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どういう人が犯罪を犯してしまうのでしょうか?

こんばんは。カテゴリーが違ってたら申し訳ありません。  いきなりですが、どういう人が犯罪を犯すんでしょうか。 池田小学校の事件にしても対象が弱い方向へと向けられていくのに悲しい気分になってしまいます。      テレビで被告の発言、経歴や親子関係をみてるとやはり、誰からも愛されずに真っ直ぐ純粋に生きていく事の難しさを感じて仕方がないのです。  被告はどうやら自分より幸せな人間が許せないような発言をしていました・・・・。    自分は21頃から精神的に病んで誰からも相手にされなくなり、あげくには「キショイ」「頭おかしい」でかたづけられてしまい、ちゃんとした友人もいなくなりましたが現在26まで何とか普通に生きております。  でも自分も最初はやっぱり世の中を恨みました。前向きにクリーンになれたのは数少ない友人と両親がありのままの自分を受け入れてくれたからかもしれません。  そこに自分は愛されているという事を自覚して、ちゃんとした社会人になろうという発想が出てきたのですが、 池田小学校の被告のように誰からも何の愛情も受けずに世の中で真っ直ぐに生きていくのは正直いってかなり確率的に低くなるのではと思ったのです。    被害者の方には不快感を与える文章になって申し訳ありません。しかしああいう事件がおきるたびに形だけの対策を行政はしますが、法律や制度だけで人が動くのでしょうか?また犯罪者の心に変化が起き思い止まるのだろうかと思うのです。  私自身の偏った独断の意見を述べましたが、皆様のご意見聞かせて頂きたいです。  どういう人が犯罪を犯してしまうのでしょう?またどうすればそういう犯罪が防げるのでしょうか(行政や警察の介入無しに)?

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  • KINGBIRD
  • ベストアンサー率53% (597/1108)
回答No.2

 犯罪学の永遠のテーマですね。  なぜ人は犯罪を犯すのか?どのような人間が犯罪を犯すのか?  答えとしては、人は自由意志を持ち、社会を構成する立場の多様な個人だから犯罪を犯す、多様な個人が存在するから軋轢が犯罪と呼ばれることもある、としか言いようがないように思います。  先にいいたいのは、こういった議題というのは論ずる側の先入観、社会認識に影響されがちだということです。  犯罪学史上、保守的な男性は幼児期の母親の愛情が足りなかったからだといい、優性学者は遺伝的な犯罪傾向が存在すると言い、あるいは知能指数の欠如、精神疾患の有無が犯罪行為に結びつくと言い、社会学者は貧困と教育が犯罪と結びつくと言うのです。  いずれも犯罪を犯す人間の一面でしょうね。私は上記が虚偽だとは言いませんが、ある立場に属する人々が別の属の人間を論じるとき、その意見にはたいていその人が受けた社会認識、価値観が幾ばくか投影されるものです。  stevensさんが、ご自分の価値をご家族やご友人の信頼、愛情においたことは、私個人としては、見知らぬ方ではいらっしゃいますがとても嬉しく、頼もしく思います。 (あなたが犯罪を犯す可能性が減ったからではなく、私はそういった人間のほうが優れてよりよい姿だと思い好きだから、苦しい中からご自分のよりどころをそういったところに求めたことは、真っ直ぐで見上げた姿だと思うからです。背を向けてひねくれるのは簡単ですからね。)  stevensさんにとっては自分のいままでがあったので、宅間被告(ですよね?)の生い立ちがとても気になるのだと思います。それも、ある種の投影ではないかと私は思います。  自分が犯罪者になったことを知れば悲しむことを承知した存在の、信頼と愛情に価値を置くことは確かに犯罪への抑止になるでしょう。  けれども、世の中にはどうやったってそのへんに価値を見いださない人間もいるんです。なぜかはわかりません。  愛情を充分に受けなかったので、信じなくなり、自分が扱われたように他人を傷つけるのかもしれません。あるいは他の理由があるのかもしれません。また十二分に愛情を受けたと考えられるのに犯罪に走る人間もいます。   なぜ人は犯罪を犯すのか、その広い質問には誰もなかなか答えの出ないことだと思います。  単純に、統計としてどのような人間がもっとも犯罪を犯しやすいかというと、犯罪学では20歳前後の男性なのだそうです。  日本の統計でもそうですが、世界的にもそうで、おそらく統計が取られる以前、有史以前から犯罪は男性のほうが多いのではないかと思います。  犯罪とは社会秩序の規格から逸脱する行為を指すと思いますが、人間のみならず多くの群居性の哺乳類のオスにはメスよりも社会規範を破る挑戦する、何かを追求する、遠くまで徘徊して探索する、より直接的・好戦的な方法でグループの上にたちたがる、といった傾向があると言われます。(特に類人猿を観察されたことのある方には実感をもっていただけるのではないかと思います。)  そのようなより強い野心、向上心、一人でも物事に立ち向かえる強さが、社会的には秩序を乱しすぎる行動となって裏目に出るのかもしれません。  えー、これを書きはじめた時、まだ誰も回答していませんでした。  もしこの回答が、他の方の回答と対抗する形になったとしても、私はその方の回答をけなすつもりで書いたわけではないことをご了解下さいm(_ _)m。  あまり回答になっていないことも、お詫びします(^^;。

stevens
質問者

お礼

自分はかなりわがままで失礼な質問をしてしまったと思いますが、これだけ沢山それもきちんとご回答くださり本当に有難うございます。とても専門的かつ親切さが感じられるご回答でした。本当に有難うございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

ありきたりなコメントになることを承知で書くと、「現実感覚の欠如」ではないでしょうか。 こういう犯罪は、犯人には犯罪を犯したという自覚はありません。例えば、腹が立ったときに皿を割ったりしますよね。それと同じ感覚なのではないでしょうか。 現実感覚が希薄なんですね。だから、自分の存在を確かめたいのじゃないですか。そして、人を殺したら自分の存在が確認できるような気持ちになってゆく。自己実現の過程なのだと思います。 河合隼雄先生の本からのパクリになりますけど、ある中学生が先生の治療の途中で「ものわかりのよい親を持つと子供はたまりません」と言ったそうです。最近の親は、子供を真正面から受け止めるということをしない。子供を恐れ、逃げ回っています。これでは、子供はぶつかりどころが無い。相撲でもぶつかり稽古というのがありますが、あれでぶつかられる方の力士が体をかわしてしまったらどうなりますか?ぶつかっていった方はひっくり返ってしまいます。すると、怖くてぶつかりにいけなくなる。「現実」の抵抗/障壁/規範というものを、身を持って知る機会が無くなる。 十把一絡げに「親が悪い」という結論を出すつもりはありませんが、親が子供の情動を引き受けなければ、誰かが代わりにそれを引き受けなければならなくなります。 今回の場合、被害者の子供がその役割を負わされる羽目になったのだと思います。

stevens
質問者

お礼

う~む成る程。人のご意見は本当に色々考えさせられます。 十人十色なんですね。わざわざ本当に有難うございました。

  • rankle
  • ベストアンサー率29% (17/57)
回答No.3

心理学的に分析すればそれらしい専門用語を並べたことをいえますが、実際はそう簡単なことではありません。人が人を殺すということは、ほんのちょっとしたことで殺すという結果につながってしまうものです。しかし、周りから馬鹿にされたりだとか、頭がおかしいなどと偏見をもたれたから社会が憎い、または幸せな人が憎いなどというのはただのわがままです。最近の若者は口をそろえてこういいます。「俺の何がわかるんだ!」と、だったらあなたには人の何がわかるのかと言いたいです。自分の苦しみがすべてだと思わないことです。私なんか一言何か口にすれば「頭がおかしい」とか「完璧にいかれてる」と批判されます。

stevens
質問者

お礼

ご回答有難うございます。わがままな自分を治していく様努力させて頂きます。不快感を与える文章で申し訳ありませんでした。

  • toka
  • ベストアンサー率51% (1167/2278)
回答No.1

 池田小の宅間被告にしても、三菱銀行北畠支店の梅川にしても、環境に恵まれない面があったかも知れません。  一方、恵まれない人の中でも、例えば乙武さんのように明るく真っ直ぐ生きていける人がいることもまた事実です。  宅間被告と乙武さんの違いは、「親がきちんと愛情を持って育てたかどうか」です。そこまでは簡単に言えます。  では全ての親が愛情持って子を育てるためにはどうすればいいのでしょう。  人の心が愛を失う=すさむ理由はそれこそいろいろです。人より貧乏だから、人より体が恵まれない、人より頭が悪い、、、これらを全部解消してやることは、残念ながらできません。人が皆どこかで個性を持つ以上、劣等感を完全になくすことはできません。  だから、ぐれる子供は必ず出てきます。そこを取り締まることで、かろうじて今の社会は成り立っているのです。  回答としては、「人はそれぞれどこかで違う、そこから生まれる劣等感が犯罪を呼ぶ」です。

stevens
質問者

お礼

他人のご意見は本当に参考になります。ご回答本当に有難うございました。

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