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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:気迫を養うには)

気迫を養うには

このQ&Aのポイント
  • スポーツでは技術・体力が拮抗していれば、最後は気力の勝負になると思っています。
  • 「苦しくてもあと少し粘れるかどうか」が大きな差になる場面を人生の中でいろいろ見てきました。
  • 気迫・負けん気・気力を身につける(子どもにも身につけさせる)には、どうしたら良いかアイディアをお持ちの方は教えていただけないでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • leaf88
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回答No.1

15才の長男がまさに「気迫・負けん気」がどうも・・・・でして。 闘争心、というものがなかなか見えないんですよね。 本人の希望もあって剣道にも挑戦したのですが、まわりは「気迫の塊」みたいな子達なので余計に目立ってましたね・・。「根気」はあるので地味にやってたんですが。。 最近はバスケに夢中でして、それに関しては多少の気迫のようなものが「親の目」からはみてとれます。が、やはり周りの子たちのそれとは比にならず。 好きなもの、ほんの少し手を延ばせば届くもの、、を経験した時というのは気力などの精神的な部分がのびていると感じました。「手に入った」という実感が彼には必要だったような気がします。 一方、12歳の次男のほうはというと、、彼は「負けん気・気迫」の塊のような子でして・・ 常に一番になりたい、認められたい、ほめられたい、手に入れたい、、と思い続けている感じがします。彼の場合は、言い方は悪いですが「鼻っ柱を折る」経験が必要かな、と思い「上には上がいる」と教えたくて手を延ばしても届かなかった、という経験を多少させるようにしています。 このやり方が・・彼らのためになってるのかどうかは分かりません・・

yas08
質問者

お礼

とても共感できるお話をありがとうございます。 私の場合、年中の子が、優しすぎるのか、乱暴な子になされるがままになっていたのを見てしまったので、憤慨とともに心配になって投稿した次第です。 以前もそういう場面を見たので、1年近く空手をやらせています。なかなか上達しないので、泣かせるくらい特訓したら(私も型を覚えるはめになりました(笑))、少し自信をつけたようです。まだまだ、気迫にはほど遠い状態です。 いざとなれば負けない、という自信が芽生えることを期待してスパーリングなどやって鍛えようと思っています。 何よりも辛いのが、子どものいじめに介入しづらいことですね。 一方でいじめる側にまわっている我が子を内心喜び推奨しているような親もいて、本当は子どもに注意してやりたいのですが、それはやめたほうがいいという意見のひとが多く(事なかれ主義?)、難しいところです。 他方、長女は冒険心旺盛、頑固で気性が激しく負けず嫌いなところがあり、今のところは放っておいても大丈夫かなと思っています。 好きなもの、少し頑張れば手が届きそうなもの、というのは確かにそうかもしれませんね。大変参考になるとともに勇気づけられました。 小説で読んだのですが、かつては、喧嘩に負けて帰ってくると子どもを叱りつけて家に入れなかった親が多かったとか。それも良し悪しだと思いますし、何らかのプライドを植え付けるように持っていくのも、良し悪しだと思いますし、いくつか方法も考えてみたいと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#196554
noname#196554
回答No.2

>スポーツに限らず何でも、「苦しくてもあと少し粘れるかどうか」が 大きな差になる場面を人生の中でいろいろ見てきました。 完全に同意です。私自身も死ぬかと思った直前の踏ん張りで生き長らえ、大きなものを得た経験があります。 うちの子はまだ4歳と3歳ですが、なんでもかんでも口出ししないようにしています。口やかましい親に育てられた子には、支持されないと動けない子がたくさんいます。「あれをしなさい」「これをしなさい」あまり細かく指示しすぎると、自分で考える力がつかなくなるんですね。要所要所と、必ず押さえておかなければいけない所は指導し、正しい方向性はしっかり示してやる。ただしなんでもかんでも決めてもらい、選択肢を与えられない人生は思考力を奪うほか、自己肯定感も低下すると私は考えます。人生は自分で選べること、選んでいいと自信を持たせること、そしてその決断に随伴できる判断力を親がつけてあげることが「もう少しのところで粘れる子」にするのではないかなと思います。 実際、子供達が生まれてから二人ともずっとそうやって育ててきましたが、私が制止するときは100%聞く割に、選んでいい時は大きな好奇心と強い意志で色々決断します。幼稚園で先生に何か聞かれても一番に手を上げるのはうちの子。写真を撮ると言われたら真っ先に一番前の真ん中を陣取ります。ステージ発表でも真ん中。自分が理不尽な事をしてしまったときはしっかり謝り、友達が理不尽な事をしてきたらとことん自分を主張します。二人を見ていて、まぁいじめられることはないだろうなと今は感じています。持って生まれた気質といえば、うちの下の子はもともとおとなしい俗にいう草食系だと感じていましたが、自己主張をしっかりするように変わったのは1歳~2歳半頃の育児が大きく影響した感触があります。 私の叔母は本当に優しい人で「愛される子であれば、それでいい」という考えの持ち主で育児をしていましたが結局、その男の子は高校でいじめられ、修了することなく退学してしまいました。親戚はみな、彼を「愛して」いますが30代になった彼は現在自活できずに実家に住んで、独身で細々と暮らしています。 なんでもかんでも「勝つ」と意地にさせるわけではなく、何に挑戦するべきなのかをしっかり見極め、時に負けることも必要であることをいつかは覚えるべきでしょう。何かを諦める勇気も、時には必要になると思います。その時その時の子供の成長をしっかり見つめ、私は愛も、色々な意味での強さも与えることができる親になりたいと思っています。

yas08
質問者

お礼

ありがとうございます。 御礼が遅くなりすみません。 自分で決めさせること、とても大切ですよね! うちは最初に通った保育園が、極端にいえば箸の上げ下げまで指示するところだったので、疑問に感じて「泥んこ保育」「ある意味乱暴」のところに変えた経緯があります。自分で考える力を引き出すようにもっていくのがモットーで、子どもたちもとても楽しく通っています。その保育園は子どもたちの目が輝いていますし、ひとなつこいので明らかに以前の保育園と違います。 また、私の親戚にも「無理しなくていいんだよ」「できないことは頑張らなくていいんだよ」と言われ続けて育った男の子がいます。その子は高校でひきこもりになり、成人してからも優しくはあっても覇気がありません。回答者さんの見られたこととほぼ同じですね。 自分で決めさせることと、制止するところ、促すところの見極めが非常に難しいところです。 これは常々考えていますが、なかなか私自身、確信もってやれていないです。 ここ数日で考えたこともあります。 スティーブジョブズは、NHKのドキュメンタリーによれば「自分以外はとるに足らない人間と考えていた」とのことです。 サッチャーの自伝では、たしか幼少期から「自分は暗闇に輝くダイヤモンドのように感じていた。この感覚がが人生を過ごすうえで役に立った」と書いていました。 何かを気迫をもって成し遂げた人間のことを調べると、皆、この手の感覚をもっているように思えてなりません。もちろん、こんな傲慢だとひとから避けられて、最後は転落するひとも多いので劇薬ではあるのですが。 小さいうちから「あなたが一番だよ」くらいのことは言い続けてあげるものいいかな、と思いました。 また、最近戸塚ヨットスクールの校長の本を読みました。 もちろん毀誉褒貶のあるスクールなのは承知ですが、「不快感が生命力を強くする」という観察に共感しました。幼少時の不快感を徹底的に取り除こうとした結果、子どもたちの生命力が弱くなっているというのは、確かにそうだと感じました。高いところに上ってスリル(本質は恐怖)を味わおうとしているのに危ないからという理由で完全にやめさせることなど、改めて見つめなおしてみようと思いました。 とても参考になりました。ありがとうございました。