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大阪電気軌道(大軌・現在の近鉄)の併用軌道区間の件
wikipediaの「大阪電気軌道」のページに、以下のようにあります。 「なお軌道法に基づいて路線の特許を取得したため、全区間専用軌道での敷設は認可されず、開業当時は上本町付近、鶴橋 - 今里間と奈良市内の終点に近い油阪付近で、路上を走行する併用軌道区間が設けられた。」 一方、大正3年6月に大阪電気軌道が出版した『大阪より奈良まで 沿線名所案内』には以下のように書かれています(現代仮名づかいに改めています)。 「その距離19マイル13チェーンにして、奈良市内三町二分を除き、全部専用道路にして」 つまり、当の大軌が開業直後に出した本には、併用軌道区間は奈良市内の一部のみで、「上本町付近、鶴橋 - 今里間」には全く触れていないのです。 とはいえ、wikipediaの記述が全くデタラメとも思えません。「鶴橋 - 今里間」が併用軌道だったという根拠が何か、教えていただきたくお願いします。
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- TooManyBugs
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開業当時の地形図、市街図などを見る限り上本町-今里間は大部分が高架線(築堤?)です。 ただし軌道法による特許を得るために名目的に道路となっている部分が有ったようです(一部の資料に大正15年に上本町付近の軌道の移設により新設軌道化の記事有り)。 おそらく踏切程度の併用軌道であり奈良市内のように本格的に街路上を走行する区間ではなかったので沿線案内のような表現となっているものと思われます。 実態に付いては鉄道省、内務省、大阪府等の公文書を当たるべきでしょう。
- kuma-gorou
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鉄道をつくる際、法規的には「地方鉄道法」と「軌道法」が有ります。 が、大阪市営地下鉄・関西私鉄の多くは、免許取得し易い軌道からスタートものが多いのも事実。 軌道法は、厳密に言うと道路敷に布設される路面鉄道ですが、さすがに、都市間輸送鉄道が道路上を走行するのは危険。 そこで監督官庁は都市間の高速輸送に拘る私鉄各社の要請に折れ、「線路の一部が道路に接していれば良い。」という判断を下すに至る経緯があります。 ちなみに、阪神電車や、京浜急行などでは今でも線路の両側がフェンスで仕切られ、その外側に道路が並行している区間があったり、京阪や近鉄は比較的遅くまで路面区間が存在。これらはその名残です。 つまり、質問の区間は開業当初より道路に接する専用軌道であったと推測します。 まぁ、鉄ピク等で、大軌開業当時の写真を見るに、車高は高いが電車スタイルは路面電車。集電もポール式で、現状のような高速鉄道ではなく、路面電車と高速鉄道の中間ぐらいだったのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございました。阪急箕面線の桜井駅近辺なども、併用軌道だったと言われていますが、実態は「道路に接する専用軌道」のようですね。 近鉄社史の写真にみるデボ1形は3扉のボギー車でおそらく15m級。単車とはいえ、当時の感覚からすれば、路面電車スタイルというにはかなり大柄でしょう。集電装置は、当時はポールでなければビューゲルで、どちらにしても今の目で見れば路面電車的と感じるものと思います。
お礼
ありがとうございます。地形図・市街図をご覧になったとのこと、お手数をおかけしました。大正15年というと、上本町にターミナルビルができた年ですから、新設軌道化はそれに関連してのことでしょう。 近鉄の年史もあたってみたのですが、「軌道条例に基づいて敷設された関係で規定上は全区間が併用軌道という扱いで」とありました。公文書にしても、実質的には専用軌道だった区間と本当に併用軌道だった区間とを、きちんと峻別しているものが果たしてあるものか……。