• 締切済み

自殺はダメと言う世の中は矛盾していませんか?

自殺したい訳でも、自殺を進めている訳でもありません。 しかし、都会だけ?かもしれませんが、普段の世の中(関わる人間や環境など)は冷たさしか感じないし、思いやりもないです。 決して贅沢を求めている訳ではなく、普通の人間的な感情を大切にできればいいのですがそれもないです。 誰も自殺なんかしたくないでしょう。 自殺したいのではなく、自殺するしかないのです。 普段に気にもしていない癖に「自殺はダメ」なんてよく簡単に言えると思います。 不景気により仕事もなく、仕事をしたらしたで残業しなければまともな給料ももらえない世の中。 出口の見えない暗い現実があります。 皆さんはどう思いますか? どう生きるべきですか? 私は「自分は自分!」と雑音を気にせずに生きて、自分を守るしかないと思います。

みんなの回答

  • rfrfr111
  • ベストアンサー率14% (62/414)
回答No.24

自由だよー まあ家族に迷惑かけなければ尚いいよねー 散々犬とか殺すのに矛盾してると思うよー ただ、個人的にそういう連中見てていつも思うのは、別に生きるという枠組みから抜けようとしなくても、現実の環境から抜け出して、外国でも移住してのんびり暮らせばいいのにと思うわー

  • s_end
  • ベストアンサー率41% (176/425)
回答No.23

自殺する人がいると困る人がいるからです。 困る人とはだれか?  人を働かせてその稼ぎをピンハネする人たちですね。つまり社長とか経営者とか呼ばれる人たちです。彼らは自分は働かずに人の稼ぎで喰っているので、働く人がいないと困ってしまうのです。ですから自殺をされちゃうと困るんです。 大手企業、下請け企業、孫請け企業、ひ孫請け企業、の形態を世の中の縮図として考えてみましょう。 大手企業は自前では組み立てしかやらず、部品製造の多くを下請け企業に安い賃金で発注します。 大手から直接発注を受けられる下請け企業なんてのは下請けの中でも恵まれたほうで、おいしいところは自前でやりますが、それ以外は孫請けにやらせます。当然、いくらか中抜きしますので、孫請け企業は本来よりも安い人件費、安い材料費でなんとかやりくりしなくてはなりません。それでも自前でできるおいしいところは自前でやりますが、さらに下請けのひ孫請けに出したりします。もちろん中抜きしてます。 ひ孫請け企業は、もう本当に生きるか死ぬかの瀬戸際で仕事をやらざるを得ない。 こいうった状況において、将来を悲観して自殺する人が多数出るとどうなるか? ひ孫請け企業、孫請け企業の人員が減りますわな。そうすると下請け企業の負担が大きくなる。もっと人が自殺して下請け企業さえもなくなってしまったらどうなるか? メーカーは部品のネジ一個から自社生産しなくてはなりません。設備投資も多額になるし、組み立てだけやってりゃよかった時代よりも大勢の人員を雇わなくてはなりません。つまり「美味しいところどり」ができなくなってしまうわけですね。 こういうことから、自殺する人が増えると困るわけです。(美味しいところどりしている人にとっては) もっと下衆なたとえをしてみましょう。 子供の頃のいじめ問題を思い出してください。 どのいじめも階層化されていたでしょう。 ジャイアンのような大将がいて スネ夫のような腰ぎんちゃくが居て、 のび太のようないじめの対象がいます。 実際の階層はもっと多層構造であり、ジャイアンクラスですら、他のクラスのガキ大将からはいじめられていたり、腰ぎんちゃくどもにも虐めのナンバー2、ナンバー3の座を巡って駆け引きをしていたりします。 虐めの対象となるのび太君クラスにしても何人かターゲットがおり、日替わりでいじめの対象が変わったり、ガキ大将の命令によっていじめられっこ同士で相撲を取らされたり、殴り合いのけんかをさせられたりします。その中でいじめられっこたちは、何とか自分がいじめのターゲットにならないようにいじめっ子におべっかを使ったり、ゴマをすったり、漫画本やおやつを貢いだりします。 さて、こんないじめのヒエラルキーの中で、だれが将来を悲観して自殺をするのでしょうか? 当然、のび太君クラスですよね。ジャイアンクラスが将来を悲観して自殺するわけがありません。わが世の春を謳歌しているのですから。 もし彼らのび太君クラスの中で自殺者が出たらどうなるか? のび太君クラスの各人の虐めの負担は重くなりますよね。スネ夫クラスの誰かがのび太君クラスに転落するかもしれません。生き残った彼らにとっては死活問題です。 そういうわけで自殺者が増えて困るのはジャイアンクラスの人間なのです。 もちろん、葬式代とか自殺による死で悲しむのは死者の身近な人間であることは間違いありませんが。 そもそも、大会社のエリート社員が自殺した、なんてのはあんまりニュースで聞かないでしょう。 あったとしても過酷な労働状況で過労死寸前まで追い込まれて自殺を選んだ、というニュースぐらいです。これとて、社内ではキツイ立場に立たされていた、ということで、ある意味立場の弱い人間だったということです。 某企業のバカ跡取りのように、ギャンブルで使うカネを関係会社の役員に捻出させていたような、不条理な権力を奮う人物が自殺しますか? しませんよね。 自殺する人間ってのは無職者とか、いじめられっことか、社会的に弱い立場の人間たちばかりです。そういうものを食い物にしている人間が、お題目で 「自殺はイカン」 と言っているだけです。

  • ukoygwonim
  • ベストアンサー率26% (286/1095)
回答No.22

『自殺はダメ』という考えは、自殺を逃げ道と思っているからでは。 命の尊さとかではなく『お前だけ楽して逃げて狡いぞ!』っていう。 命が尊いと思うなら説教なんか垂れず、話を聞いてあげればいいのに。 鬱病で自殺して奇跡的に助かった友人がいるのですが、 「一本道を進んでいたら首吊り用の縄があった。他に道が無かった」 って感じだったそうです。後ろからどんどん押し出されたと。 決して「目の前の道は面倒で、脇に楽そうな道があった」じゃないと。 とりあえず友人は「助かってよかった」という状態ではありません。 ただ、その精神状態って、そこまで追い込まれないと理解できない。 健康な人がこれを聞いても「いや逃げだろ」ですよね。 私はこの話を聞いてから、自殺者の心理がなんとなく想像できました。 昨日怖くて飛び降りられなかった人が、今日飛び降りる不思議。 それって、精神上の一線を越えてしまったからだと思います。 以上のことから、自殺はほとんど病気で止める術がないと思います。 その人の環境を変えるか、ストレスを取り除くかして寛解しない限り。 自殺を阻まれて一生残る後遺症を持つ人もいますから、 止める方もそれなりの覚悟をしたほうがいいですね。 限度を超えて頑張る人、相手に合わせる人が鬱病になりやすいそうなので、 ある程度自分流に生きた方が健康的だと思います。

回答No.21

何故自殺はダメ!と言うのは、自殺が病気だからです。例えばうつ病。 うつ病患者は快感を得ることをしなくなり、死ぬことばかり考えます。 自殺は基本的に殺人と同じだと思えます。自分の命を絶とうとする人 は人の命の尊さなど気にしません。家族を道連れに心中する人がいい例。 嘱託殺人はどうです? 病気を苦にしたり、介護疲れなど、もう死にたい と思うけど、死ねない。だから殺して欲しいと頼む。哀れですが 殺人です。もし自分で死ぬことができなかったとしたら殺人を依頼する のですか? 一生罪を負わせるのですか? ビルから飛び降りる人は 下に人がいるかどうかなど気にしません。自ら死のうとする人は 人の命などどうでもいいのです。遺族が一生苦しむことなど思いは しないでしょう。この身勝手さが「自殺」なのです。

  • covanonki
  • ベストアンサー率48% (219/448)
回答No.20

No.16です。 お褒めに預かりまして、光栄です^^ 一点だけ・・・。私、自殺者を「ゼロにする」のは不可能だと思っています。 というのも、身体的な事情(有名なのが繊維筋痛症ですね)や先天的な脳の病などで、本当 に生き続けることが死ぬよりも苦しい人が実際にいらっしゃるからです。 私たちは「防げない死」があることも認識しておく必要があると思います。 また、「防げない死」があることを社会が認めないと、二次被害者の抑制が非常に難しくな ります。 二次被害者。つまりは遺族の問題です。 遺族は必ず自分自身を責めます。これは、誰がどうしようが仕方ありません。精神的な構造 でそうなることは仕方がないのです。遺族の中には、そのことをきちんと認識していらっ しゃって、自分の中にそういう気持ちが起きることは仕方がないのだ、と分かっている人も います。 ですが、それでも、解っていても尚苦しむのです。 「自ら死を選ぶことのできる社会」って、その肩書き以上に重要です。 147ajtdmw さんもご質問文中に記されているように、私も自殺を容認するとか、斡旋する、 とか、そういうわけではないのです。結果的に、その人が死を選んだんだ、と、そのことを 責めなくても済む社会のことを言っています。 非常にセンシティブな問題ですが、「自殺はゼロにできる」とか、「自殺者ゼロの社会を目 指そう」というキャッチフレーズは、却って自殺者を増やす結果になります。 「生きやすい社会」とは、その人が最終的に死を選ぶことも含めて、その人が「現在置かれ ている状況の中で」、最も生きやすい社会です。 揚げ足をとったようで申し訳ありませんが、その点だけ気にかかりました。

  • backerd
  • ベストアンサー率0% (0/6)
回答No.19

私は世間と違ったこと言いますけど生きるか自殺するかは人の自由だと思います。この世界に生きる価値を見出だせないなら自殺するのも手でしょう。あなたの命は親の物でも恋人の物でもないです。 あなたの意見は贅沢だ。と言う回答もありますが今の現状や日本社会を幸せに感じるかどうかはあなたの感性しだいです。私があなたのような考えなら自殺せず生活保護をもらいパチンコをしたり酒飲んだりして日本社会にぶら下がりながら生きて行く道を選択します。このような考えになったあなたが悪いとは思いません。社会やあなたの回りの環境に問題があるんだと思います。ただ日本がよりよい社会になることを祈るばかりです。

  • zxzzxz
  • ベストアンサー率24% (39/161)
回答No.18

>自殺したいのではなく、自殺するしかないのです。 この認識は間違い。 たしかにどうしようもない環境になり自殺するケースもあるが、 大半は一時の気分不安定状態、つまり鬱による自殺。 だから一時的にでも自殺を止められれば 「あのときなんで自殺しようと思ったんだろう。死ななくて良かった。」 となる人が非常に多いわけ。 だからキミの周りにも自殺しようとしてる人がいたらとりあえず止めてあげなさい。 その人が一度考え直して、それでもまだ計画的に自殺しようとするならそれは仕方ないこと。 だが多くは自分の感情とそれによる行動を一時的に制御出来なくなっているだけだから。

147ajtdmw
質問者

補足

ドラマのように自殺を止められる瞬間に立ち会えますか? まず不可能でしょう。 自殺する人を病気だからと切り捨てられますか? もちろん自殺する人が正しいとは思わない。 でも、貧困でもない人が自殺を選ぶ世の中は暗い。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.17

”不景気により仕事もなく、仕事をしたらしたで残業しなければまともな給料ももらえない世の中。 出口の見えない暗い現実があります”  ↑ これは贅沢と云うモノです。 日本の失業率は、諸外国に較べれば低いですよ。 仕事など、選ばなければいくらでもあります。 日本人が贅沢に慣れて、選んでいるだけです。 3K仕事など、いくら求人をかけても、来るのは 外国人ばかりです。 給料が安い、というのは生活の仕方が悪いのです。 私たち夫婦は、昔ひどい貧乏を経験した為、 現在でも、使うお金は、年間60万円だけです。 やればできるのです。 要は、工夫と努力です。 お陰で、マンションを即金で購入出来ました。 私には中国人の知人が沢山いるのですが、彼らは 口を揃えて言います。 「日本は天国だ。  選ばなければ仕事はいくらでもある。人は優しいし  頑張れば、未来は幾らでも開いている。  犯罪も少なく、戦争もない。  日本人に産まれたことは、宝くじに当たったような  ものだ。  本当に羨ましい。  どうして、中国人なんかに産まれたんだろう。  親を恨みたい」 日本人は天国に居るのに、その有り難みが判らないで 不平不満を言っているだけです。

147ajtdmw
質問者

補足

貧困や内紛がはびこる国から言わせれば他の国は天国になるでしょう。 ならば他の国にいる人々に「貧困や内紛のある国よりは天国だから!」と強要できますか? 無理矢理に分からせますか? 様々な問題があるからみんな悩んでいるのです。 誰もふざけてはいません。 先進国は先進国の、日本は日本の問題があります。 中国の方が「日本を天国」なんて簡単に言わないでもらいたいです。 人の芝生は何とかですよ。

  • covanonki
  • ベストアンサー率48% (219/448)
回答No.16

都会の自殺問題と過疎地(田舎部)の自殺問題では原因が異なります。 ですが、共に共通しているのは、人が死を選ぶ原因は、「社会からの孤立」が原因であるとい ことです。 普通に考えればよくわかると思いますが、メンタル的に正常で、環境にも恵まれている人は死 を選びませんね。人は、メンタル的に何か異常があるから死を選ぶのです。 自殺するという行為そのものがうつ病という病気の一つの症状なんです。 人が自ら死を選ぶ事を考えることは自由ですし、人口比から考えても、それを考えたことのな い人など、それこそ稀ではないでしょうか。 みんな大なり小なり考えたことがあるはずです。「死にたい」「死ねたらいいのにな」「こ のまま目が覚めなければどれほど楽だろう・・・」 だけど、これを実行に移すかどうかはまた別問題です。うつ病を発症したとしても、死を選 ぶ人もいれば、選ばない人もいます。ですが、死を選ぶ人の九分九厘・・・九毛まで入れて も良いかもしれません。つまり、そのほとんどがうつ病を発症しています。 この事実をどう受け止めるか。うつ病を発症しても、最終的に死を選ばなかった人。これは 間違いなく「環境」の問題です。死を選ばなければならないほどに苦しい。苦しいはずです よ。苦しみの症状はそれほど多様でしょうが、生半可な苦しさじゃないはずです。 ですが、その人が最終的に死を選ばずに済むかどうか。これは、 「そばに支えてくれる人がいるかどうか。」 その一点につきます。もちろん、そばに支えてくれる人が入れば、すべての人が死を選ばず に済む問題なのか。そんな単純な問題ではありません。ですが、助かった人は十中八九、そ ばに支えてくれる人がいた人。それは間違いないと思います。 トータルでみると、自殺者の数は、失業率と明らかにリンクしています。1998年、消費税が 値上げされた翌年から、この国ではそれまでの自殺死亡者数から加えて1万人多く人がなく なっています。もちろん、自殺で。 自殺者の7割が無職者である現実を考えると、これはすなわち数字に現れない失業者の数 が、1万人を日本国の人口で割った割合と同じくらいの割合で増加したまま減っていない、 とういこと。そう言っても決して言い過ぎではないと思います。 こちらは「社会の責任」だと言っても良いかもしれません。 「雇用」という言葉は、二つの側面からの見方があります。それは、文字通り「雇用」の側 面と、もう一つは「就業」の問題です。 前総理の菅さんが、よく「雇用、雇用」と言っていましたが、あれは「就業としての雇用」 です。ですが、それよりも問題なのは、「雇用」としての「雇用」。つまり企業にいつまで たっても人を雇うのに十分な体力が生まれていないことにあります。 この問題を個人の責任にはできませんよね。誰の責任? 明らかに「政府サイド」の問題ですよ。子ども手当出しますよ、お金を渡しますから、働く ために必要な能力を身に付けてくださいね、農家にもお金を渡しますから、ずっとの農家で 居続けてくださいね・・・全て「バラマキ」です。消費者サイドにお金をばらまいたって、 雇う側に人を雇うだけのゆとりが生まれなければ、いつまで立っても就労状況など回復しま せん。 と・・・。ご質問の趣旨からそれたかもしれません。 私は、結局この国に必要なのは、「行きやすい社会づくり」だと思います。 よく耳にします。「自殺の原因はうつ病だ」って。私もそのように記しました。 ですが、だからうつ病対策だけすれば自殺問題は解決するのでしょうか。答えはNoですね。 いたちごっこです。いつまで立っても解決しません。 大切なのは、「うつ病になりにくい社会づくり」。戦後GHQ政策によって、この国から「大 家族」は破壊されてしまいました。子は親のもとを離れ、やがて独立して核家族を作りま す。どんどんと社会性の薄い子供が生まれる理由です。 男女雇用機会均等法により、男性と女性の賃金が平均化されてしまいました。女性にとって 男性と結婚する意味合いが薄れてしまいました。結婚しない家庭が増えます。 中には子供だけ作って、片親だけで育てている母親も、決して少なくはないはずです。 やがてグローバル化社会の斡旋により、日本国民の給与は、中国や韓国などの外国の水準で 平均化されてしまいました。中韓と日本では物価が明らかに異なるのですから、当然「ワー キングプア」なるものも生まれます。 ・・・と。また暴走仕掛けていまいた。 東日本大震災・・・ありましたよね。あれ、亡くなった方にとっては、本当に大変なことで あったと思いますし、心からお悔やみを述べたいと思うのですが、ですが、それでもあの震 災が私たち国民に思い知らせたことって、決して少なくはないと思います。 事実・・・と言ってよいかどうかはわかりませんが、2011年の自殺者の数は30500人。 多分、1998年以来続いてきた3万人を超える自殺者。その統計の中で、昨年の自殺者の数は 最も少ないのではないでしょうか。(違っていたらごめんなさい) 震災で亡くなった方もいますから、じゃあその中に本当だったら自殺者に含まれていた人 だっているんじゃないの、って言われたら・・・それも否定できませんが、私はこの数字、 日本人が改めて人と人との結びつきの大切さ。命の尊さ、生きているということの意味に気 づかされた結果じゃないかと、せめて私一人でもそう想いたい、と思っています。 人は自ら死を選ぶ、という最後の権利を与えられていること生き続けて行くことができま す。そう。その命運を全うするまでは。 死にたいと思うのも自分。それでも生きていたいと思うのも自分。他のだれでもありませ ん。せめて自分で自分のことくらいは、認めてあげても良いのではないでしょうか。^^

147ajtdmw
質問者

お礼

心ある素晴らしい回答ありがとうございます。 そうです! 生きやすい社会です。 それがあれば自殺者はゼロになりますよ。 自由は自由ではないです。 方向が分からない自由は人間を迷わせます。 世の中との温かなつながりがあれば、その中での自由を楽しめます。 震災や不景気だからこそ、足元を見てマイペースに着実に歩む時なのに、人間的な感情を捨てて無心になってただ働いて生きています。 そんな姿勢でいい仕事ができるでしょうか? 例え仕事はできても、それで生かされる人間の中身が空虚であれば意味がないのです。 また同じ過ちを繰り返します。 仕事や世の中があるから人間が生きるのではなく、人間が生きるから働くし世の中があります。 世の中は順番を間違えていると思うのです。

回答No.15

為政者・国民統治者は国民が形成している社会を統制するために法律を用います。 日本では自殺というものが法律による公的統制の対象になっていない(あけっぴろげに言えば、自殺が罪に問われない。そのほう助とか強制とかはいまここでは触れません)ので、社会秩序の中で自殺は本人の自由意思による選択が認められているものと考えればよいと思います。 ですから、あとは当人の考え方次第という範囲に押し込めると思います。で、質問主さんもわたしも「自殺はダメ」と思っていないので、世の中すべてが自殺を悪として否定していることにはならないですよね。自殺はダメだと言っているひともいれば、それは当人の問題だから当人任せにするほうがそのひとを尊重することになると考えるひともいるでしょう。 わたしは個々人ひとりひとりの人生はそのひとだけの専有物であり、だれと取り換えることもできないし、だれにその内容を変化させるように頼むこともできない、人間の本質にかかわっているものと考えています。つまり自分の人生は自分だけが支配するものであり、その発端も終焉も自分の意志の介在しないところで起こるのが普通ですが、終焉だけは自分の意志でと考えることは悪いことではないと思います。 自殺をすると周囲に迷惑をかけるという方もいらっしゃるようですが、生き永らえることが周囲に迷惑をかけるケースもあるわけです。わたしは別にそんなケースは自殺して迷惑をかけないようにせよと言う気はありません。あくまでも当人の問題なのですから。 この問題は、世の中にいるひとりひとりの人生観・生命観・死生観に関わっていることなので、その見方は千差万別だと思います。ひとつだけ言えることは、冷たく厳しい世間に負けて惨めな死を自分の人生の幕引きにしてしまうことはあまりにももったいないのではないかということです。一度きりの人生ですので、その人生を何か有意義なものに使ってから死んでほしいと思います。有意義なものというのも、ひとそれぞれ異なるでしょう。でもそれでいいのではありませんか?少なくとも青年期を過ぎなければ、自分の人生を何か有意義なものに使うという余裕は出てこないだろうと思いますので、それまでに死んでしまっては無駄死にです。 わたしは現代日本の一般的感覚が、死というものをあまりにも忌まわしい嫌悪するべきものという位置に追いやっているような気がしてなりません。自分だけの専有物である人生の終焉に必ずそれがあるわけですから、もっと身近な位置に置けばいいと思うのですが。

147ajtdmw
質問者

お礼

ありがとうございます。 その人の人生は当人のものですが、当人だけの考えで生きることができる範囲はかなり狭いですよね? どこの学校か?会社か?は確かに選択できるでしょうが、それは当人だけの考えの人生にはなりません。 他人が作った学校であり、会社です。 例え会社を作っても、当人だけの考えで生きることは不可能です。 無人島であっても環境に左右されます。 まずは他人や自分を大切にしない人が増えているのだから命なんて分かる訳がないですよね? やっぱりお年寄りやこどもと身近に接することができる世の中を取り戻すべきです。