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自分って何?AとBの選択
- 自分は何者なのかという問いについて考えています。Aという考え方では自分本意であり、Bという考え方では周りに合わせることが求められます。どちらが大事なのか悩んでいます。
- 自分の本当の協調性と純粋な心を大切にしたいと思っていますが、自分本意の考えは周りに受け入れられず、嫌われてしまいます。一方、周りに合わせることで関係が保たれますが、自分自身が息苦しく感じます。
- どのようにすれば素晴らしい人間や自分自身の理想像に近づけるのか悩んでいます。自分は何者なのかという問いに対して答えを見つけるために、自分を磨く方法を知りたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
第二次世界大戦中 戦争に反対した人達は処刑されたり酷いいじめにあった 戦争反対を訴えた人達が協調性のない子供で 戦争賛成、アメリカ人をぶっ殺してやると思っている人達が協調性のある大人だというのなら 僕は一生子供のままでいいです だから僕は貴方のいうAを貫き通します それで1人になってしまったとしても構いません それに今となってはあの戦争が過ちだと判断されています 多数意見だからといってそれが『良いこと』だとは限りません しかし事の大小ありますから 協調性というのも必要ですね なにか一つ自分の中で答えを見つけたら それとは間逆の答えも見つけなければなりません そもそも、一つの答えで満足してはいけません 色んな考え方が出来るようにする事 色んな答えを用意する事 そして状況に応じて柔軟に対応できるようになることが自分を磨く事だと思います
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- Erkin
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No4です お礼の返信を有難うございました 自分はAだけど他人はBという状況でどっちがいいのかは 完全に自分次第でしょうね 色んなことを想定し、考えだした結果に間違いなど存在しません 経験不足から来る失敗はあるでしょうが 経験は経験しないと補えないものですから それは間違いとは言わない気がします 失敗ではなくしょうがなかった事だと思います。 自分が【良い】と思っているのに何故人に聞くのか、悩むのか それは自分を守りたいと思う心から来てるもんです 多くの人間は他人の評価が必要なんですね 自分で自分を評価できないから どちらかというと他人の評価に軸があるから いるか分からない神に縋る 人の教えに縋る、僕ら人間は弱いです 今、どっちがいいのか迷っているのなら 他人の評価と自分の気持ちを天秤にかけてみればいいと思います どっちを選んだってそれは貴方にとって間違いではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- rewon
- ベストアンサー率28% (46/162)
自分の良心に照らして、まごうことなくAか? (己の怠惰や逃げや欲得や言い訳が混じっていないかも自己チェック) Aのほうが前向きか? Aのほうがわくわくするか? この3点について、イエスなら、 周りがどれだけBでも、私はAを貫きますね。 人生のあらゆる選択についての私の指針です。 オックスフォードのアイエンガー教授の選択についての講義、 NHKオンデマンドで見られますが、大変、興味深いですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
AもBも自分です。 まず、自己を自己として意識します。 これがAです。 ↓ その自己が外界との関わりを通じて 自己を立て直し、より強固な自己を 造り上げていきます。 外界というのがBです。 ↓ 最終的には、自己と外界が同一に なります。 これはある意味悟りでもあります。 ここまで行けば、完成した人間と いうことになります。 つまり、自分というのはDNAを基底にして 母、父、家族、友人、他人、社会、自然などの 外界と関わりながら人格を醸成していくのです。 だから、Aも B も自分なのです。
お礼
ありがとうございます
- k_mutou
- ベストアンサー率12% (101/783)
世の中、【客観】は存在せず『主観』のみだと思います。 それぞれの『主観』が集まって“集団”を作り、それぞれが[妥協]して“仲間”になるのだと思います。 “集団”の中で「自分自身を曲げて周囲に合わせる」というのも、ある程度、生きる術として必要な気はします。 周囲に、個人に合わせてもそれはそれで『自分自身』のような気はしますが。
お礼
そうなんです。その先が知りたいというか 合わせる度合いと合わせないとこをしりたかったんです。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
人にはみなそれぞれの人格(パーソナル)というものがあります。 あなたの質問から言うならば「B」という考え方、生き方というのは「自分から他者への接触に対し、なにが有利か?」ということでの「一つの答え」に過ぎないのです。 それに対して「A」というものは、あなたの「個性」や考え方であり、あなた独自のものです。 しかしそれは先に言ったように「みなそれぞれ」あるものなのです。 Bとは「社会性」であり、Aとは「個人性」です。 それには明確な「境界」というものが本来あるものですが、あなたはその「境界」というものがハッキリ自分で認識できないでいるのでしょう。 なので「Aで行きたいけど、Bが普通だし、みんなそうしてるって言うし」という認識になってしまうのだと思います。 社会というのは、いろいろな捉え方がありますけど、極めて乱暴に言えば「自分を殺すこと」でもあります。 Aというものを全面的に押し出して渡ることはできませんから、Bという「考え方」を使って、自分と自分以外の人たちとの「溝」を無くそうとするわけです。 しかし、あなたは「それ」が難しいようですから、無理にBを使う必要は無い、と私は思います。 無理をして合わせようとして、混乱していくのは「あなただけ」だからです。 >自分とは何か? 自分というのは「現在実感している、自分という存在」です。 だから、ずっと同じものではなく、変化し続けていくものです。 実感が深まるということ…「発見すること」で、自分というものへの「見方」が変わっていくこともひとつです。 >どのように磨きすばらしい人間、自分の思い描く人間になれるんですか? …ですので「思い描く」というのは「実感」とは大きく異なるもの、むしろ「反対」に位置するものです。 あなたの論では「イメージがまずあって、それに近づくために如何にするか?」ということになっているわけですが、実際は「経験をしながら、その時々で判断し、それによって自分というものを形作っていく作業」というのが人生であり、生き方であるわけです。 ですから「A」というものも絶対に必要なのです。 しかし一方で固持し続けるというものでもありません。 削ったり、足したりしながら補足していくものです。 その作業を「自分を磨く」と言います。 まずは焦らない事ですよ。 現在はピンと来ないかもしれないですが、時間をかけて改善していきましょう。 優秀なカウンセラーを探すこと、話をなるべく聞いてくれる知人を探すこと、です。 疑問を少しずつ解決し、徐々にでいいですから「境界」というものを形作って行きましょう。 自分を捨てて何かに変えよう、と思ってはいけません。 あくまでも自分というものは捨てないで受け入れながら、消すべきものだけ消し、得たものは残す、ということの繰り返しです。
補足
>それには明確な「境界」というものが本来あるものですが、あなたはその「境界」というものがハッキリ自分で認識できないでいるのでしょう。 境界ははっきりしてると思います。というか差が大きいことに疑問があります。 例えば バイト先の上司が『雑談のお笑い的ないじり』をしてきます。コミニュケーションですから僕は物腰柔らかくつっこむ程度です。ぼくにとってのBデす。つまり社会性です。 Aでいくと胸ぐらつかんで「調子のんじゃねーぞ』と年上だろうといきたいです。 仕事場の空気を悪くしたり喧嘩になるのでしませんが 親しい友人や先輩のAとBを見ても(お客さんに丁寧に、いなくなったら愚痴悪口 それみてもその程度?俺とはなんか違うな~って感じです。
他者がいて、はじめて自分になる。 他者と関わりあってはじめて本当の自分になるのです。 AかBかではなく、いっしょにいるだけでもうその人の個性は際立ってます。 結局は、相手を思いやること(協調性)自体が自分の個性ですよ。
補足
他者がいて自分になる。ですが他者がいない時の一人の自分も自分ですよね? 思いやれない自分は個性として認めないということですか? それでは個性とはこれだ!と個性ではなく答えだと思うのですが。。 すみません。ちょっとつっこんで考えて(汗
お礼
僕もそれに近いです。戦争は経験してないのでなんともいえませんが バンドをやりたいんですが売れない無理だと言われてもAをつらぬくおもいです。 しかし物事やルールにも状況にも対応しないといけないのも思ってます。 ありがとうございました