#15です。
>この前放ったらかしにしておいて またまた同じ水準の話から始めるというのは よほど神経が錆びついているとしか考えられません。
:
いや、それはおそらくですが、アプローチを変えているつもりなのではないでしょうか。
錆びついていると断定しては先に進まなくなるでしょう。
先に進まないから錆びついていると言っているのだ、とおっしゃるかもしれませんが、思考の形態ではなく話の中身で争うべきではないでしょうか。
その上で錆びつきが解消されなければ、堂々巡りになるので、ということで打ち切ることもできるでしょうし、納得(あきらめ)もできるでしょう。
>いえいえ。わたしは逆に そんな同じことの繰り返しというような無駄なエネルギーの使い方をしていたら それこそ体力も気力も無駄に費やされて行くと思われてなりません。
:
なるほど。
それもわかりますが、その場合は、その旨告げて、それこそ立ち去るだけでしょう。
>その気づきから哲学に入らなければ何にも進まないと思われること。こういう問題ではないでしょうか?
:
ああ、それは大いにあり得ます。
ただ、人それぞれキャパシティが異なりますから、常に真剣に部活動、といかない場合も多いんじゃないでしょうか。
そういう人が、ブラジュさんの部活動ぶりを覗きにきたり、ちょっと冷やかしてみたりすることもあるでしょう。
それでも、あ、とりあえず興味あったわけね、ということでやり過ごす。
>けっきょく おれは何てバカなんだ! どうすりゃあよいだろう! というその現在いる位置についてしっかりと捉えることから始めるという問題。
:
これにも同意しますよ。
ただ、以下上記と同文。個々のキャパの問題。
前回申し上げた「自らの気づき」が必要というのもこのようなことです。
加えて言えば、いつから始めるかも自分次第、ということです。
「いつやるか?今でしょ!」みたいな CM もあったかと思いますが、なかなか人に言われてというのも難しいんじゃないでしょうか。
>人さまの前で ばかみたいに堂々とやってのけるものですから かえって扱いやすい人物だと思われていると思うんですが ちがうんですかねぇ。
:
扱いやすいというわけではなく、情熱的な分、どうしても隙があるように見えるのかもしれません。
そこもまた魅力のひとつだとわたしは思うのですが。
ただ、「ばかみたいに堂々」は実は、自らの思想を押し売りするための餌であったか、という疑念を持つ人もいそうですね。
相手に考える時間を与えるぐらいの余裕を持って対応できれば良いと思うのですが、ともかく、ひとつのスレで全て徹底的に理解し納得し、あるいは理解させ納得させ・・・といったムードが濃厚だと面倒になる場合もありますし。
>★ あそび
☆ なんだと思ってるんですがねぇ。
:
それでいいんじゃないですかね。
因みにわたしが言ったのはハンドルの「あそび」です。
ブラジュさんのハンドルにもそれを加えてやってください。
ぼちぼちいきましょうよ。
>これはやっぱり 哲学カテだと思うんですけどねぇ
:
同感です。
哲カテは口達者が多いから、若いサポートさんならコロッと納得させられちゃうんでしょう。
わたしも以前、哲カテからアンカテに変更させられたことがありました。
じっくり説明して抗議したらまた戻してくれましたけどね。
チクリ屋さんも人間サポートさんも人間、といったところなのでしょう。
どちらの気持ちも(良くも悪くも)わかります。人間って面白いですよね。
今度こそ本当に、こんなところで、ということで。
また、次回以降はこうした断り的なことを敢えて入れず(突如)去りますのでお気を悪くなさらないように。
どうでしょう?と言われても無視することもあるでしょうからあらかじめご了承ください。
お礼
○ ゆっくり急げ。 とおっしゃっているということで受け取りました。 ご回答をありがとうございます。 そうですね。上の大前提の上で反論もいたしましょうか。 ★ ~~~~~ >★ あそび ☆ なんだと思ってるんですがねぇ。 : それでいいんじゃないですかね。 因みにわたしが言ったのはハンドルの「あそび」です。 ・・・ ~~~~~~~ ☆ つまり全部――人生のすべてが―― あそびだという意味で言っています。したがって全部がやはりハンドルのあそびです。 つまりは 人間のことばとそれによる表現は そのように隙間だらけだと見るからです。 ですから そのとき・そのいま 人格の全体でコトに向き合っても まだまだ余裕(つまりは 見落とし)だらけなのだと思っています。 ★ 個々のキャパの問題。 ☆ もあるでしょうが 人生の歩き方の問題が微妙に絡んでいると考えます。つまり あそびのことでもありますが たとえば《自分のことにかかわる前に一秒だけ相手のことを思う》というあそびがあれば ずいぶん変わると思います。 《水準》ということばを使いましたが――回答内容としては 水準ということもあると考えますが―― 今のこの あそびの状態のあり方 というふうに言い直したほうがよいかと思います。 ですから やり取りしていてわたしの使った表現で癪に障ったなら このやろう勝手にほざいてやがれと捨て台詞を残して去っていけばいいわけです。これが あそびだとわたしなら受け取ります。お互い その場面では ふっふっと笑みを浮かべていることでしょう。 わたしのつねづね思っていることは こうです。 ○ あとの者が先になり 先の者があとになる。 ☆ 将来の時間をもその現在にどこまで採り入れるか こういうあそびもあると思います。 このやろう 言いたい放題言いやがって いい加減にせいという反応を期待しているわけです。ですから その瞬間のための釣りであるわけです 次のような事態の起こるのは: ★ ただ、「ばかみたいに堂々」は実は、自らの思想を押し売りするための餌であったか、という疑念を持つ人もいそうですね。 またお会いしましょう。