上げるということだと思うのです。私は何事を見ても冷静で居ることは大事だと思うのです。 目の前の光景の悲惨さについては、上には上が、いくらでもあるのです(もっとも悲惨さの上下は主観的感覚に過ぎません。人各々の感じ方があるでしょう。)。私は最近メキシコ麻薬戦争での拷問殺人の様子を、動画や画像で見ました。日本のマスコミが決して放映できないものです。だから私にはあれが、全てマネキンなんだと思われました。まさか、それが死ぬ前にされた傷だとは・・・ もちろん、「だから黒こげの犬の死骸なんか、大したことはないさ」などと揶揄するつもりはありません。ただ、感傷的になっても仕方がないと思うのです。目の前の光景が何であっても、人間は地球を任される責任者として、冷静に問題点について考えて行かねばならないと思うのです。 現世は地獄ですがすべて神の計画通り、霊性進化へ向けて運行されております。どんな苦難も必ず報われる日が来ます。だから安心して前向きに暮らす。これしかありません。
お礼
ありがとうございました。
補足
宗教家の方なんでしょうか・・・?
ペットショップが火災になったということでしょうか。 霊的真理に関してでよろしければお答えしましょう。 ペットは人間との関わり合いの中で愛を学び、霊性を進化させ人間に近づくという使命をもって生まれてきます。 あらゆるすべての出来事は神の摂理によって起こるので、偶然ということはありません。全てが必然です。ですので、この火災であろうとも、究極的には神の摂理の一部であり、人間やペットが霊性進化するためにもたらされた出来事だと言えます。この出来事がどのように働いて人間やペットの霊性を進化させるのか、それは人間にとって、考えることは出来ますが、神の仕組みへの憶測に過ぎないものではあります。分かり易いところでは、「火災に気をつける」という教訓もあるでしょうし、あなたが感じたように、命の尊さを思い知る機会が与えられることにもなります。神の仕組みと言っても、末端的には人間の自己責任なのです。ペットにとってみれば、業火のなかで子供たちを守るという教訓だったかもしれません。私はそれに加えて、動物を檻に入れて商売に利用することの身勝手さなどがあると思います。とにかく、様々な教訓を含んだ出来事が、人間やペットの学びとなり、霊性を進化させて行くのです。神の全てを理解することは出来ませんが、この出来事の教訓は何かと考えることは大事です。 無事に学びを終えて死後の世界に移動したペットの魂は、愛してくれる人間の思念がある場合にはその人間の傍に寄り添うようにして居ます。しかし、そうでない場合は人間への執着が切れますので、自分の種類の類魂(グループソウル)の中に融合して行きます。類魂とは、同一個性の魂の集合体のことです。類魂は個にして全、全にして個です。個性が同じなのですべてが一つの心でもあり、また自分の中の別の側面の集合体です。動物の場合は、種類に付き一つの類魂しかありません。つまり犬なら犬の類魂一つだけです。これを集魂と言います。集魂は分霊を現世に派遣させ続け、たくさんの犬に魂を宿らせ霊性進化させます。そして再び魂が霊界に戻って、犬の集魂と融合したとき、魂が現世で学んだ体験によって、集魂が霊性進化します。集魂はこれを繰り返し、いつの日か人間的形態へ宿る資格を得るのです。このように、集魂は生物形態を昇格しながら進化してきたのです。明日には、今日の犬の集魂が人間の類魂になっているかもしれません。そして次に新しく犬として生まれる集魂は、昨日まで別の生物の集魂だったかもしれないのです。ちなみに霊的真理においては、生物形態が後退することはありません。犬まで進化した集魂がゴキブリになってしまうことはもう無いということです。 動物は人間と違って現世への未練が少ないあっさりした魂なので、人間のように執着によって現世に近い階層にいつまでもとどまっていることがあるということはありません。現世に近いところに居る場合は、愛による親和力がそうさせているだけです。 ところで、この火災において必要以上にショックを受けるということは、あまり感心出来るとは思いません。というのも、こうしている間にあなたの自治体ではたくさんの犬や猫たちが、保健所において殺処分されています。乳児の場合は餓死させられ、成体の場合は恐らく薬で殺されます。保健所では見てくれがペットっぽい個体を選りすぐって(差別して)ポスターにして飼い手を探しますが、多くは殺されます。それが毎日のように続いていることをご存知でしょうか。人間の不注意で火災に遭う動物が居る一方、人間の都合で積極的に殺処分される動物が常に居るのです。それを意識したならば、この火災で突然ショックを受けるという流れにはならないのではないかと思います。人間にはまだまだ意識が足りません。自分の目の前のことしか見えて居ないから、目の前の事象に一喜一憂するし、死後の世界を冷静に見る目も持たないのです。冷静になり、人間は動物とどう関わって行くべきなのか、もう一度見直す必要があると思いますね。
お礼
回答ありがとうございます。 ・・・がしかし、宗教的な?専門的な?霊的な真理に関しての回答を望んだわけではありませんでした。 私の質問の仕方が悪かったのかもしれませんが、もっと個人的な感性での意見を聞いてみたく質問したんです。 犬を飼ってる人たちが、こういう悲惨な犬たちの(普段、人目には触れないバックヤードでの)悲惨な出来事を どういうふうに感じるのかが聞いてみたかったのです。 質問のタイトルを“・・・・・どう思いますか?”とすればよかったですね。 それから反論させてください。このような悲惨な犬たちの末路を、私は必然とは思わないですね。 運命とか必然とか信じるほうだけど、こんな犬たちの状況を必然だなんて全く思わないですね。 この犬たちは、単なる罪深い業深い愚かな人間の、犠牲になっただけです。 それから保健所などの殺処分の実態など、書かれてますが、そんなこと先刻承知です。 自負してしまいますが、あなたよりもわかっているつもりです。 今飼ってる犬は違うけど、前に飼ってた犬は、そういうセンター的なところから引き取った犬でしたし、 捨て犬を保護して里親を探している個人のボランティアの方とかに、少額ながら寄付とかもしてます。 それでも目の前の事象に一喜一憂してはいけませんか・・・!? しかも、あれはペットショップなんかじゃありませんよ。 “パピーミル”って言葉、ご存知ですか?知らなかったらもっと勉強してください。
お礼
ありがとうございます。 辛い実体験を経験されてるんですね。 そんな悲惨な光景を目の当たりにされて、さぞかしショックで言葉も失う悲しい思いだったでしょうね。 b-piaa-pikaさんのワンちゃんは大切にお世話されていて、でもその裏側では弔われることも無く、 悲しまれることもなく、寂しい一生を寂しく終える、ブリーダーの“生活手段”としてだけの用途の 犬たちが人知れず存在していたのですね・・・ 同じ犬に生まれながら、愛情ある家庭で家族の一員として可愛がられ、天寿をまっとうする幸せな犬たちと、 一筋の光も当たらない薄幸なだけの一生をひっそりと終える犬たち・・・ おんなじ犬として生まれながらあまりの運命の違い・・・何だかせつないですね。 こういう明暗を必然とは思いたくないですね。すべての犬たちに幸せな一生を送ってほしいです。 物言えぬ健気な命を単なる道具としか考えてない輩には、重い天罰がくだってほしいと私も本当思います。 因果応報で、そういう連中に災いがはね返っていけばいいと心の底から願ってます。